006 邂逅06
「おい、オレはまだここを出るなんて一言も言ってないぞ」
「うっさいわね。どうでもいいから早く私の装備を返しなさいよっ」
レインの読みが正しければ――いや、間違えることはないだろう。魔王を名乗るこの青年は、腹心たるエンダナの操り人形だ。それ以前の記憶を奪われ、己が何者かも分からないまま恐怖の象徴として祭り上げられた、ただの人形。
なぜエンダナ自らが軍を率いず、その役目を彼に押し付けたのかは分からない。だがアルの話を聞く限りでは、十中八九、黒幕はエンダナだ。
「あんたはエンダナにいいように操られているの。早くそいつの手から逃れないと取り返しのつかないことになるわよ!」
「……お前、ひょっとしてエンダナを悪く言っているのか?」
目に見えて不機嫌になる魔王に、レインはしまったと舌打ちする。
彼にとって、エンダナは最も信頼の置ける人物だ。二人きりで生活をしているとなれば、その信頼は唯一と言ってもいい。そんな仲間を否定されたのだから、彼としては面白くないのだろう。
レインとも表向きはいくらか打ち解けてきたとはいえ、彼女とエンダナのどちらを信用するかと問えば、もちろん後者を選ぶに違いない。
説明している暇はない。しばらく戻ってこないとは聞いているが、魔王の腹心である以上、その言葉を鵜呑みにすることはできない。いつ心変わりして戻ってくるとも知れないのだ。
「あんた、魔王になって何年よ?」
「む。多分三年くらいだ」
やはり街に襲い来る魔物の数が激減した時期と符合する。
「じゃああんたは三才。私は十六だから、私のほうが年上ね。お姉さんの言うことは素直に聞くものよっ。ほら、私の装備!」
早口でまくし立て、どこかに隠したという剣と鎧を催促する。
もし彼が返さないと言うのなら、それはもう諦めるつもりだった。もともと一人で脱出するときは捨てていく算段だったし、だから今さらどうしても返してほしいというわけではない。
国王から預かり受けた由緒正しい装備ではあったが、命には変えられない。
「待て、レイン。本当に出ていくのか?」
住めば都という言葉もあるが、彼が三年も生活してきた住み家だ。そりゃあ愛着もあるだろう。エンダナとの思い出だって数えきれまい。
レインだって、その気持ちは分からないでもない。彼女も魔王討伐の命を受け、住み慣れた街を旅立ったのだから。彼の執着を凌ぐ口実を今すぐ用意しなければ、アルはきっと納得しない。後になってあれこれと後付けしたところで、そんなものにはなんの意味もないのだ。
「わ、私が……」
知恵を絞る。こんなに頭を使ったのは、一体どのくらいぶりだろう。
アルがちゃんと納得し、ここを出てもいいと思える理由。それはつまり、レインにとっての口実で。
いくら考えても正解は導けない。まるで混乱の魔法がかかったかのように、頭の中に大きな渦が巻いている。だから――仕方なかったのだ。苦悩の果て、ようやく思いついたその案をよく吟味する余裕など、彼女には欠片も残っていなかった。
「私が……、あんたの記憶を取り戻してあげる!」
そう口にしてから、己の失態に気付く。
できるあてのない口約束なんて、誰が信用するものか。
しかしアルはというと、目を大きく見開き、どこか期待に満ちた様子で、
「……お前が? できるのか?」
まじまじとレインを見やる。
こうも見つめられると、罪悪感が半端ない。このまま嘘を吐き通して連れ出してしまえばいいものを、彼女は首を大きく振って否定する。
「し、知らないわよっ。でもこんなところにいつまでも引きこもっていたら、絶対できっこないわ。あんたはもっと、外の世界を知らなきゃいけないのっ」
「そうか……。たしかにお前の言うことにも一理ある」
あごに手を置き、視線を落としてしばらく考え込んでいたアルだったが、やはり一人では結論が出せなかったのか、もう一度レインを見やる。それはどうにも魔王らしからぬ、一抹の不安が混じった眼差しだった。
「……取り戻せるかな。オレの記憶」
「いま言ったとおりよ。どうすればあんたが記憶を戻すかなんて、私にはまったく分からない。でもね――外に出ればいくらだって情報は手に入る。あんたが過去を思い出す可能性は、けしてゼロではないわ」
一番手っ取り早いのは、アルから記憶を奪ったと思われるエンダナを探し出し、彼女から直接取り戻すことだ。だが、手っ取り早くはあっても、それは最善手ではない。悪手と言ってもいいだろう。
まず、彼女の能力が未知数であること。そして、彼女の手によって再びアルが敵に回ってしまう危険があること。エンダナを心から信頼している彼のことだ、その可能性は大いにある。
「いいわ、私も手伝ってあげる」
覚悟を決め、レインは言う。
「アル。私と一緒に、あんたの記憶を取り戻しましょう」
相手は魔王。自分などでは到底歯が立たない、圧倒的魔力の持ち主だ。その彼と約束を交わすとなれば、それはけして反故にできない魂の盟約となるだろう。
約束が果たされるまで、あるいは自分の命が尽きるまで、それは続く。彼自身がどう捉えているかは知らないが、魔王と約束を交わすというのはそういうことだ。
「……ふむ、いいだろう。自分が魔王になる前の記憶というものに、オレもわずかばかり……、いや、ちょっとばかり? いやいや、ほんのちょーっぴりだけ興味があるしな」
「…………」
「ん? どうした、レイン。お前の願いどおり、このオレが直々に出向いてやると言っているんだぞ」
「あんたって結構分かりやすい性格してるのかもね」
魔王城――どちらかと言えば一般的な家屋ではあるが、ともあれ、屋内から漏れ出していた明かりが消える。月も星もない闇の大地の中を、さらに濃い二つの影が忙しなく動き始める。