002 邂逅02
アルヴァリオス――それはたしかにレインが討伐すべき魔王の名だった。
自ら魔王と名乗った青年は手を腰に当て、少女の反応を待つ。それはどこか面白がっているふうでもあった。
どのくらい呆けていただろうか。やっとの思いでレインは声を絞り出す。
「あ、あなたが……、魔王?」
その問いに、青年――魔王アルヴァリオスは「そうだ」と頷く。
それは別段威厳に満ちているというわけでもなく、むしろそわそわとして、まるで人と話せる喜びを悟られまいと、感情を必死に押し殺しているようでもあった。
「しかしこんな辺境に客人が来るなんて初めてだ。なあ、今夜は泊まっていくだろう? 夕食を用意するから、嫌いな食べ物があったら先に教え……」
「ふざけないで!」
ようやく意識が覚醒したのか、レインは叫び、剣を構え直す。
魔王とは数歩の距離。先手さえ取れれば活路はある。幸い向こうは丸腰で、こちらにまるで警戒していない。
「人間の姿になって、私を油断させるつもりだったのねっ。残念だけどその手は食わないわ!」
「いや、さっきまで十分油断していただろう」
「黙りなさい!」
声を張り上げて、魔王の言葉を遮る。若干顔が赤いのは、言うまでもなく彼の指摘が図星だったからだ。
だが、これで相手の魂胆は分かった。魔王は今までにも、訪れた者たち――自分を倒そうと乗り込んできた者たちを人間の姿で出迎え、気を許した彼らを背後から襲っていたのだ。
なんて姑息な手を使うのだろう。仮にも魔王を名乗るなら、それなりの対応というものがあるではないか。真っ向から迎え撃ち、その圧倒的な力量差によって相手を完膚なきまでに叩き潰す。ついでに高笑いがあればなお良い。それが魔王というものだ。だというのに――
「あなたは魔王失格よ!」
剣を構えたまま、レインは言い放つ。
「やってることすべてが小悪党と一緒じゃない。そんな程度で魔王を名乗らないでほしいわっ」
「やってることって……、お前に声をかけただけなんだが」
「うるさい、うるさい!」
もはや聞く耳を持たないレインに、魔王はちいさくため息を零す。
もし彼女の主張が誤りだったとしても、それを正そうとすれば途端に大声で否定されてしまう。これでは会話なんて成り立つはずがない。
「とりあえずオレの話を聞け。一方的に喚くな」
「何よ! 別に喚いてなんて――」
喚いてなんていないじゃない――そう言おうとした。
だが、その言葉は途中で寸断されてしまう。
「聞こえなかったのか? オレは話を聞けと言ったんだ」
怒っている様子ではない。その場から一歩も動いていないし、魔法を詠唱したわけでもない。先程から変わらず腰に手を当て、仁王立ちのままだというのに――彼の魔法は発動していた。
呼吸ができず、指の先すら動かせない。まるで彼女だけ時が止まったかのように、一切の動きが制止されている。
「いいか。お前がオレにどんなイメージを抱いていたかは知らないけどな、まずこれだけは言っておくぞ。オレはお前に危害を加えるつもりは毛頭ない」
危害の最中にある少女に、そう告げる。
「それなのに何だ、お前のその態度は。最近の人間はみんなお前みたいな感じなのか? こりゃあ世も末だな」
世を末に導いているであろう魔王は肩をすくめ、呆れた様子でレインを見やる。
しかしそのレインはというと、今はそれどころではない。彼が説教じみた講釈をのたまっている間、ずっと呼吸を止められているのだ。斬りかかって魔法を解こうにも、身体の自由が奪われていてそれさえ叶わない。
顔色が赤から青へと変わり始めるが、魔王がそれに気付く様子はない。レインがこうして苦しんでいる間にも、彼は滔々と語り続けている。
「……ということだ。おい、ちゃんと聞いてるのか?」
どう反応しろって言うのよ――そう言い返してやりたいが、もちろん声は出せない。あまりの息苦しさから、知らず、涙が流れ落ちる。
「お、なんだ。ちゃんと聞いてるじゃないか。オレのありがたい言葉の数々に感涙するとは、人間もまだまだ捨てたものじゃないな。いいか、今の気持ちを忘れるなよ? 己の愚かさを認め、恥じ、それを乗り越えることで、人は成長していくものなんだ」
今の気持ちを忘れる?
冗談じゃない。この苦しみ、けして忘れるものか。
「おっと、そういえばまだ束縛を解いていなかったな」
途端、身体がふわりと浮く感覚。魔法が解かれたのだ。
しかし――
「げほっげほっ、けほ……。あ、あん、た……」
急激に吸い込んだ空気に盛大にむせ、声にならない。どこか遠くから金属の乾いた音が聞こえるが、それが自分の落とした剣のそれだとは、彼女は気付かない。視界が黒く濁り、そして浮遊感。
意識を手放したレインは、魔王の目の前で倒れ込んだのだった。