044 朱月石10
いつの間にか気を失っていたらしい。
顔を上げようとしても叶わず、自分がアルの肩に担がれていたことを思い出す。
「……アル」
「起きたか。もうすぐ出口だからそれまで眠っていろ」
「レ、レインさん。あとちょっと、ですから、ねっ」
アルと対照的に息が完全に上がってしまっているのはきっとシスタノだ。他にも数人分の足音が聞こえる。これは上の階層で倒れていたシスタノの仲間たちのものだろう。走れているということはそれだけ回復したということ。手当てをした甲斐があったというものだ。
「みんな後ろに、いますからっ、パンツの心配はしないで、くださいねっ」
「レインの姐御! 俺たち、何もっ、見えてません、からっ」
「…………」
身体の自由が利いていたら全員まとめてぶっ叩いているところだが、残念ながら今のレインにその力はない。言われるがまま、運ばれるがままだ。
「――見えたぞ。出口だ」
アルの声に反応する余裕もなく、レインの意識は再び深くまで落ちていった。
次に目覚めたのは宿屋の一室。ベッドの上だった。
窓から差し込む光に目を細め、怒涛の夜が明けたことを知る。
「起きたか」
アルの声にそちらを向くと、そこにはテーブルでいそいそとレインの衣服を畳む相棒の姿があった。彼は魔物と戦っているときよりも掃除や炊事、洗濯をしているときのほうが断然輝いて見える。
「あの後、名のある司祭を呼んでお前の回復を頼んだ。彼女が言うには『また私の言いつけを守らなかったな。その腐った性根を叩き直してやるから目覚めたらすぐ教会に来い』とのことだ」
「あー……」
そんな威圧的な言い回しをする司祭にひとり心当たりがある。
「ま、まあそれはまた今度ということで……」
起き上がろうとして、ふと気付く。
アルが衣服を畳んでいるということはつまり――
「大丈夫だ。服を脱がせたのはシスタノだ。汚れたままベッドを使うと別途料金が発生するらしいからな。お前には悪いがオレからシスタノに頼んだ」
布団を胸元にたぐり寄せるレインを見やり、アルは先手を打つ。
どうやら今回は彼が脱がせたわけではないらしい――というか当たり前のように脱がされている現状に寒気を覚えもするが、ともあれ件の司祭のおかげで体調面の問題はまったく感じられない。
「シスタノは?」
「ああ、あいつなら母親のもとに帰っている。薬草が効いたのがよほど嬉しかったのだろうな」
「そっか。お母さん、元気になったんだね。よかった」
「さすがにいきなり全快とはいかなかったがな。それでも死を待つだけだった病人が復調傾向にあるんだ。嬉しくないはずがあるまい」
アルはこちらに歩み寄ると、畳み終えた衣服をレインに手渡す。どうやらこれを着ろと言っているようだ。
「すぐ着るものなら畳まなくてもよかったのに」
「何を言う。綺麗に畳むまでが洗濯だろう。大体レイン、お前はいつも服の扱いが雑なんだ。いや、服だけではないな。食器の洗い方も剣の手入れも、そして何よりオレの扱いも……、何を笑っている?」
アルに指摘され、自分が苦笑していることに気付く。
こんなに楽しい気持ちになったのはすごく久し振りな気がする。昨日街に戻ってきた時にあれほど嬉しいと感じたばかりなのに。一度死にかけているから、もしかするとこれは生き延びられたことへの喜びなのかもしれない。
これから始まる日常にようやく戻ってこられた――そんな安堵感なのかも。
「別に何でもないわよ。それよりほら、着替えるから部屋から出てちょうだい」
「ん? オレはこのままでも構わんぞ」
「私が構うのよっ。さっさと出てけ、この変態魔王」
部屋からアルを追い出し、レインはようやく布団を下ろす。下着はちゃんと着けていたものの、上下とも新しいものに変わっている。恐らくシスタノが全部脱がせたのだろう。
彼女の生真面目な性格は多少理解したつもりだったが、どうやらあの少女は何事もやり過ぎる傾向にあるみたいだ。レインは大きく息を吐く。
「帰ってはこられたけど、ね……」
これですべてが無事に完了したかと問われれば、否と返すより他にない。
ダンジョン奥部で相まみえた魔獣ケルベロス。幻影であるはずのそれに負わされた肩の傷。つまり魔獣は確かな実体としてレインを襲ったわけで。
加えて言うならその幻影を発動させた者の正体だ。幻影の魔法が封じられていた魔石は『力ある言葉』がなければ発動しない――それを成した人物がどこかにいたはずなのだ。
「うーん……。まあ今考えて分かるようなことでもないか」
ダンジョンから無事――ではなかったが生還を果たし、シスタノの母親も回復に向かっているのだから、今のところはそれでよしとしよう。レインは再びベッドに倒れ込むと、窓の向こうから聞こえてくる街の喧騒に耳を傾ける。
こんなにゆっくりと時間が流れるのはどのくらい振りだろう。
「たまにはいいよね、こんな時間も」
目を閉じると温かい眠気がやってくる。今のレインには抗う理由はなかった。
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