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魔王さまの後日譚  作者: 桜庭ごがつ
第08章 露天風呂共同戦線
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073 潜入02

 すべての宿泊客を覚えている従業員などまずいない。旅館の備え付けの浴衣さえ着てしまえば、ヤニクも堂々と部屋の外を出歩くことができた。


「俺はもう魔封石を全部使い切っちまったからよう。ここからはガチの真剣勝負。慎重にいくぜえ」

「ふむ。よく分からんが慎重に事を進めることには賛成だ」

「よく分からんって……、お前が全部台無しにしたんじゃねえかよう」


 透視の魔法を使っては視力を奪われ、透過の魔法を使っては解除される。それらすべてを行使したのが隣を歩く青年アルだ。恨みがましく睨めつけたりもするが、彼の機嫌を損ねてはまずいとすぐ視線を逸らす。

 廊下の端々には露天風呂への順路が記されているため、二人は迷うことなく目的の男湯へと辿り着いた。


「男湯でいいのか?」

「いきなり女湯に飛び込んだらバレちまうだろうがあ。ちったあ頭を使えよう」


 アルに先立って男湯の脱衣所に入ったヤニクはすぐに周囲の脱衣籠の中身を確認する。どの籠の中にも衣服はない。どうやら現時点で風呂に入っている客はいないようだ。


「ようし、運がいいぜえ。おい、あんちゃん。早く服を脱いじまいなあ」

「分かった」

「……おっと、ちょっと待ちなあ。脱いだ服は籠に入れず、小さく畳んで頭に括りつけておくんだぜえ」

「なぜだ?」

「もし後から誰か入ってきたとき、籠の中に脱いだ服があるってのに風呂場に誰もいなかったら不自然だろうがあ。おいおい、頭を使えって言ったばかりだぜえ?」

「ふむ、なるほどな」


 ヤニクに言われるまま、アルは脱いだ衣服を畳んで頭に括りつける。


「準備はできたなあ? じゃあさっそく潜入するぜえ」


 浴場への扉を開けると、途端、温泉特有の匂いと熱気が押し寄せてきた。ヤニクは軽く目を細め、周囲を見回して先客がいないのを確認する。それから耳に神経を集中し――


「よしよし、女の子たちはちゃんと入ってるみてえだなあ」


 遠くから聞こえる少女たちの声を聞き、満足そうに頷くのだった。


「おい、あんちゃん。あんた、あそこは登れそうかあ?」


 ヤニクが指さしたのは男湯と女湯の堺――背の高い岩場だった。旅館側も情緒を損なわないようなるべく本来の姿を維持しているようだが、並の人間では男二人が強力したとしても乗り越えられない形に加工されている。

 禁断の境界を越えるにはその岩場を登る必要があるため、ヤニクはアルに問うたのだが――


「登れるぞ」


 アルは事もなく答える。


「要はあの上に行けばいいのだろう? 簡単なことだ」

「よっしゃ。やっぱ俺、今ツキまくってるぜえ」


 アルはふわりと身体を浮かせて音もなく岩場の頂上へと到達すると、今度は手をヤニクへとかざす。すると彼の身体も浮き上がり、驚いている間にアルのもとへと引き寄せられる。


「す、すげえ……。まさかとは思ってたけど、あんた魔術師だったんだなあ」

「まあ似たようなものだ」

「くくっ。ではさっそく……」


 こっそりと女湯を見下ろすヤニク。ついに念願叶い、少女たちの入浴姿が――


「……あ、あれ?」


 当然ではあるが、水蒸気の比重は低いため空へと上っていく。その水蒸気が外気で冷やされて細かな液体の粒――つまり湯気となる。

 ともすれば、彼女たちより高い位置にいるヤニクの目の前には分厚い湯気の膜ができ、結論として彼は下の様子がまったく見えない状態になるのだった。


「な、なんだよこれっ。なんにも見えねえじゃねえかあ」


 両手を大きく振ってみるも、その効果はまったくない。


「おい、あんちゃん。あんたの力でこれも何とか……、あれ?」


 隣を見ると、それまでそこにいたはずのアルの姿がまるで湯気に溶けてしまったかのようにすっかり消えていた。今、岩場にはヤニクしかいない。


「あんちゃん……。おい、あんちゃん。どこだよお?」


 その時、視界の端に人影が入ったような気がした。

 自分よりはるか下方、どうやら岩場を下っているようだ。


「ま、まさか女湯に降りるつもりかよおっ? おい、あんちゃん。それは駄目だ。姉ちゃんたちに見つかる前に早く戻ってこいよおっ」


 しかしその声はアルに届かなかったらしく、彼はどんどん降りていく。

 やがて彼の姿は湯気の中にすうっと消えてしまった。


「マジかよ……。どうなっても知らねえぞお、俺は……」


 そして女湯へと辿り着いたアルは、顔の半分を出した状態で目だけ動かして状況を探る。湯に浸かっているのは一人。そして外で身体を洗っているのが一人。どうやらこちらも二人だけのようだ。

 ここで敢えて問題を挙げるとするならば――


「ア、アルさん……?」


 湯に浸かっていた一人、シスタノに見付かったということくらいだ。

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