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第十一話 続く職務と少しの成長と

 3班の残るメンバーが2人だけになったということは、原則としてペアで遂行する執行課の職務である以上、これからは令状が出れば必ず出動しなければならないということだ。それも、どうにも気が合わない仲村とペアで。そして程なく次の任務が与えられる。

「今回の執行対象者は鴇田中、34歳、埼玉県朝霞市在住だ。」

 そう言いながら、河上班長は執行対象者の資料を配布する。写真を見ると、今回の執行対象者はそれほど凶悪な人相をしておらず、一見すると普通の市民のようだ。こんな顔をしてどんな凶悪な事件を犯そうとしているのだろうと思うが、今回もそういった資料はついていない。

「班長、今回の執行対象者は何をしようとしているんですか?」

 手を挙げて質問する神坂に、河上班長は興味なさげな調子で答える。

「知らんな。渡されている資料は今配ったものだけだ。」

 それでもと神坂は重ねて尋ねる。

「資料の他に何か聞いていませんか? というかそもそも、どうして資料にそういった執行対象者の背景の資料がないんですか?」

 しかし、河上班長の答えは相変わらず素っ気ない。

「何も聞いてはいないな。資料がないのはそういうものだからだ。」

 それでも今日の神坂はしつこい。

「そういうものってどういうものですか。それじゃあ何だかわかりません。」


 河上班長の、元々冷たい視線がさらに冷たくなる。

「神坂、お前何のためにそんなことを聞くんだ。」

「はい、やることがやることですから、少しでも多くの情報を持っておきたいと思います。」

 単なる興味本位ではなかったことで、河上班長の視線が少し和らいだ。

「ふん、まあそう考えるのはわかる。だがな、執行官に対してはそういった情報は与えないことに決まっているんだ。」

「え? そうなんですか。」

「そうだ。先入観を与えないためだ。凶悪犯罪に走るにも人それぞれ様々な背景がある。中にはやむを得ないと感じられること、同情を禁じ得ないこともあるだろう。それによって執行が躊躇われることのないように、そういった情報は与えないことになっている。」

 なるほど、確かに悲惨な事情が背景にあれば、強制処分を執行することが躊躇われることもあるだろう。でもそれならと思う。

「そういった事情があるのなら、強制処分の執行じゃなくて、何か他の方法は取れないんですか?」

「そういう考え方もあるだろうが、被害者にとっては、私利私欲のための犯行でも、已むに已まれぬ事情があっての犯行でも、受ける被害は同じだ。まさか被害者に向かって、犯人には事情があるので被害を受けることは我慢してくださいとは言えないだろう。だから事情や背景に関わらず、一律で強制処分を執行する。そこで変に心理的な負担を負わせないため、我々には背景情報は知らせない、そういう決まりになっている。」

「なるほど。」

 そういわれるともっともだと思う。さすがに、こういった重大な職務を執行するための仕組みは、よく考えられているのだと思う。


「そこで今回の執行担当だが……。」

 言いかける河上班長を遮って、仲村が声を上げる。

「はい、はい、今回は俺にやらせてください。」

「別に構わんが、一巡したところだから最初に戻って神坂にやらせるのが順当じゃないか?」

「いえ、神坂は猪又の担当の時に、猪又に代わって執行しているから、次は俺がやるのが順当だと思います。」

「ふむそうか。わかった、仲村がやれ。」

「はい。」


 執行担当を勝ち取って得意気な仲村に、神坂としては違和感がある。

「仲村君は、どうしてそんなに執行担当がやりたいの? 仮にも人の命を奪うんだから、職務と言ってもできれば避けようとするのが普通じゃないの?」

 そう疑問を呈する神坂だったが、仲村の考えは全然違う。

「神坂お前何言ってんだ。犯罪被害者を一人でも減らしたくてこの部署に来たんじゃないのかよ。例え人の命を奪うことになっても、それで犯罪被害者が減らせるのなら、喜んで手を上げるのが当然じゃないか。お前は被害者の苦しみを自分のものとして感じる意識が低いんじゃないのか?」

「そんなことはないけど……。」

 どうやら今回も神坂の方が分が悪い。確かに直接対峙する執行対象者に意識を取られて、被害者への意識が薄くなっていた面はあるのかもしれない。職務の真の目的を見失ってはならない。もっともそれは否定しないとしても、それでも仲村の態度には何か違和感があるような気がするのだが。



 乗り込んだ現場は5階建ての中層住宅だ。まだそれほど古くなってはおらず、案外きれいなのに意表を突かれる。なんとなく、執行対象者は古くて痛んだアパートに住んでいるという先入観ができていたかもしれない。もっとも、執行対象者は刑期を終えて出所してきた人間だから、裕福であるケースは極めて少なく、結果として家賃の安い古いアパートに住むしかないのも事実だろう。この住宅だって、県営住宅で家賃が安いから入居しているのだろう。


 仲村と神坂は、執行対象者の部屋のドアの脇で突入の態勢を整える。河上班長が低い声で、行け、と突入を促す。神坂は素早くドアを開け……、と思うとチェーンがかかっていてドアが開かない。仲村がチッと舌打ちをしたのが聞こえた。チェーンがかかっているのはわたしのせいじゃないと文句を言いたいところだが、今は声を立てるわけにはいかないし、そんなことで無駄に時間を費やす暇はない。すぐに工具袋からバールを取り出そうとするが、袋の中で引っかかっているのかすぐに出てこない。また仲村がチッと舌打ちをする。むっとするがもちろん言い争っているわけにはいかないし、愚図愚図していると執行対象者に気付かれてしまうかもしれない。焦るほどにますます出てこないバールにいらつきながら、ようやく出てきたバールを思い切り振りおろす。ガチッと音がして切れたチェーンが揺れてガチャガチャとさらに音を立てるが、ここまで来たら音に気付かれても大丈夫だろう。開け放ったドアから仲村が室内に踏み込んで、もはや執行対象者が気付いても逃げている暇はない。それでも気を抜くことなく、神坂はバックアップのために仲村に続く。


「鴇田中だな。」

 そう言いながら、仲村は拳銃を構える。

「げっ。」

 拳銃を向けられた執行対象者が飛び跳ねるようにして逃げようとするが、もはや逃げ場はない。

「強制処分を執行する。」

 仲村が引き金を引くと、銃声一発、執行対象者がどっと倒れる。一発で致命傷を与えたことを確信するかのように、仲村はさっと振り返る。

「撤収するぞ。」

 なんだかちょっと偉そうで癇に障るが、確実に任務を遂行したことは間違いないので、文句を言ういわれはない。それでも、あんたに指示されるいわれはないと言いたくなるのは、日頃の仲村の行いのせいだろう。


 強制処分を終えて事務所に帰っても、神坂は何となくもやもやする。浮かれた調子で、強制処分の執行を誇るようなことを繰り返す仲村の声も耳に障る。こういう時は愚痴るに限ると、美知留に連絡して早々に事務所を出た。

「はぁい、香苗、こっちよ。」

 声をかけながら手を振る美知留の笑顔を見ると、なんだか重苦しかった気持ちが軽くなる。あるいは、殺伐とした仕事に心が荒んできているのかも知れない。普段顔を合わせるのが、一々癇に障る仲村だけなのも良くないのかもしれない。

「聞いてよ、美知留。」

 勢い込んで仕事の愚痴をしゃべろうとして、神坂はハッとする。仕事のことは、例え家族、友人といえども一切秘密だった。しゃべれば厳罰という規則を思い出して、うっと口をつぐむ。


 そんな神坂を、美知留はちょっと不思議そうな表情で覗き込む。

「どうしたの? 仕事の愚痴でも言いたかったんじゃないの?」

 それはそうなのだが、でもやはりしゃべるわけにはいかない。

「うん、そうなんだけどね……。あのね、仕事の内容については一切口外禁止ってことになってるから、愚痴りたいのに愚痴れないんだ。」

「あら、あら。」

 美知留は目を丸くする。

「うーん、それは困ったわね。ええと、同じ職場の人には愚痴れないの? ああそうか、周りは男子しかいないんだったわよね。」

「うん、そうなんだ。」

 そう答えながら、男子じゃなかったとしても、仲村相手じゃあ愚痴ってもかえってストレスが増えそうだと思う。


「そうなんだよ。しかも同僚が嫌なやつでね、何かというと突っかかってくるんだ。」

 あ、この愚痴ならしゃべっても処罰の対象にはならないと、神坂はちょっとウキウキしながら愚痴を重ねる。

「妙に対抗意識を持ってて、いつだって上から目線の物言いでさ、この仕事は女にできるかとか言って、そんなに男が偉いのかって感じなんだよ。」

「あはは、いるいる、そういう男って。そう、なぜか偉そうなのよね、これは男の役割だ、みたいなの。そういう人に限ってあんまりできなかったりするのよね。」

 美知留にそう言われてふと思う、仲村は嫌な奴だが仕事ができないわけじゃない。

「うーん、一応仕事はできてるかな?」

「あらそうなの? 仕事はできてるんだったら、わざわざ突っかかってくるのは迷惑だけど、まあ我慢の範囲内かしら?」

「えぇ? 我慢しなくちゃいけないの?」

「そりゃそうよ。だって、職場は仲良し倶楽部じゃないんだから、仕事ができるかどうかが優先よ。性格は良いけど仕事ができない人と、性格は悪いけど仕事ができる人だったら、一緒に仕事するならどっちが良いと思う?」

「うっ、それはそうだね。確かに仕事のできない人じゃあ、性格が良くてもしょうがないね。」

 神坂は、まだ新人なのに、美知留が仕事というものの性格について、よく考え理解していることに感心する。それに比べて自分は学生気分が抜けていないと反省させられる。そういえば仲村からの批判の中にも、自身の意識の低さからくるものがあったと思う。それを、だから女は、と性別のせいにするのは明らかに間違っているが、男女関係なくプロ意識は必要だし、自分の担っている仕事の根本である犯罪被害者保護の理念を、仇や疎かにしてはならない。


「でもね……。」

 美知留はいたずらっぽく笑いながら続ける。

「どうせ一緒に仕事をするなら、仕事はできるし、気持ちよく仕事ができる人がいいわよね。」

「そりゃそうだよね。」

 神坂も笑うしかない。でもこれをきっかけに、神坂も少し意識が変わって、多少なりともプロとして成長するきっかけになったかもしれない。


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