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第八話 続く実地訓練と惑う気持ちと

 夜、神坂は寝付かれなかった。割と寝付きは良い方だと思っていたが、今日一日の衝撃の体験が思い起こされて、ちょっと寝付けそうにない。床に就いたまま、頭のどこかが妙に冴えているような変な感覚を感じつつ、今の気持ちを見返してみる。


 まず感じるのは安堵感だ。実地訓練という形とはいえ、初めての執行課員としての任務を、大過なく無事に遂行できてほっとしている気持が大きい。正直なところ、自分が指名されて、執行するのは殺処分と言われた時は衝撃も動揺も大きく、自分に与えられた任務を遂行できるのか、大いに危ぶんだものだ。でも訓練の繰り返しというのはたいしたもので、いざ突入を開始すると突入訓練で馴染んだように体が動き、特に大きな齟齬もなく任務を遂行することができた。これで執行課員としてやっていけることが名実ともにはっきりした。ここまで色々と不安を感じることもあったから、希望した執行課員としての仕事をやっていけることにほっとしているのは間違いない。最初にいきなり最難関の殺処分をやらされたのには驚いたが、考えてみると、どうせいつかはやらなければならないことなのだから、最初にやって、それでもやっていけることが確認できたことは大きい。最早何の心配もなく職務に精励していけるのだ。まあ、急所を撃ったと思ったのにばたばた暴れられたのは、心底恐怖だったけれど。


 次に感じるのは達成感だ。殺処分を執行しなければならないほどの対象者なのだから、さぞかし凶悪な犯罪を実行しようとしていたのだろう。それを未然に阻止できたこと、犯罪の犠牲者を出さずに済んだことは大いなる喜びだ。元々それがしたくてこの仕事を選んだのだから、達成感は大きい。執行対象者の資料には、どのような犯罪を実行しようとしていたのか、そしてそれがどの程度差し迫っていたのかなどの内容の記載はなかったから、自分がどのような犯罪を防いだのかは残念ながらわからないし、守られた人は自分が犯罪被害者になろうとしていて、それが防がれたことなど知る由もないだろうが、だからと言って自分がやったことの意義はいささかも減じるものではない。人知れず社会の安寧と、人々の大切な生活を守るというのは、なかなかに意義深く格好良い仕事なのではないだろうか。


 もう一つあるとすれば、任務とはいえ、また凶悪な犯罪を阻止するためとはいえ、人を殺したという罪悪感だ。理由はどうあれ、人を殺したという事実は動かせない。しかし、と神坂は思う。

「人を殺したっていう実感はあんまりないんだよね……。」

 小さく声に出して呟いてみると、改めてそう感じる。急所を間違いなく打ち抜いたと思った直後、死んだはずの執行対象者が激しく暴れだしたため、驚愕で頭が半分真っ白になりながら、まだ生きていると、早く止めを刺さなければいけないと、強い切迫感とともに得体の知れない恐怖を感じていた。今にして思えば、激しく暴れる執行対象者が、今にも襲いかかってくるかのような恐怖を感じていたのかもしれない。そして、もしも止めの銃撃を加えていれば実感を持つことになったのかもしれないが、そこで河上班長に止められて止めを刺せなかったから、何か中途半端な感覚のままになってしまったのだろう。

「でも、人を殺した実感を無理に持ったり、罪悪感を持ったりしなきゃいけないってことでもないんだよね。」

 人を凶悪犯罪から守るためにやったことで、それが自分の職務なのだ。そしてそれは誰かがやらなければならないことなのだ。確かにそれは誰に対しても胸を張って話せることではないかもしれないけれど、だからと言って別に後ろめたく思う必要もないことなのだ。むしろ、世のため人のために敢えて人が嫌がることを引き受けたということではあるし、誰にでもできることではないのだろうから、胸を張っても良いことなのだと、神坂は思った。


 そう思ってある意味気持ちの整理はついたが、それでも今日一日の出来事は衝撃的に過ぎて、どうやら今夜は眠れそうもない。まんじりともしないまま、静かに夜は更けてゆく。



 翌朝、神坂は激しい寝不足のままに出勤することになる。あくびを噛み殺しながら事務所に入ると、早速仲村が突っかかってくる。

「おい、神坂、最初に任務をこなしたからって偉そうな顔なんかするなよ、」

 神坂に先を越されてどこか悔しそうな仲村だが、残念ながら今日は寝不足で相手をする元気もない。

「はい、はい、わかってますよ。」

 軽くあしらうような神坂の反応に、仲村はますます悔しそうだ。

「畜生、次こそはおれがやってやる。」

 意欲は買うが、指名するのは河上班長だ。やる気はあっても、河上班長がどう判断するかはわからない。


 目を他のメンバーに移すと、清水はいつもとあまり変わらない様子だ。仲村のように気負うこともなく、むしろ逸る仲村をやや苦笑しながら見ている。一方の猪又は表情が硬い。神坂と目が合いそうになると、慌てて視線をそらしてしまう。外で警戒していただけの仲村や清水と違って、猪又は目の前で強制処分を執行するところを見ていたのだから、相応の衝撃を受けていたとしても致し方ないところかもしれない。厳ついがたいに似合わない繊細さとも感じられないでもないが、元来猪又は優しい性格なのだろう。ただ、邪推かもしれないが、目をそらす仕草に強制処分を執行した神坂を恐れるような雰囲気を感じないでもなく、任務を忠実に実行しただけの神坂にはそれが不満だ。まあしかし、いずれ猪又自身も強制処分を執行することになるだろうから、そうなれば人を恐れるような視線で見ることもできなくなるだろう。


 そんなところへ河上班長が、早くも次の任務を持ち込んでくる。

「次の実地訓練だ。執行対象者は外山俊克、男、36歳。東京都葛飾区在住だ。現場は2階建ての木造アパート、2階の25号室だ。」

 そう言って資料を配布する。今回の資料も顔写真や体格、居住地などは載っているが、今どのような犯罪を準備しているのかや、過去にどのような罪を犯したのかなどの記載はない。

「今回の対象者は、殺処分を執行する。」

「え? また殺処分ですか?」

「そうだ。神坂、お前何か不服でもあるのか? まあ不服がなくても続けてお前を指名することはないがな。」

「いえ、そういうことじゃなくて……。」

 神坂としては、殺処分という究極の処分を執行することは滅多にないだろうと思うのに、続けてそのような事案が来たことに驚きを感じただけなのだ。ひょっとして、新人に究極の経験をさせるために、殺処分の案件だけを選りすぐって3班に回してきているのだろうか。


「今回の突入は……。」

 言いかけた河上班長を遮って、仲村が声を上げる。

「はい、はい、今回は俺にやらせてください。」

 河上班長は、一瞬鋭い眼光で仲村を刺すが、案外あっさりとそれを認めた。

「よし、いいだろう。今回は仲村が執行、清水がサポートでやれ。猪又と神坂はバックアップだ。」

「よっしゃぁ、やってやるぜ。」

 力の入る仲村を見て、神坂は違和感を禁じ得ない。確かに任務に前向きなことは悪いことではないし、むしろ執行課に配属されている以上必要なことだ。しかし、如何な凶悪犯罪を阻止するためとはいえ、人の命を奪おうというのだから、もう少し粛然とした姿勢が必要なのではないだろうか。



 それから数日、実地訓練の日がやってくる。

「猪又と神坂は下で周囲を警戒しろ。仲村と清水は突入用意。」

 河上班長は指示を出すと、アパートの2階へ上がる。仲村と清水は執行対象者の部屋の前で突入の構えを取っている。仲村が拳銃を上に向けて構えた。河上班長が小さく手を振って合図をすると、清水が素早く戸を開けて、仲村が室内に踏み込んで行く。二人とも初めての実地訓練だが、無駄のない流れるような動きだ。自分たちもあんな感じだったのかなと思う。周囲には人通りもなく、昼間の住宅街は静かなものだ。よもや今まさに強制処分が執行されようとしているとは誰も思うまい。


 程なく、銃声がする。思ったほど大きな音ではなく、案外室外には響かない物だと思う。開け放たれた戸から仲村、清水、そして河上班長と出てくると、足早に階段を下りてくる。興奮しているのか、ちょっと仲村の足音が高い。仲村はぎょろりと見開いた目が爛々と輝いて、獲物を狙う肉食獣のようだ。自分も執行直後はあんな顔をしていたのかと思うと、ちょっと怖い。一方の清水は、元々表情の動きの少ないたちだが、今は全くの無表情でまるで能面のようだ。ひょっとして自分はこっちの表情をしていたのだろうか。それもちょっと怖いが、かなり興奮状態だった自覚があるので、どちらかといえば仲村に近い表情をしていたのではないかと思う。


 事務所に戻ると、突然仲村が絶叫する。

「よっしゃぁ! やったぜ!」

 さすがに執行現場で叫ぶわけにはいかないから、戻るまで我慢していたのだろう。両腕を突き上げて雄叫びを上げる。そして突然神坂に向かって指を突き出してくる。

「見たか。これで強制処分を執行したのはお前だけじゃないぞ。ったく、自分だけがやったみたいな偉そうな面しやがって。」

「い、いや、わたし見てないし。」

 外で周囲を警戒していた神坂は、当然仲村が執行しているところは見ていない。

「それに、偉そうな顔なんかしてないよ。」

「うるせい、表情は取り繕っても、全身から私だけがやりましたオーラを振りまいてやがったくせに。」

 無茶な言いようだが、仲村はもはや何を言っても通じそうにない。


「畜生、これで同格だ。これからもどんどん執行してやる。あぁ、爽快な気分だぜ。」

 これには神坂がカチンときた。

「ちょっと何よ、爽快って。仮にも人の命を奪ってそんな言い方は無いでしょう。」

 しかし、興奮状態だからなのか、仲村はかさにかかって言い募る。

「何言ってやがる。だから女は駄目だって言うんだよ。いいか、俺は凶悪犯罪の魔の手から善良な市民の命を守ったんだぞ。これが爽快でなくて何だって言うんだ。」

「で、でも、執行対象者がどんな犯罪をしようとしていたかなんて、資料もないんだからわからないでしょう。命を守ったなんて決めつけられないよ。」

「だから女は馬鹿だって言うんだよ。殺処分を執行してまで止めなきゃならなかった犯罪だぞ。殺人以上のものに決まってるだろうが。むしろ大量殺人を計画していた可能性が高いんじゃないのか。」

「うっ、そう言われると反論のしようもないんだけれど……。」

「執行対象者の犯罪計画を軽く見るなんて、この仕事に対する意識が低いんだよ。軽く見た挙句重大犯罪をやられたら、この部署の存在意義が問われるぞ。やる気がないんならさっさと辞めろ。」

「……。」

 何か違う気もするのだが、畳み掛けるように言ってくる仲村に、神坂は反論を思いつかない。他の二人は、口を挟んでも面倒になるだけだと思っているのか、知らぬ風を決め込んでいる。言われっぱなしの神坂だが、執行課員としての使命感、責任感が薄いわけでもなければ、強制処分を執行するのが嫌なわけでもない。でもやっぱり、人の命を奪って快哉を叫ぶのは違うと思う。仲村が言うこと以上の説得力を持って説明することはできないけれど。


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