017 魔物研究家05
まったくの無防備と言えるくらい、レインは油断していた。
湯浴みなんていつ以来だろう――逸る気持ちを抑えつつ、ターニャに教えられたとおり狭い廊下を折れるとそこが脱衣所だ。
「お邪魔しまーす」
そこに扉はなく、動物の皮と思しきカーテンが一枚吊るされ、廊下からの視界を遮っていた。まあ普段この家にはあの姉妹だけなのだから、このくらいで丁度いいのかもしれない。
奥からは程よい、いっそ懐かしささえ感じる熱さの湯気が漂い、浮かれたレインのテンションをさらに加速させる。鼻歌交じりに腰など振りつつ、彼女は服を脱ぎ始めた。
「いやあ、やっぱりグニーさんについてきて正解だったわね。あ、そうだ。ついでに服も洗っちゃおうっと」
替えの服は脱衣所にあるグニーのものを使っていいと言われている。自分の服は洗濯して外に干しておけば、遅くても明日の昼までには乾くだろう。
旅に出るまでは身体と服を一緒に洗うなんて考えもしなかったのだが、変われば変わるものである。脱いだ衣服と下着を抱え、レインはカーテンを除けて風呂場へと足を踏み入れた。
「わあ、お風呂!」
そりゃあ風呂場に来たのだから風呂があるのは当然なのだが、人ひとりがぴたりと収まる程度の小振りな浴槽に声を上げて歓喜する。
それはグニーの言ったとおり、巨大な魔物の頭蓋骨のようだった。年季が入っているものの、おそらくターニャの手によって丁寧に磨き上げられている。一見してバランスを取る必要がありそうにも思えたが、そのへんは抜かりなく、別の骨片でもって床と繋ぎ合わせ、浴槽が倒れないよう固定してあった。
「おっふろー、おっふろー」
木桶で湯をすくって頭から一気にかぶると、これまでのあらゆる苦難がすべて湯に流されていく感覚を覚える。生きててよかった――それはけして誇張ではなく、彼女の心から沸き上がる感動だった。
「あ、いけない。タオル忘れちゃった」
街で売られているような小洒落たものでなくとも、せめて身体を拭く布があれば助かるのだが――レインはカーテンで仕切られた向こう側に呼びかける。
「すみません。グニーさん、ターニャ。身体を拭くものがあると嬉しいんだけど」
「ここにあるぞ」
「あ、ごめん。ありがとう、アル」
「気にするな。脱衣所にあった」
「そっか。見落としちゃってたのね」
「お前はそそっかしいところがあるからな」
「あはは。今はそんなこと言わな貴様なぜ入ってきやがった!」
狭い浴室の端へと高速で飛び退り、レインは目を見開いた。
その視線の先にはこちらを見やるアルの姿。レインの裸に別段興奮しているふうでもなく、本当にただ布切れを持ってきただけのようにも見える。
「落ち着け、レイン。言葉遣いがおかしくなっているぞ」
「誰のせいよ! あんた、なんで入ってきてんのっ?」
「いや、服を洗濯してやろうと思ってな」
「は? ふ、服を……、何?」
「洗濯だ。今日だって自分で汚れを気にしていたじゃないか」
そういえば例の巨大な馬と遭遇したとき、そんなことを言ったような気がする。それでなくとも太陽に浮かれて何度も転倒しているのだ、一人の少女として汚れは気になって当然だろう。
「……グニーさんとターニャは、あんたがここに来るのを止めなかったの?」
「止められはしなかったな。ひとつ質問はされたが」
「質問?」
レインが落とした衣服を拾い集めながら、アルは答える。
「普段は別々に風呂に入っているのか、と訊かれたんだ」
「それで、あんたはなんて答えたの?」
嫌な予感がする。
「否と答えた。別々も何も、そもそも風呂など入っていなかったからな」
「ああああ、そういうことかああああ!」
アルはそのつもりで答えていても、姉妹はそうは取らなかったのだろう。別々に入っていないということはつまり一緒に入っているということだ――そう曲解したに違いあるまい。どうりでアルをすんなり通すわけだ。
「ところでレイン。お前、歳の割にあまり成長してな……」
「どこ見て言ってんのよっ!」
レインが渾身の力で投げた木桶は、見事にアルの脳天にヒットしたのだった。
「まったく。私があんな馬鹿と一緒にお風呂に入るわけないじゃないですか」
「いやあ、ごめんね。男女の旅だし、そういう関係なのかなって思ってさあ」
「本当にすみません。私ったら誤解しちゃって……」
身体はようやくさっぱりしたものの、残念ながら心までそうはならなかった。ターニャの淹れたお茶をすすりつつ、レインはひとり憤慨し続けている。
「ところでアルはどこに行ったんだい?」
「さあね。知りませんよ、あんなやつ」
家の中でそんな会話がされているとは知る由もなく――
「ふむ、だいぶ綺麗になったな。む、ここにも汚れが……」
村の外を流れる川で、アルはひとり、レインの衣服を洗濯するのだった。
下着は自分で洗うべきだった――レインがそう気付いたのは翌朝である。





