070 視線03
上級階級が通う超有名な温泉宿と聞いていたからよほど豪奢な佇まいなのだろうと予想していたが、それに反して外観はごくありふれたものだった。
魔物対策としての柵こそ強固ではあるが、中に入ってしまえば普通の旅館だ。
「ふうん、あまり気取ってないのは好感が持てるわね」
よく磨かれた床を歩きながらレインは零す。仲居の少女に案内された部屋も広く小ざっぱりとしているが、どこか落ち着いた雰囲気を感じることができる。
これほど居心地の良い空間に二泊もできるなんて、ひょっとして自分は今年の運をすべて使ってしまったのではないだろうか――そんなことまで思ってしまう。
なのだが――
「……問題はこいつだけね」
部屋のテーブルを見やり、レインは言う。そこには備え付けの茶をすするアルの姿があった。視線に気付いてこちらを向き、それから何もなかったかのように再び茶をすする。
そう。彼もレイン、シスタノと同室なのだった。
馬車が停留所に到着すると、さほど遠くない距離に旅館を見つけた。
レイン、アル、シスタノ、そして初日以来なぜか元気をなくしてしまったヤニクの四人はそこで下車し、ヤニクは宿から少し離れた海の方へと歩き去っていった。レインたち三人は意気揚々と旅館の門をくぐったのだが――
「申し訳ありません。本日は宿泊チケットをお持ちのお客様を除いて満室となっておりまして。相部屋でよろしければご入館いただいても構いませんが……」
そんなわけで、チケットの範囲である二人と現金払いによる一人はひとつの部屋に案内されたという状況である。
「これじゃあアルだけ外で待たせといても良かったわね」
「さ、さすがにそれはアルさんが不憫すぎますよ。ここのチケットだって元々は彼が手に入れた物ですし……」
呑気に茶を楽しむアルを半眼で睨むレインを、シスタノはまあまあと宥める。
「まあいいわ。こいつが何か変なことをしてくるとは思えないし、お風呂も男女で分かれてるしね」
「そうですよ。それよりレインさん、さっそくお風呂に行きませんか?」
まだ昼を少し回ったばかりだが、シスタノは早く噂の露天風呂に入りたくて仕方がないらしい。レインを急かしながら、自分はすでにタオルと木綿地の浴衣を手にしている。
いつになく積極的なシスタノに感化されたのか、レインも「それもいいわね」と腰を上げた。
「わたし、露天風呂なんて初めてなんですよ。もうワクワクしちゃって」
「私だって初めてよ。なんだか緊張しちゃうわよね」
そんな少女二人の背を眺めていたアルは座椅子に座ったまま、
「なんだ。もう風呂に行くのか?」
「当然じゃない。せっかくの温泉旅館なんだもの。私たちの気力が溶けるまで何度でも入るわよ」
「そうか。では俺はここで待つとしよう」
そう言ってザックの中からカードの束を取り出した。
「何それ?」
「ふふん、聞いて驚け。最近シュティーリアで流行っているというカードゲーム、『シゲルモフ・カードバトル』だ。夜にでもお前たちと遊ぼうと思って街の玩具屋で購入してきたんだ」
「ふうん」
「これはな、互いの手札を一枚ずつ出し合い、相手を牽制しながらいかにモフモフポイントを獲得できるかという画期的な……」
「あ、そういうのいいから。じゃあお風呂行ってくるわね」
「……分かった」
胸を張って説明し始めたアルの話を早々にぶった切り、レインとシスタノの二人はいそいそと部屋を出ていく。一人残されたアルは無言のままカードをシャッフルし、自分の手札として数枚を手元に配る。
「ふふふ、自主練を欠かさない俺にひれ伏すあいつらが見えるようだ」
あくまで今夜カードゲームで遊ぶつもりのアルは、誰もいない部屋で一人、暗く笑うのだった。
一方、脱衣所に到着したレインとシスタノはこれ以上なく興奮していた。
落ち着いているふうに振る舞おうとして余計に力むので、なかなか服を脱ぐことができない。
先に下着を脱ぎ捨てたのはシスタノだった。レインより若干小振りな胸をタオルで隠し、「先に行ってますね」と残して引き戸を開ける。
「ちょ、ちょっと待ってシスタノっ。私も……」
「中で待ってますっ」
慌てるレインに振り返ることもなく、シスタノは人生初の露天風呂へと第一歩を踏み出したのだった。
しかし少女二人は気付いていなかった。
「……くくっ、やっと一人になれたぜえ」
旅館の外――海の方へと去っていったはずのヤニクは口の端を上げる。
「停留所ではあの無愛想な男のせいで散々な目にあったが……。単独行動が可能になった今、今度こそあの可愛い姉ちゃんたちの恥ずかしい姿をこの目に焼き付けてやるぜえ」
その手には新たな魔封石が握られていた。





