071 視線04
「ああ、とってもいいお風呂だったわ」
「お肌がつるっつるになりましたねえ」
風呂から上がり浴衣に着替えたレインとシスタノは部屋に戻ると、寝転がったり窓からの景色を眺めたりして思い思いにくつろぎ始めた。
アルがカードの束を見せながら何か言っていたようだが二人の耳には届かない。身も心も蕩けるようなあの幸福な時間の余韻に浸り、これがあと二日も堪能できることにうっとりしている――つまりは心ここにあらずというわけだ。
「おい、お前たち。また風呂に入るとしてもそれまで暇だろう? だったらここに面白いカードゲームがあるぞ。ここはひとつ、これで遊んで時間を有意義に使うというのはどうだ?」
「ああ、とってもいいお風呂だったわ」
「お肌がつるっつるになりましたねえ」
「…………」
まるでそういう病気にでもかかったかのように同じセリフを繰り返す二人。
言葉どおり夢見心地のまま、次第に日は傾いていった。
最後のひとつとなった魔封石の魔法を解放すると、ヤニクの身体はすうっと消えていく。もしもの時のために残しておいた『透過』の魔法の効果だ。
ただこれにはひとつ欠点があり、魔法のかかった人間は透明になるものの、身につけている服や武具の類はそのまま残ってしまうのだ。そのためヤニクは旅館の陰で衣服をすべて脱ぐ必要があった。
「ま、まあ女の子の裸を拝もうってときに自分だけ服を着てるってのも失礼な気がするしなあ。いや、むしろその方が余計興奮するってもんだぜえ」
旅館に侵入し、何食わぬ顔で廊下を進む。最初こそ誰かとすれ違う際に身構えもしたが、慣れてしまえば平気なものだ。服を着ていないことも忘れてどんどん奥へと歩く。
「おや? あれは……」
突き当たりの丁字路を横切る二人の少女。
見間違えるはずがない――あれは乗合馬車でずっと一緒だった少女たちだ。
彼女たちは旅館の浴衣に着替え、上気した身体を揺らしながら満ち足りた様子で歩いていく。
「風呂あがりか……。ちっ、タイミングがズレたぜえ」
しかし時間帯としてはまだ夕食前だ。あれほど温泉を楽しみにしていた彼女たちが食事のあとに再び入らないわけがない。
あの少女たちはまた現れる。それまでしばらくは我慢だ――ヤニクは自分にそう言い聞かせ、それでもとりあえずは部屋の位置を把握しようと彼女たちの背後からこっそりと後をつけるのだった。
「二人とも帰ってきたか。よし、ではさっそくカードゲームを……」
「わあ、すごいご馳走じゃない!」
「ここは海が近いですからねえ。魚介料理がほんとに美味しそうですっ」
「…………」
表情こそ変わらないもののどこか浮かれた様子のアルには目もくれず、レインとシスタノはテーブルに並んだ数々の料理に感嘆の声を上げる。
「じゃあいただきましょうか」
「そうですね。実はわたし、さっきからだいぶお腹がすいてまして。えへへ」
座椅子にゆったりと座って食べ始める二人。
そんな彼女たちをアルは無言で眺めていたのだが――
「何ぼうっとしてんのよ、アル。あんたも早くこっちに来なさいよ」
「アルさん、これすっごく美味しいですよ」
笑顔で自分の隣の席を指すレインと、手招きするシスタノ。
「……ああ。いま行く」
手にしたカードの束をしまい、アルは二人の待つテーブルへと向かうのだった。
部屋の中でそんなやり取りがされているとは知ることもなく、ヤニクは部屋の扉から離れた場所で少女たちが出てくるのを待っていた。
魔力の感知能力がやけに高い男と、そんな彼を平気で足蹴にする少女――彼らはきっと腕も立つはずだ。ヤニクはそう確信している。
「あまり近付いたら気配でバレるかもしれねえしなあ。最悪、あの男が俺の透過の魔法を解いちまったら大惨事だ。なにしろ全裸の男が突然現れるんだからなあ」
ヤニクの推測は正しい。だが、正しくはあれど万全でないのも事実だ。
レインやアルが浮かれることなくいつもどおりであったなら、このくらいの距離ではあっという間に感知されてしまうだろう。もしレインの機嫌が悪ければ、冗談ではなく数ヶ月は寝たきりになるのを覚悟した方がいいくらいだ。
「……おっ、出てきたなあ」
どのくらい待っただろうか。部屋の扉が開き、中からお目当ての少女二人が顔を出した。内ひとりは顔を真っ赤に染め上げて、もう一人の少女に肩を借りている。おぼつかない足取りを見る限り、どうやら彼女は酒に酔っているようだ。
「ちょっとレインさん、ほんとにお風呂行くんですか?」
「行く行くう! お風呂が私を呼んでるんだものお」
千鳥足でよたよたと自分の前を通過する二人を見やり、ヤニクはほくそ笑む。
「くくっ。あの調子なら風呂に着くまでに時間がかかりそうだなあ。だったら俺のやることはひとつだぜえ」
そうつぶやくと、彼は少女たちに背を向けて二人が出てきた部屋を見つめる。
「ちょいとばかり荷物を拝見させてもらうぜえ……」
しかしヤニクは知らない――その部屋にはまだ最も厄介な男がいることを。





