052 かかと03
それは人のようで人ではなかった。
レインよりひと回り小柄な体躯。手のひらは赤く染まり、一見して異形の者だと分かる血の気のない真っ白な顔には赤や青の線が縦横無尽に踊っている。
奥に目をやれば、椅子に座らされた女性が机に突っ伏した状態でぐったりとしている。恐らくこの魔物がやったのだろう。
「くっ……!」
背後に跳んで距離を取ろうとするレインだが、悪いことに通路は狭かった。すぐ後ろにいたアルにぶつかり、あやうく転倒しそうになる。
「ちょっと、アル! 何ぼさっと突っ立ってんのよっ」
「いや、逆に訊きたいんだが、お前は何を焦っているんだ?」
心底不思議そうに首を傾げるアルに、レインは苛立ちを隠せない。
「何ってあんた、目の前に魔物がいるのよ!」
「魔物? どこだ?」
ひょっとして彼には見えていないのか――背筋に冷たいものが走る。
今まで数々の魔物と戦い、中にはゴーストの類もあったのだが、自分だけにしか見えない魔物というのは初めてだった。なんだかピンポイントで呪われてしまうのではないかと不安になってくる。
そうしている間にもレインにしか見えない魔物はじりじりと近付いてきて。
「そ、そんなあ……」
剣で斬れるか否かの問題ではない。そういう物理的な話ではないのだ。
レインは一歩、また一歩と下がってしまう。
そして魔物がついに彼女と目と鼻の先まで近付く。レインは声にならない絶叫を上げて――
「……こんな所で何をしているんだ、シスタノ」
アルの言葉で我に返る。
シスタノ。アルは間違いなくそう言った。
恐る恐る魔物の顔を凝視すると――
「すみません、アルさん。わたし、ここでお化粧の練習をしてて……」
魔物――もといシスタノはそう言って頭を下げるのだった。
机に突っ伏して動かなかった女性を起こすと、それは見覚えのある顔だった。
初見ではレインの胸を貶し、彼女の実力を知った途端に平身低頭の姿勢を取った女性従業員、ヴィータである。
「シスタノちゃんに頼まれて、毎日店の仕事が終わってからお化粧の仕方を教えているんですよ。あはは……」
そう答えるヴィータには生気がない。シスタノの化粧ほどではないが、こちらもまるで幽鬼のようだ。
ちなみにシスタノはすでに化粧を落としている。ヴィータに成長を見せてからという彼女にレインが「お願いだから早く落として」と半泣きで懇願した結果だ。
「あんた、何でそんなに元気なさそうなのよ。悪いものでも食べた?」
そう問うレインに、ヴィータはどこか遠い一点を見つめながら答える。
「あの後――アルさんからご指導をいただいた後、なんかウチの店長さんが目覚めちゃったみたいで。接客や料理、掃除にいたるまでものすごく厳しくなったんですよ。おかげで他の従業員たちも毎日ぐったりしちゃって……」
なるほど。すべての元凶はアルだったというわけだ。
「でもシスタノちゃん可愛いから、どうしても力になってあげたくて。それで毎朝お仕事が終わってからあたしだけここに残って、お化粧を教えてるんです」
「そ、そうだったの。でもそのせいで身体を壊して仕事に影響が出ちゃっても悪いし、シスタノへの指導は今日まででいいわ。今までありがとう」
あと数日もこんなことを続けていたら本当にヴィータが倒れてしまいそうだ。
彼女に礼を告げ、レインたちはハンマーズを後にしたのだった。
そして宿への帰り道。
シスタノは残念そうに口を尖らせている。
「あーあ。せっかくお化粧も上手くなってきてたのになあ。ヴィータさんに見せてあげたかったです、わたしの成長した姿」
「……見せなくて正解だったと思うけどね」
「ええー?」
レインが魔物と見間違えるほどの凶悪な仕上がりである。もしヴィータがそれを見たら、それこそ本当に倒れて寝込んでしまっていただろう。
まだ不満そうなシスタノを見やり、レインは言う。
「ところで、なんで急にお化粧なんてしようと思ったの? まだ十三歳じゃない」
「……笑いませんか?」
「少なくともアルは笑わないわよ」
「レインさんに訊いてるんですけど……」
しばし考える様子を見せたシスタノだったが、意を決してこう答える。
「わたしを仲間に入れてくれた時、レインさんはわたしに『あなたは大人だ』って言ってくれましたよね。わたし、その言葉がすごく嬉しくて。だからお化粧したらもっと大人っぽくなって、また褒めてもらえるかもって思ったんです」
その言葉は憶えているし、その思いも変わっていない。
自分やアルより彼女はずっと大人で、何かとヒートアップしがちな自分や常識を知らないアルを諌めてくれる貴重な存在だと思っている。だからこそ彼女を仲間に誘ったのだ。
でも、とレインは思う。
「そういう外見の大人っぽさはいらないわよ。私とアルが望んでるのは今のままのあなたなんだから」
「今のまま?」
「そう。だから変に背伸びしなくてもいいの」
アルへと視線を移すシスタノ。彼の思いも知りたいのだろう。
二人の後ろを歩いていたアルは「そうだな」と頷いた。
「背伸びをすればその分見える景色も違ってくるのかもしれん。より遠くまで世界を見渡せるようになるのかもしれん。だが、それは同時に危うくもある。つま先で立っていると少し押されただけで倒れて怪我をしてしまうからな」
そう。だから願わくば――
「背伸びなどする必要はない。ちゃんと地にかかとをつけ、倒れないように力一杯踏みしめていろ。それが自分らしい生き方となり、やがて強さになる」
「……はいっ」
彼の言葉に感動したのか、シスタノは目を輝かせている。
今度はアルに人生を学ぼうなんて思わなきゃいいけど、なんて。
二人のやり取りを耳に入れながら、レインは苦笑するのだった。
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