第七話 衝撃の実地訓練
実践的な突入訓練が始まると、いよいよ実際の任務を行う実地訓練が近いことが感じられて、訓練も熱を帯びてくる。最初は細かな失敗が多く、ぎこちなかった新人たちも、連日の訓練できびきびと手際よく突入訓練をこなすようになってきた。突入する際の身のこなしの切れ味もよく、拳銃の取り扱いも板についてきた。しかし、訓練に慣れてくると少し疑問が浮かぶ。突入する訓練を繰り返すのはそういう任務だからよいとして、どうして必ず最後に標的を撃つ訓練を繰り返すのだろうか。まさか突入したら必ず対象者を撃つわけでもあるまいし、不思議に思った神坂は班長に聞いてみる。
「班長、どうして最後に標的を撃つ訓練ばかり繰り返すんですか?」
素朴な疑問だと思った神坂だったが、河上班長はじろりと睨み付けた後、意味有り気な沈黙を挟んでから答える。
「それはな、それが一番難しいから、十二分に訓練を重ねておく必要があるからだ。」
なるほどもっともだ。撃たなければならないような凶悪な対象者が相手だと、もしも失敗して取り逃がしたら大変なことになるだろう。相手の機先を制して素早く執行しなければ、ひょっとすると返り討ちにあう危険もあるかもしれないのだ。
そんなある日、河上班長が全員を集めた。
「お前たちもまずまずのレベルに達したから、実地訓練に移る。」
新人たちの間に緊張が走る。実地訓練となると、訓練とはいっても実際にやることは通常任務と変わらない。それこそ、最悪の場合執行対象者を射殺する任務が与えられるかもしれないのだ。河上班長が続ける。
「令状が出た。執行対象者は西川昭信、男、49歳。東京都福生市在住だ。場所がこの事務所から近いから、実地訓練に適しているとして最初の訓練対象に選択された。現場は2階建ての木造アパート、1階の102号室だ。」
河上班長は説明を一旦切って、新人4人の顔を順に見回す。4人とも食い入るような目で見返している。その面構えを見て大丈夫だと確信したのだろう、目だけでうなずくと執行対象者の資料を配布した。資料には住所、氏名などの基本情報の他に、執行対象者の顔写真もある。見るからに憎々しげな、いかにも凶悪犯罪をやりそうな面構えだ。
「神坂。」
「はい!」
「猪又。」
「はい!」
「今回はお前たち二人が突入だ。」
「はい!」
「神坂が執行、猪又がサポートだ。」
突入を命令された神坂は緊張もピークに達しようとしているが、いずれやらなければいけないのだから、どうせなら早い方がよいとも思う。訓練を重ねる中で、ちょっと肝が据わってきたかもしれない。
「仲村、清水。」
「はい!」
「お前たちはバックアップだ。周囲の警戒に当たりながら不測の事態に備えろ。」
「はい!」
勢いよく返事をしたものの、仲村はちょっと不満顔だ。記念すべき最初の実地訓練で、執行役を女にやらせるのかと思っているのが、その表情にありありと浮かんでいる。しかしさすがにこの状況で文句は言えないようで、口を結んで黙っている。
「神坂。」
「はい!」
「今回の対象者は、殺処分を執行する。」
「え?」
執行対象者と実際に向き合うのも初めてなのに、いきなり殺処分とは何ということを言うのだろう。ここまで段階を追って訓練を進めてきたというのに、いきなり飛躍し過ぎだ。本気で言っているとは思えないし、聞き違いかとも思う。しかし、神坂のそんな戸惑いを無視するように、河上班長は続ける。
「確実に一発で仕留めるために、額か心臓を狙って撃て。」
戸惑っている暇もなく話がどんどん進んでしまうことに恐怖して、神坂は思わず叫ぶ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。」
「何だ。」
「最初の実地訓練でいきなり殺処分とか、飛躍しすぎじゃないですか。ハードルが高過ぎます。」
「できないのか?」
「いえ……、できないとかじゃなくて……。」
「できないなら無理にやれとは言わん。無理だと思うのなら辞表を書け。」
神坂は思わず息を飲む。これは逆の意味で恐怖だ。折角希望の部署に配属されて、厳しい訓練にも耐えてきたのに、ここで辞表を書かされたらこれまで何のために訓練を重ねてきたのかわからない。
「やります! やらせてください!」
叫ぶように言う神坂に、河上班長はあくまで冷静にうなずく。考えてみると、こちらは初めての事態で舞い上がっているが、河上班長は繰り返し新人の指導を経験していて、これまでに何度も同じ場面を経験してきているのだろう。そう思うと自分だけうろたえているのがなんだかちょっと悔しい。
「わかった。ただ、無理だと思ったらいつでも辞めていいからな。」
そう言う河上班長に、神坂は憤然として答える。
「はい、でも辞めません!」
やや大ぶりのワゴン車に乗り込んで現状に向かった神坂たちは、目的地から少し離れた場所に車を停めると、目的地のアパートには徒歩で向かう。車を降りた猪又に、河上班長が鍵を渡す。
「目標のアパートのマスターキーだ。」
続いてがちゃがちゃと音を立てて工具袋を渡す。
「これは何ですか?」
「バールとボルトクリッパーが入っている。戸にチェーンがかかっていたらバールで叩き切れ。バールで切れないタイプの場合はボルトクリッパーで切れ。」
「はい、わかりました。」
工具袋の重みを感じながら、猪又はチェーンをバールで叩き切るとは、ずいぶん乱暴なやり方だと思う。ただ考えてみると、ボルトクリッパーであれば普通のチェーンでも当然切れるが、バールで叩き切るほうが圧倒的に素早く開けられるのは間違いない。執行対象者の逃亡などを避けるためには、少しでも迅速に処理しなければならないのだから、乱暴なようで実は合理的なのだと思う。しかし、サポート要員は執行担当の後をついて行く程度で大した役割ではないと思っていたが、そこまで気楽な役回りでもなかったようだ。もちろん、実際に強制処分を執行する神坂とは比ぶべくもないが。
目標の102号室を確認し、神坂と猪又は戸の左右に分かれる。清水と仲村は少し離れて周囲を警戒する。悪いことをしているわけではないが、やることがやることなだけに、できるだけ人目に触れないに越したことはない。河上班長は何かの端末を取り出して確認している。
「それは何を確認しているんですか?」
「対象者の首には発信機がついている。この端末でそれを検知して在室を最終確認するんだ。よし、執行対象者は在室だ。」
「も、もし他にも人がいたらどうするんですか?」
「首輪が付いているのが対象者だ。」
「首輪が付いている人が複数いたらどうするんですか?」
「いたらこれでわかる。今は一人だけだ。」
いよいよ本番を前にして、神坂の心臓は激しく鼓動を打っている。何か喋ってでもいないと、緊張が頂点を超えて心臓がはじけそうだ。気を紛らせるためにさらに質問を重ねようとすると、河上班長にぴしゃりと制止された。
「いい加減黙れ。対象者に気付かれるぞ。」
神坂はうっと口をつぐむ。
河上班長は声を落として命令する。
「突入するぞ。」
神坂は拳銃を構える。
「行け。」
猪又が静かに鍵を開けると、そっと戸を開く。チェーンは……、幸い掛かっていない。神坂は玄関に踏み込んだ。ひとたび踏み込めば、これまで繰り返してきた突入訓練と変わることもない。奥の部屋まで遮るものもなく、神坂は足音を忍ばせながら進んで行く。奥の部屋からテレビの音声だろうか、妙に明るい音声が聞こえてきて、神坂の緊張を嘲笑うかのようだ。踏み込んだ部屋は、雑然と散らかった中に男が一人胡坐をかいてテレビを見ている。首筋の首輪が光る。対象者に間違いない。
「西川昭信だな。」
神坂はそう呼びかけながら拳銃を向ける。男が振り返る。資料にあった写真の男に間違いない。
「何だ、てめーは。」
胡乱気に睨みつけてくる男の声を無視して、神坂は引き金に指をかける。
「強制処分を執行します。」
そう宣告すると同時に引き金を引いた。
銃声と同時に、びしゃっと音を立てて背後の壁に血が飛び散る。いや、血液ほど赤くない。脳漿と混じり合ってやや淡い色合いになっている。脳の実質も一緒に飛び散って、壁にべったりとくっついている。壁に叩きつけられた脳の破片が、ぐにゃりと弾んでぽとりと床に落ちる。どたっと大きな音を立てて、対象者が仰向けに床に転がった。と思うと、腕や足がびくびくと痙攣し、続いてばたんばたんと音を立ててのたうつ。
「まだ生きてる!」
神坂は慌てて再び銃口を対象者に向ける。そのとき、肩ががしっとつかまれた。心臓が口から飛び出すかと思うほど驚いたが、河上班長だった。反射的に振り返って撃たなくて良かった。
「神坂、拳銃を下ろせ。」
「で、でも、まだ動いてます。」
神坂にしてみれば、対象者が今にも立ち上がって襲ってくるのではないかと気が気ではない。だが、河上班長は落ち着いて言う。
「大丈夫だ。もう死んでいる。」
「え? でもまだあんなに激しく動いています。」
「ああいう風に、無秩序に動いていることこそ致命傷を与えた証拠だ。脳からの制御がなくなって、残ったエネルギーででたらめに動いているだけだ。」
「そ……、そうなんですか?」
河上班長の説明で一応状況を理解した神坂だったが、まだびくん、びくんと動いている対象者を見ると、そう簡単に納得はできない。だいたい、ドラマなんかでは銃で撃たれた人はすぐに動かなくなるじゃないか。
「まだ納得していないという顔だな。」
「はい……。」
「お前はニワトリを捌いたことはあるか。」
「ありません。」
「血抜きのために首を切断すると、胴体だけで走っていくと言うぞ。」
「えっ! そうなんですか?」
「それに、知人から聞いた話だが、小動物……、ラットだな、それを使って動物実験をしたときに、頭部を切断すると、切断面から血を吹き出しながらばたん、ばたんと激しく暴れて、押さえていないとどこかへ飛んで行ってしまうほどだというぞ。」
「うっ……。」
「それに切断した首はな、ギャスピングと言ってそれだけで口をパクパクするそうだ。」
「……。」
光景を想像して気持ち悪くなってきた。
黙った神坂を見て納得したと思ったのか、河上班長が命令する。
「わかったら撤収だ。」
「はい……、でも対象者の死体はどうするんですか?」
「放っておけ。後は警察の仕事だ。」
「えっ! 警察に捜査されて殺人罪で捕まるんですか?」
「馬鹿、捕まってどうする。強制処分の執行であることを確認して、事件性がないことを確認するだけだ。」
「……。」
衝撃の連続で頭がくらくらする。サポートについていた猪又も、いかつい体に似合わず目をまん丸く見開いて顔面蒼白だ。もっとも自分も似たような顔をしているのだろうと神坂は思う。外に出たとき、一体どんな顔をしていたのだろう、周囲を警戒していた清水と仲村が自分の顔を見てぎょっとした表情をしていたのが印象的だった。