001 邂逅01
たしかに大きくはあったものの、レインが想像していたより、それははるかにこじんまりとした佇まいだった。
町の酒場を三つ並べた程度の、一見普通の家屋。もっとこう、おどろおどろしいというか、禍々しいというか、そういう『いかにも』な城を予想していただけに、どうにも肩透かし感が否めない。
魔王城。
その名のとおり、魔王の住まう城――もとい、家屋である。
雷雲から時折放たれる閃光によって照らし出されるその姿には、魔王というより探偵あたりが似合いそうですらある。連続殺人事件の謎や巧妙なトリックに主人公が挑む、みたいな。
だからこそレインは、しばし呆然と立ち尽くすのだった。
「……何よ、これ。本当にここが魔王城?」
とりあえず城ということにしておく。魔王宅なんて呼ぼうものなら、途端に力が抜けてしまいそうだ。
両開きの扉にそっと手を触れる。剣一筋で生きてきた彼女には、魔力察知の魔法は使えない。実際のところ、扉に何かしらの魔法が付与されていたのであれば、触れたのがたとえ一瞬であったとしても問答無用でそれは発動する。しかしまあ、そこは人間の心理というもので、警戒していればどうしても及び腰になるものだ。
「だ、大丈夫……、かな?」
扉からの反応がないことを確認し、今度は両手を伸ばして左右の扉を引き開ける。重厚な音だったり軋んだ音だったりは、特にこれといってなかった。むしろ引く力も最小で済むような、非常に軽い造りである。
中から仄かに明るい、やさしい光が差してくる。昼から夕方に移る時間帯の、薄い橙色だ。
「……お邪魔します」
自分だけに聞こえるようなか細い声でそう呟き、明かりの灯る屋内へと一歩踏み出したその時――
「む、客人か」
背後から突然かけられた声に、レインは文字どおり飛び上がった。
あまりの衝撃に呼吸が止まり、声が出ない。開ききった全身の毛穴に氷をねじ込まれたような、ありえない冷気。
だが、それも一瞬の出来事だ。レインは大きく前に跳ぶと、すばやく振り返って背中の剣を抜いた。幅が狭く、その分長い刃。一見脆そうではあるが、それは強大な魔力を付与された究極の一振りである。
「でっ、出たわね、魔お……、う?」
しかし、そこに立っていたのはやはり、いかにもな異形の怪物などではなく、町に戻ればどこにでもいるような普通の青年だった。
毛皮のマントも黒光りする鎧もない、ただただ一般的な布の服。黒髪の奥から覗く切れ長の目は、来訪者を威嚇するでもなく、自分に刃を向ける少女を不思議そうに眺めている。
「何をしているんだ、お前」
「あれ……、魔王じゃない、の?」
魔王であれば当然まとっているはずの邪気が、まるで感じられない。
ともすれば――
「そうか。あなた、魔王に攫われたのねっ?」
人間がここにいる理由――それはきっと誘拐されたからに違いない。自分のようにこうして魔王を討ちに現れた者に対して人質として使ったり、過酷な労働を強いたりしているのだろう。
だったら自分のすることはひとつだ。
「もう大丈夫よ。私が魔王を倒すわ。あなたはどこか安全な場所に隠れていて」
先に逃がす手もあったが、彼一人では道中何が起こるか分からない。自分が魔王を討ち、それから二人で脱出するのが最善の方法だ。
「さあ、早く」
「ふむ。お前は魔王を殺しにきたのか?」
間延びした口調からは、助けが現れたことへの喜びや安堵とは違う、どこかおとぎ話を聞いているかのような雰囲気が感じられる。まるで自分は無関係で、当事者ではないと言っているふうでもある。
今こうしている間にも魔王に気付かれる危険があるのに――内心の苛立ちを堪え、レインは辛抱強く説得する。
「いい? ここで魔王と戦闘になれば、近くにいるあなたにも危害が及ぶかもしれないの。やつは危険よ。攫われてきたあなたなら分かるでしょう?」
しかし青年は、肩をすくめて笑う。
「そこまで危険じゃないぞ」
「あなたねえ……。もしかして強めの洗脳とかされてるの?」
「されていない」
「じゃあなんで魔王の肩を持つのよ」
眉をひそめるレインに、青年はひとつ息を吐き、事も無げに答える。
「なぜならオレが、その魔王だからだ」
何の溜めもなく、まるで挨拶をするように。
人間の姿をした青年は、そう言った。
本当であればすぐにでも剣を構え直さなければいけない状況だというのに、それでもレインは動けない。完全に虚を衝かれ、理解がまだ追いついていないのだ。
「え……、え?」
「攫われても洗脳されてもいない。なぜなら本人だからな」
わずかに口の端を上げ、彼は言う。
「オレは魔王アルヴァリオス。エンダナはアル様と呼んでいるから、お前もそれでいいぞ」