005 邂逅05
食事が終わると、アルは紅茶を淹れてくれた。謎の葉っぱをよく揉んで酸化発酵させたもので、出処にさえ目を瞑れば味に申し分はなかった。得意気に語る彼の話によると、萎凋や揉捻、篩い分けなどの工程を正しく踏んでいるらしい。
素人のレインからすれば美味しければ何でもいい話なのだが、その味を出すために自分がどれだけ拘っているかを、彼はなんの面白味もなく滔々と語るのだった。
「さて、レイン。落ち着いたところでひとつ訊きたいのだが」
カップを置き、正面に座る少女剣士を見やる。
アルにそのつもりはないのだろうが、心の中を見透かされているような錯覚さえ覚える。それはレインに二心があるからか、それとも魔王の眼力からか――レインは反射的に身構え、それを悟られないよう、努めて何気なく視線を返す。
「うん、何?」
「お前がここを訪れた理由だ」
それを彼が知らないはずはない。なぜならすでに一度、レインは彼に剣を向けているのだから。
だからアルが訊いているのは、きっとその先のことだ。今でも自分の命を狙っているのか、それともこのままおとなしく帰るのか。そんなところだろう。
もちろん後者を選択したところで、無事にここを出られる保証はない。どれだけ無警戒に見えても、彼はやはり魔王なのだ。自分を討ちに来た人間をすんなり帰すとは思わないほうがいいだろう。
「初めて会ったときに言ったはずよ。私はあんたを倒しに来たの。人間の敵である魔王アルヴァリオス――あんたをね」
剣だけを振るってきたレインにとって、正直駆け引きは得意ではない。今までは剣の技術と腕力さえあれば誰とでも渡り合えたし、分かり合えない相手であれば力でねじ伏せ、我を通すこともできていた。
だが、今回ばかりは勝手が違う。相手は明らかに格上の存在なのだ。
筋肉に押し潰されがちな脳をフル回転させ、レインは慎重に言葉を選ぶ。
「でもね、あんたに一回やられちゃってから、私にはちょっと無理かなって思ったの。私がどう足掻いてもあんたには勝てない。思い知らされたわ」
目の前で白旗を上げれば、彼もきっと警戒を解くだろう。
いや、もともと警戒している素振りなんてなかったが、今以上の油断を誘えるのならそれでいい。要は彼の目を盗み、ここを脱出するのに必要なだけの時間を捻出できればいいのだ。
「アル。私はもう、あんたに抵抗しない」
そう言って肩をすくめてみせると、アルは「そうか」と頷いた。
「それを聞いて安心した。いや、久しぶりに力を振るったものだからな、どうにも加減ができないんだ。もし今度お前が襲ってくるようなことがあれば、そのときは殺してしまっていたかもしれない。これでゆっくり休めるよ」
あっけらかんとそう言い放つアルに、レインは背筋の凍る思いだった。
もともと逃げ出すつもりだったからよかったものの、もし再び彼に挑んでいたらと思うと、緊張で紅茶の味も分からなくなる。
「ではそろそろ休もうか。エンダナはしばらく帰ってこないから、今夜はさっきの部屋を使ってくれていいぞ」
「エンダナ?」
そういえば、初めて会ったときもその名前が出てきたような気がする。
「エンダナって、一緒に住んでる人?」
「ああ、オレの配下だ。よく頭の回る優秀なやつだぞ」
なるほど、先ほど自分が眠っていたのはエンダナという人物の部屋だったのか。
物が少なく、あまり生活感のない部屋だったが、ひょっとしてよく長期の外出をしているのだろうか。仄かに感じた甘い香りは女性のもののようだったが……。
「ふうん。あんたの右腕ってわけね」
「そうだ。エンダナはいろんなことをオレに教えてくれる。魔物の作り方に従わせ方。空気中に漂う魔力の集め方もあいつから教わった」
「へえ……、ってちょっと待って!」
事も無げに話す中に違和感を抱き、慌てて待ったをかける。
「魔物の作り方って……、あんた魔王でしょ? 初めから作れたんじゃないの?」
「オレが魔王になったのは、まだ数年前のことだ。当時は本当に何も知らない素人魔王だったからな、エンダナには感謝している」
「数年前……」
たしかここ数年、それまで苛辣を極めていた魔物勢の進行が、目に見えて鈍っていた。もちろん街への攻撃はあったが、しかしそれもごく少数で、青年団の手でも十分に対処できていた。
それは彼が魔王になったという時期と符合するのではないだろうか。
「そ、それ以前はどうだったの? あんたはどこで何をしていたの?」
「さあな。気がついたらオレは魔王になっていた。それより前の記憶はない」
「そんな……」
目を見開き、愕然とこぼす。
アルの話がもし真実なら、レインが本当に倒すべき敵は――
「エンダナ……」
アルヴァリオスを魔王へと導いた者。エンダナこそが、人間たちを真の恐怖へと叩き落とした存在だという。もしかすると、アルが魔王以前の記憶を持っていないことにも関係しているかもしれない。
「どうした、レイン。急に黙りこんで」
エンダナがいつ戻ってくるか分からない以上、躊躇している時間はなかった。
不思議そうに自分を眺めるアルに、レインは立ち上がって言う。
「アル。今すぐここを出るわよ!」