083 シスタノ02
何かを叫びたかった。何を叫ぶかは決めていなかったけれど、とにかく何かしら声を上げたかった。それが叶わないのは、今まさに尻から頭に向かって激しい重力がかかっているからで。
レインを肩に担いだまま、アルはとんでもない速さで疾走するのだった。
「…………!」
体内すべての内臓が顔に集まるような感覚。ちょっとでも気を緩めれば簡単に気を失いそうな重力と風圧に、レインは力を振り絞ってアルの後頭部を肘で小突く。
これで気付いてくれる――そう思ったのも束の間。なぜかアルはさらにスピードを上げ、前後する足の動きさえ視認できないほどの速度でもって大地を駆けた。
アルが足を止めたのは、それから五分ほど走ってからだった。
ようやく地に足のついたレインは、しかし目を回して背中から倒れてしまう。
「どうした、レイン。もうすぐシスタノが来るぞ」
「……あ、ああ……、あ……」
正常な受け答えができないレインの横にしゃがみ込み、アルは彼女の状態を確認する。まあ真っ青に変色した顔色を見れば誰にでも分かりそうなものではあるが。
「ふむ。急いで移動しろと言ったくせに居眠りとはな」
急ぐにも限度ってもんがあるでしょうが――心の中で叫んでみるが、当然アルには届かない。レインにしても視界がぐるぐると回り、自分を上から覗き込んでいるアルを睨んでやることすらできないのだった。
「……来たようだな」
やがてアルは立ち上がり、振り返る。
そこには馬に跨った、よく見知った顔がこちらを見下ろしていた。
「そこをどいてください。邪魔です」
馬上の少女――シスタノはにこりともせずそう告げる。
「話を聞け、シスタノ」
「何度も言ったはずです。わたしはもう、あなたたちの妄言に耳を貸しません」
「まあ、そう邪険にするな。仲間だろう」
「かつての、ですけどね」
そしてアルの背後で寝転がるレインを見やり、
「まさかここまで走ってきたんですか?」
「ああ。レインの提案だ。その方が……」
「馬鹿じゃないですか? 断然馬の方が早いのに使わないなんて」
アルの言葉を遮り、シスタノは嘲笑する。
レインが徒歩を選んだのは道中の魔物の数を減らすため――他でもないシスタノの道を作るためだというのに。
「……その辺にしておけ、シスタノ。お前は今、どうかしているんだ」
「どうかしてるのはそっちです!」
シスタノは声を荒らげた。
「だってあなたは魔王なんでしょう? なんで生きてるんですかっ」
「シスタノ……」
「レインさんもなんであなたを生かしてるんですか! どうして国民全員を騙して平気な顔をしていられるんですかっ。魔王の恐怖に怯えていた国民たちを裏切って楽しいんですか!」
突然の大声に驚いた馬が前脚を上げる。シスタノはそれを慣れた動作でいなし、アルを睨みながら更に続ける。
「わたしはあなたたちを許さない! 絶対に許さない!」
「……そうか」
瞬間――見えない空圧に胸を押され、シスタノは後方に弾き飛ばされた。
背中を強く打ってむせる彼女の前に、アルは悠然と立ち塞がる。
「許さないならどうするんだ?」
「げほっ……。あ、あなたを倒して、東の魔王も倒します!」
「ふん。口だけは立派だな」
アルの目が紅く染まり、途端、シスタノの身体の自由が奪われる。かつてレインも食らった束縛の魔法である。この程度の魔法であれば、アルは詠唱も予備動作も必要としない。ただ見つめるだけで発動が可能だ。
「うっ……、ぐ……!」
「どうした。そんな中途半端な実力で、まさか本当に俺や東の魔王と勝負になると思っていたのか? 断言してやる。お前はレインの足元にさえ及ばない雑魚だ」
今でこそ情けない姿を晒しているレインだが、その実力は人間界最強クラスだと多くの国民たちから認められている。それ故に魔王討伐の命が下り、アルと出会うことになったのだ。
「しばらくそうしていろ。そのうちレインが目を覚ますだろうから、話はそれから聞くといい」
そう言って踵を返し、いまだ目を回したままのレインのもとへと歩み寄ると、
「おい、レイン。いつまで寝ているつもりだ。早く起きろ」
「……あ、ああ……、あ……」
改めて声をかけてみるが、レインが回復する兆しはまるでなかった。
その様子を数秒眺めていたアルだったが、やがて諦めたようにシスタノへと顔を向け、
「すまん。あと一時間ほど待っていてくれ」
返事のできない彼女に、アルは一方的にそう告げるのだった。





