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第十話 適性を持つ人、持たない人

 バン、バン、と銃声が響く。射撃訓練場では清水が射撃訓練を繰り返している。まだ実地訓練で強制処分を執行していないのは清水だけなのだから、次が清水の担当になるのは疑いようもなく、それだけに訓練は熱を帯びる。元々競技射撃で腕を磨いていた清水だ。実銃にも慣れて射撃の正確さはもはや折り紙付きだ。


「うひゃあ、すごく正確な射撃ですね。」

 神坂が思わず感嘆の声を上げるほどの集弾で、ほとんど標的の中心付近に命中している。神坂の感嘆ぶりに、やはり褒められれば嬉しいのだろう、清水はちょっと自慢げな表情を浮かべる。

「まあね。」

「またまた、ご謙遜を。でもこんなに上手いんだから、そんなに訓練する必要ないんじゃないですか?」

 神坂の言うのももっともとも思えるが、そうは考えない清水は表情を引き締める。

「いや、訓練にこれでいいなんてことはないよ。競技射撃でもそうだったけど、ちょっとしたはずみでがたがたに崩れることがあるんだ。だから訓練はいくらやっても十分なんてことはないのさ。」

 競技をやってきた者だけが知る厳しさか。しかし、訓練の標的までの距離は10mあるが、強制処分を執行する際の距離はせいぜい2、3mだ。それを考えると外す気遣いはまずないように思える。一方で、標的射撃と違って、実際の現場での咄嗟射撃で動く目標に命中させることは難しい。ニューヨーク市警のデータでは、拳銃の命中率は射距離2m以内でも40%足らずだといい、至近距離でも案外当たらないものらしい。そうしてみると、このくらいの厳しさは当然とも言える。


 そして程なく、次の任務が回ってくる。当然のごとく執行役は清水に命じられ、サポート役は仲村が命じられた。神坂はバックアップに回る。執行対象者がいるのは、農地が広がる中に林が点在する地域に建つ小ぶりな二階家だ。小ぶりと言ってもこれまでのアパートの一室に比べれば広く、対象者を発見するまでに、対象者が突入に気付いて逃亡する恐れがありそうで、迅速な行動が要求されそうだ。一方、通りすがりの人に目撃される可能性は低そうで、周囲の警戒はそれほど重要ではなさそうだ。周囲の警戒よりむしろ突入に気付いた対象者が二階の窓等から逃亡を図ることを警戒した方がよさそうだ。建物をさっと確認すると、裏口等はないようなので、警戒するなら窓だろうと見当をつける。


 清水が玄関脇で拳銃を構えた。清水の表情に緊張感は見られるが、落ち着き払っている様子だ。清水と仲村が目配せを交わすと、仲村がさっと玄関の戸を開け、清水がするすると侵入していく。すぐ後に続いて仲村が家の中に入っていく。二人が突入しても家の中は静まり返っていて、異変は感じられない。どうやら対象者には気付かれていないようだ。


 銃声が一発響いた。すぐに飛び出してきた清水の顔面は蒼白で、険しい表情で視線が泳いでいるように見える。やはり初めての強制処分の執行は、清水にとっても相当衝撃の強いものだったのだろう。その清水ががっくりと膝を突いて前屈みになる。

「げえっ。」

 突然清水が嘔吐する。吐き出すものは胃液くらいしかないようだが、それでもげっ、げっと嘔吐を繰り返す。

「清水さん!」

 神坂は思わず駆け寄って、背中をさする。それでも清水は絞り出すように嘔吐を繰り返す。もう碌に吐くものもないだろうに、苦しそうな表情で、目じりに涙を浮かべながら、まるで内臓まで吐き出しそうな勢いで嘔吐を続けている。

「しっかりしろ!」

 後から出てきた仲村も駆け寄り、清水の肩をつかんで声を励ます。その様子を、河上班長が黙って冷やかに見下ろしていた。



 翌日、清水は時刻を過ぎても出勤しなかった。部屋には仲村と二人だけ。仲村に話しかけるとまた何か言われそうで嫌なので、神坂は誰に話しかけるでもなく呟く。

「清水さん来ないなぁ。」

 二人だけしかいないので、仲村が答える。

「昨日は随分ひどく吐いてたからなあ、あの分だと今日は来られないんじゃないか。」

 昨日の清水は、ある程度落ち着いた後も、目だけぎょろぎょろと見開いたままで、細かく震えていた。

「清水さんどうしたんだろう。」

 答えを期待したわけでもないが、もちろん仲村にもわからない。

「さあな。執行するまでは落ち着き払っていたんだけどな。」

 その後は沈黙が支配する。


 そんなところへ入ってきたのは佐久間課長だ。河上班長も一緒だ。

「えー、清水君は、今日は体調が優れないので欠勤ですが、このまま異動になります。」

 神坂は思わず立ち上がる。

「え? どうしてですか。」

「清水君はこの部署には不向きだと判断しました。」

「でも、昨日はきちんと執行したんですよね?」

「ええ、でもいるんですよ、執行はできても、その後の精神的なダメージが大きすぎる人が。多分清水君はやれと言えば次も執行するでしょうけれど、ああいう状態ではとても長くは続けられません。ダメージが蓄積して深刻な状態になってから異動させても遅いんです。そう判断したから早めに異動してもらうことにしました。」

「でも……。」

 神坂も佐久間課長の言うことは理解したし、清水本人のためには異動するのが良いのだろうとは思うが、なんとなく素直に受け入れられない。

「清水君からは、後は頼むと伝言を依頼されました。」

 頼むと言われても、元々少なかった人数が、たった二人になってしまってやっていけるのだろうか。


「でもたった二人になってしまって……。」

 そう言いながら神坂は、急に仲間が減って心細くなってきたような気がする。ところが、河上班長の反応は違った。

「二人も残っていれば上出来だ。一人も残らないことも少なくないぞ。」

「えっ?」

 驚く神坂に、佐久間課長が説明する。

「うん、河上さんの言う通りなんだけどね。そもそも人は人を殺すことに強い抵抗感を持つものなんですよ。」

「はい。」

 まあ、平然と人を殺せるような人は滅多にいないだろうことはわかる。

「戦場では敵を殺さなければ自分や仲間が殺されるわけですから、抵抗感はあっても敵を殺すのが普通だと思いますが、第二次世界大戦での調査によれば、戦場で実際に敵に向かって発砲する兵士の割合は、高々15~20%に過ぎないということです。だからと言って他の兵士たちが逃げたり隠れたりするわけではなくて、伝令や銃の装填、弾薬の運搬といった任務に努めたり、発砲するにしてもあらぬ方向に向かって撃ったり、当たらないほど遠くの敵に向けて撃ったりしているんだそうです。」

「そ、そうなんですか?」

 戦争に行ったことはないけれど、漠然と、戦場に行った兵士はみんな嫌々だとしても敵の兵士を狙い撃っているものだと思っていたが、実際はそうではないということか。撃たなければ撃たれる状況で、そんなことがあるものなのだろうか。

「はい。だから執行課に配属になっても、残るのは10人に一人か二人で自然なんです。4人の内二人残ったら多い方なんですよ。」

 そうすると、曲がりなりにも任務を遂行できている自分と仲村は、この仕事に関してはたまにしかいないエリートとも言うべきものだったということか。


 しかし、こういうことは素質より訓練が大事なのではないだろうか。

「でも、訓練次第で撃てるようになるんじゃないんですか?」

「そう、そうなんですよ。実際、訓練方法を工夫することで、朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では90%の兵士が発砲できるようになったというんです。」

「それだったら、わたしたちもそういう訓練をすれば脱落する人なんか出さないで済んだんじゃないんですか?」

「いやでもね、ベトナム戦争の帰還兵は非常に高い率でPTSD、心的外傷後ストレス障害を発症しているんですよ。そのせいでまともに社会生活を送れなくなってしまった人も多いと言います。私は部下たちをそうさせるわけにないかないので、適性のなさそうな人はなるべく早く異動させるようにしています。」

「あっ、そういうことが起きるんですね。」

「イラク派遣の自衛隊員は、直接戦闘に参加したわけでも人を撃ったわけでもありませんが、それでも1000人のうち28人が自殺したということです。あなたたちをそういう結果にならせるわけにはいかないんです。」

 なるほど、そういうことなら無理な訓練をさせずに、適性のない人を早期に外していくというやり方にも一理ある。


「でも、それなら最初から適性のある人だけを採用すればいいんじゃないんですか?」

「それができれば確かにその方がいいんですけれどね。」

 佐久間課長のこの口ぶりだと、そうはいかないということか。

「戦闘が1週間も継続すると、実に98%の人が精神的にダメージを受けるというんですね。つまり2%だけの人が継続的に戦闘を続けられるというんです。執行課の仕事に適しているのもこの2%の人だと思うのですが、でもこの2%の人を事前に見つけるのは、実際にやらせてみるぐらいしか方法がなく、難しいですよね。」

「はい……。」

 神坂は佐久間課長の説明は納得しつつも、むしろ別の意味で衝撃を受けていた。わずか2%だけ、人を殺しても平静でいられる人間がいて、それの意味するところは……。神坂は少し震える声で尋ねる。

「それってつまり、わたしは、50人に1人しかいない、人を殺しても平気でいられる、冷酷な殺人鬼だってことなんですか?」

 それは、凶悪犯罪の予備軍を排除することで犯罪被害者の発生を防ぎたいと思っていた自分自身が、むしろそっち側の人間だったということではないのか。それは決定的な矛盾だ。しかし、佐久間課長の答えは違った。

「いやそういうことではないんですよ。別にその2%の人たちが人を殺すことが平気とか、好きとかいうことではないんです。正当な理由、目的のためなら人を殺すこともできて、そういうことをしても平静でいられる、この仕事に対して適性を持つ稀な人材だということなんです。多くの人は正当な目的のための行為だったとしても、その精神的な負荷に耐えられないということなんです。まっとうな理由もなく凶悪犯罪に走るような人とは、むしろ対極の存在と言っていいでしょう。」

 佐久間課長の説明に、神坂はほっと胸を撫で下ろす。同じ性質を持っていて、たまたまこちら側にいるだけだったとしたら、いつ向こう側に転ぶか危なくて仕方がない。自分がそんな存在であったとしたらとても耐えい難い所だったが、そうではなくて、この任務に適性を持つ稀有な存在だったということだ。人は必要とされる場所に自然に導かれるとも言う。神坂は不思議な力に導かれてこの仕事に就くことになったのだとしたら、まさに天職ということで、与えられた役割を力の限り努めなければならない、そんな風に感じたのだった。


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