048 高級店04
酒を飲み始めたあたりからの記憶がない――目を覚ましたレインはぼうっと天井を眺めたまま思い出そうとするが、頭がズキズキと痛んでそれどころではない。
ゆっくりと上半身を起こすと、そこは見慣れた宿屋の一室で。
「ああ、そうか。私また酔っ払って寝ちゃったのか……」
ベッドの下には乱雑に脱ぎ捨てられた衣服。それは昨夜着ていたものだ。
部屋に誰もいないのを確認してから布団をめくると、そこにはやっぱり何も着ていない自分の裸があって。ひどく酔うと服を全部放ってしまう癖があるのは知っていたが、これではおちおちアルと酒を飲むこともできない。
「ん、アル……? そうだ、あいつ帰ってきたのかしら」
部屋にいないのならば街を散策しているのだろうか。しかし窓の外はまだ早朝のようで、露店のひとつすら店を開けていない。散歩好きな彼のことだからその辺を意味もなくぶらぶら歩いていても不思議ではないが、だったら書き置きのひとつもしたためていくはずだ。
何もないテーブルを見やり、レインは首を傾げる。
「まさかまだ帰ってないなんてことは……、さすがにないわよねえ」
あの無礼な高級店に行ったのが昨日の夕方。あれからもうどれだけ経っているというのか。
とりあえず服を着ようとベッドから床へと足を下ろしたその時――
「レインさん、おはようございま……」
ノックもせず入ってきたシスタノが挨拶の途中で固まる。次の瞬間、ものすごい勢いで回れ右をすると、背後のレインに頭を下げた。
「す、すみません! まだ寝てるだろうと思ってノックもせずに……!」
「……いいわよ別に。女同士なんだし。気を遣わせちゃって私こそごめんね」
シスタノの背を見ながらレインは衣服を身につけていく。全部着終わったところで「もういいわよ」と声をかけた。
「あの、アルさんは?」
振り返りざまシスタノが問う。彼女なりに気にしてくれていたのだろう。
しかし彼の所在を知らないレインは首を振るしかできない。
「きっとあいつはあのウェイトレスたちに鼻の下を伸ばしながら朝まで飲み明かしてたに違いないわ。ひょっとしたらまだ飲んでるのかもしれないわね」
「いや、さすがにお店は閉まってると思いますが……」
「どうだかね。とりあえず夕方まで待っても帰ってこないようだったら、もう一度あのお店に行くわよ。……今度はちゃんと武器も持っていくから」
震え上がるシスタノに構わず、レインは昏い笑みを浮かべるのだった。
そして夕方――アルはまだ帰ってこない。
あれ以降シスタノが部屋の扉の前に陣取っているのは、レインが暴走してここを飛び出していくのを阻止するためだろう。まあもし本当にそうなった時は止めようとしても出来るものではないのだが。
「行くわよ、シスタノ」
剣を手に立ち上がったレインの前に、シスタノが両手を広げて立ち塞がる。
「落ち着いてください、レインさん! アルさんは女の色香に惑わされるような人じゃないです。アルさんを信じてもうちょっとだけ待ってみましょうよ」
「ごめんね、シスタノ。私はもう十分待ったわ」
レインの意志は固い。このまま彼女を放っておけば、最悪の場合、あの店で何人もの怪我人が――いや、もしかすると死人すら出るかもしれない。
シスタノは広げていた両手を下ろし、まっすぐレインを見上げて言った。
「……分かりました。じゃあわたしもついていきます」
それからしばらくして、二人は例の店の前に到着した。
魔法の光球によって煌々と照らし出された王宮のような佇まい。扉から漏れ出る賑やかな声は、今日は女性のそれが多いようだった。昨日はたしか男性客の歓声が大きかった気がするが。
ともあれレインはドアノブをぎゅっと握る。
もしアルが今日もここで女性従業員たちとイチャコラしていたなら、そのときは何のためらいもなく彼の頭を思い切りぶん殴るだろう。昨日の店員がちょっかいを出してきたら多少の怪我を負わせてしまうかもしれない。そしてそのすべての罪をアルに被せるかもしれない。
「レインさん……」
「行くわよ」
力を加えると扉は音もなく開き――
「おい、三番。声が出ていないぞ。もっと腹から声を出せ」
「いっ、いらっしゃいませええええ!」
「五番。動きが悪いぞ。テーブルの位置を的確に把握して最短ルートで向かえ」
「はいいいい!」
「厨房。なんだこの料理は。こんな出来損ないを客に出すな。即刻作り直せ」
「わ、分かりましたああああ!」
「おい、そこの黒服。いつまでそんな所で突っ立っているつもりだ。手伝え」
「了解であります!」
従業員たちを番号で呼び、中央のテーブルに立って指示を出し続けるアルの姿がそこにあった。よく見れば昨夜レインたちを蔑んだあのウェイトレスも涙目で走り回っている。そしてそれを黙って見守るしかない客たち。
店内にはアルの指示と従業員たちの悲痛な叫び声ばかりが響いているのだった。
「な、何これ……」
「レインか。よく来たな。さあ、接客してやるからそこに座るがいい」
驚愕するレインに気付き、アルは席を勧める。
「お前たちはチケットをまだ使っていないからな。今日は無料でいいぞ」
「いや、そうじゃなくて……。なんであんたが店員に指示を出してんのよ」
「うむ、実は昨日お前たちが帰った後にここで飯を食ったのだが、それが思いの外ひどい味でな。接客態度も目に余るものがあったことだし、オレが直々に手ほどきをしてやっているというわけだ」
胸を張ってアルは答える。間違ったことなど何ひとつしていないといった顔だ。
「全員の根性が歪んでいたからな。昨日の夜からずっと指南してやっている」
「え、誰も寝かせてないの?」
「無論だ。抗議してきた従業員たちと殴りかかってきた黒服たちはすべて力で捻じ伏せてやった。今はこのとおり従順なものだ」
そうだったんだ――レインは内心安堵する。若干の不謹慎はあるが。
彼が部屋に戻ってこなかったのは、ここでずっと従業員たちをレストランとして正しい道に導こうとしていたからなのだ。
それなのに自分はどうだ。シスタノがあれほどアルを信じろと言ってくれたのにまるで信じようとせず武器まで持ち出して。これではどちらが魔王か分かったものではない。
そんなアルを殴ろうとしていた自分が本当に浅ましくて――
レインの反省に背を向け、アルは従業員に声を上げる。レインを指さして。
「いいか、お前ら。昨日までのような弛んだやり方を続けていたら、いずれこの女のようになってしまうんだぞ。彼女はすべてが雑だ。炊事も洗濯も掃除も何ひとつ満足にできやしない。お前らはこんな人間になりたいのか」
そんなアルを殴ろうとしていた自分が本当に浅ましくて――でも今は殴っておくべきだよね、なんて。
昨晩から溜めに溜めたストレスを爆発させるように、レインの拳はアルの脳天に見事に炸裂したのだった。





