021 希少種04
「これはどう?」
「む……。『光』だな」
「正解。じゃあ次はあんたの番ね」
「よし、分かった」
太陽はすでに夕刻の位置まで下がってきている。
仕事が終わるまで待っていろというグニーの指示に従うこと数時間。その間特にやることもないレインとアルは、互いの背に指で文字をなぞり合ってそれを当てるという、なんとも面白味のない遊びに興じていた。
当然、二人の顔には生気がない。座ったまま淡々と同じことを繰り返し、それがもう何十回目になるのかも数えていない。
だからようやくグニーから声がかかっても、喜ぶ気力なんてとうになかった。
「おーい、終わったよー!」
そちらを見やれば、川には小さめの馬車が一台通れる程度の橋が、対岸まで伸びていた。作業をしていた男たちは、自分たちの仕事を満足気に眺めている。
「お待たせ! 終わったよ……って、なんか大丈夫?」
「……大丈夫ですよ。あはは」
「レイン。お前はもっと書字の練習をするべきだ。文字にはすべて正しい書き順、正しい形があるだろう。有り体に言ってしまえば、お前の字は汚い」
アルの苦言はとりあえず無視する方向で、レインはグニーへと顔を向ける。
頭から足の先までずぶ濡れで、衣服からは今も水が滴り落ちている。ザックから取り出した汗拭き用の布でもって髪を拭いているが、村に帰るまでにすっかり乾くとはとても思えない。
そんな中、レインはグニーのある一点を凝視する。
衣服が濡れたせいで浮き出た身体のライン。彼女の胸は女のレインでさえ見蕩れてしまうほど、形も大きさも――
「……って、何考えてんのよ、私っ!」
「どうした、レイン。急に大声を上げて」
「うっさいわね! 何でもないわよっ」
レインの理不尽なそしりに、しかしアルは「分かった」と動じない。
これが魔族と人間族との差なのか、あるいは単に彼がそういう性格なのか、そのあたりは判然としないが、ともあれアルは何も気にしていない様子だった。
「――見てたでしょ」
グニーの声に心臓がびくりと跳ね上がるが、
「これがあたしの仕事だよ」
その言葉に、レインはほっと胸を撫で下ろす。グニーの半分もない胸を。
自分の仕事を見てくれたでしょう――彼女の言葉に、レインは疑問を抱く。
「グニーさんのお仕事って魔物研究家ですよね。なんでこんなところで橋をかけてるんですか? たしかにこの辺りには魔物らしい魔物なんていないですけど」
「……生きていくためにはね、お金が必要なんだよ」
どこか悲しそうに微笑んで、グニーは返す。
「こうして堅実な仕事でもしなきゃお金なんて手に入らない。そりゃあ魔物研究家だって続けたいけど、それにだってお金はいるんだ」
「グニーさん……」
「数年前、ターニャが大きな病気を患って倒れちゃってね。あたしは薬を買いに街まで走ったのさ」
その話は知っている。ターニャから直接聞いた話だ。
結局、薬は手に入らなかったらしいが。
「レイン。君には分かるかな? 大切な妹を助けるために、その妹を残して街まで走らなければいけなかった姉の気持ちが。あたしの気持ちが」
「でも、それなら家にある本は……」
そうだ。彼女がそれほど金に困っているというのなら、あの大量の本はどこから手に入れたのだろう。ひょっとして、彼女を応援する第三者が資金として提供してくれたのかも――
「ああ……。あのとき、親の遺してくれたお金の大半を魔物の本なんかに費やさなければなあ……」
「……おいコラ」
結局、自業自得のようだった。
半眼で睨むレインに気づき、グニーは「まあ、それはいいのよ」と両手を胸の前で振ってみせる。
「あの子がいつまた倒れるかも分からない。本人は完治したって言うけど、それが再発しない保証なんてどこにもないんだ。だからあたしはいっぱい働いて、お金を稼がなきゃいけないんだよ」
「じゃあ、ターニャにもそう教えてあげればいいじゃないですか」
当然の問いに、しかしグニーは苦笑するのだった。
「おい、グニー」
それまで帰宅する大工たちに手を振っていたアルが、不意に口を開く。
「お前が家を空けている間、ターニャが村の外で何をしているか知っているな?」
「……あはは。やっぱりバレてたか」
「ターニャを追って村を出たあたりから、ずっと視線を感じていたぞ。その正体がお前だと気付いたのは、ターニャを連れて戻るときだ。どうせ隠れるなら、もっと上手くやったほうがいいな」
「ご忠告どうも」
三人の中で唯一何も気付いていなかったレインは、訳知り顔で疎通しあう二人を交互に見比べるだけだ。
「あの子が倒れたとき、正直言うと別れを覚悟した――死別ってやつだね。だから彼女が生きててくれたことを知って、本当に嬉しかった。めちゃくちゃ泣いたよ」
「グニーさん……」
「だからあたしは決めたんだ。もう離れない。絶対にあの子と離れるもんかって。ターニャの行動を黙認してるのは、もちろんあの辺りに魔物がいないのを知ってるってこともあるけど、何よりそうすることで――気付かない振りをしてあげることで、彼女がずっとあたしのことを見ていてくれる、離れないでいてくれると思ったからなんだ」
グニーの言うとおり、たしかにこのまま彼女が気付かないでいれば、ターニャはずっと姉のために偽りの希少種を仕立て上げ続けるだろう。しかし――
歪んでる――真っ先に、レインはそう思う。
互いが互いを大切に思い合っているのに。
互いが互いに嘘をつき合っているなんて。
「……ふむ。そろそろ時間だな」
レインとグニーの心境など微塵も考えず、アルはぽつりと言った。
「おい、グニー。早く村に戻らないと危ないぞ」
「え? まあ、さすがに夜中は魔物もちょっとは出るだろうけど……」
「そうじゃない」
不思議がるグニーに、まるで明日の天気を話すような口振りでアルは言う。
「お前の村はもうすぐ、危険な魔物によって崩壊する」





