⑥
ここで終わりと思って頂かれても少し困る。私のコレクションは何もアルミダイキャストの模型ばかりだけではない。
勿論というか、当たり前というか蔵書の方もそれなりの数に上る。リビングの収蔵物はあくまでも自己満足だが、誰かに見せる為にある様な物だ。
只、今のところそれを見せる相手がいないだけが唯一の問題といえば問題だ。そこのところ誤解無きよう願いたい。
…なにか?
さて遅まきながら、私の住むマンションの間取りを一部だが説明させて頂こう。
入口から。いわゆる玄関から廊下を中心として左右に部屋が広がり、その突き当りにリビングと、キッチンがある。
キッチンはいわゆるダイニングキッチンでリビングとキッチンはカウンターで仕切られている、実に実用的な構造となってはいるが、その能力を遺憾なく発揮した事は今のところ無い。まぁ私の家に誰か来るということは有事として他ならないので、そのような事にならない事を祈っている。因みに誰かをもてなす練度は一つも鍛えられていない。なので有事の際はこの自宅という私の要塞はアッとう間に制圧されるだろう。
まぁ、何を持って制圧なのかはこの際不問にして頂こう。
では、書庫というか、私が最も時間を費やす部屋へと案内しよう。
リビングを背にして、玄関に向かう感じでこの次に広い部屋のドアを開ける。
とりあえず目を引くのが、畳一畳分はあろうかというほど大きい机だろう。そこの上にはパソコン用のディスプレイとキーボードとマウスがある。それとサイドテーブル。その上はマグカップやら雑誌やらが乱雑に置かれている。
これだけ見るとその机の広さだけが少し目に付く位で、簡素だがちょっと贅沢な書斎と見えないこともない。
では、その机を背にした状態で部屋全体を見ていただこう。
さてそこには何があるか?
これこそ私の視力を0.1以下にした張本人。部屋の壁を埋め尽くさんばかりの書物の数々である。
蔵書の数は数えた事は無い。パソコンを背にして右側が軍事雑誌のバックナンバーであり、左側は軍事関係の書物で占められている。
私はインクの香りで満たされていそうなその部屋に、足を踏み入れると机に着き革張りの椅子に腰を落とした。
「ん~」
と、背伸びをした後に机の脇にあるコンタクトの保存用ケースに手を伸ばした。
普通こういうのは洗面所に置くべきものだが、この部屋で過ごす事の多い私はこうした方が都合がいい。
「ふぅっ」
コンタクトレンズから黒渕のメガネに変えた私はドッかとイスの背もたれにその身を預けるとそのまま天井を仰いだ。そして深く目を瞑った。
数秒ほど経ったであろうか?
私は再び立ち上がると部屋の片隅にあるハンガーラックに向かった。
そこにはドテラと上下灰色のスエットがラックに直接ブン投げられた様に掛かっている。
圧倒的に持ってる服の枚数が少ない私にハンガーラックのハンガーは無用の長物だ。
今着てる服と入れ替える様に着替えると私は再び机のイスへと座った。
手探りで、サイドテーブルにある髪ゴムを手繰り寄せると髪の毛を後ろで一つに束ねた。
そしてサイドテーブルとは逆側にあり、机の下に潜るようにしてあるパソコンの電源を入れた。フルタワーケースの為、机の上に置くとスペースはもとより、電源ボタンがケース上方にあるので足元でなければ扱いづらい。
それに自分で組んだ為に不具合があった場合は己で対処しなければならず、その対応の為、パソコン自体は常に台車に載っており迅速に復旧作業に取り掛かれる様になっている。
台車に載せるメリットはそれだけでは無い。
水気を含んだ重い空気。つまり湿気は床に溜まる習性を持つ。台車に載せ、少し床から離す事で電化製品が最も嫌う湿気から回避する事が可能だ。
見えない驚異を侮る事は許されない。
かつての旧軍が精密工作機械の投資に力を注がなかった事を教訓にそうしている。
そして、その結果は皆さんの知るところだろう。さて…
「ふうっ。もうこんな時間か…」
私はネットをひとしきり閲覧し、動画投稿サイトで色々な動画を見た後に、パソコンのディスプレイの端に映し出された時計を見て呟いた。
蔵書保存の為この部屋のカーテンは常に締め切っている為時間の経過はカーテンの隙間から差す夕陽か朝日位でしか解らない。何か暗いな?と思ったらそれは大分時間が経っている証拠だ。
因みに入居してからこの部屋の扉は一度も開けられていない。
まぁ、唯一の採光部である窓の真ん前にパソコンの為の机を置いてあるので窓を開けるのは物理的に不可能だ。
勿論ながら蔵書を保護する関係上この部屋の湿度温度は常に一定を保たれてある。それにカビの増殖を防ぐ為に空気清浄機も常時稼働させてある。
この部屋にはピアノの名器スタインウェイか、バイオリンの名器ストラディバリウスがあるのか?とでも思わせる位に湿度温度に関しては厳重だ。あとは室内の気圧を無菌室の様に上げる事ができれば完璧なのだが、そうするにはマンションにかなりの負担が掛かるのでそこは妥協した。と、いうか一般家庭にこの様な設備は不要と建築業者に戒められた。現状においてもクリーンルームに引けをとらない性能は確保してあるとの事。
アレルギー体質の奴が「この部屋だと呼吸が楽だ」と、いう位だからそうなのだろう。
幸いな事に私の身体はそのような外的要因からくる反応は一切無い。視力以外はいたって健康的なのだ。
「さて、ぼつぼつ寝ないと明日に差し支えるな」
と、言うとパソコンをシャットダウンしてその部屋を後にした。
「この時間に何か食べると太るわね」
そう呟きながら私は廊下をペタペタとスリッパの音を響かせながら歩く。
行き先は風呂場でお風呂に湯を張りに行った。
「湯舟にお湯を溜めます」
と、機械音声を聞くと私は、脱衣所にある洗濯機と乾燥機の前に立ち、乾燥機の中をまさぐった。
中から手探りで下着の上下を取り出すとそれを洗濯機の蓋の上に投げ置いた。
風呂場からは勢いよくお湯の流れる音がする。
私は脱衣所に併設されている洗面台の鏡に写る自分を見た。
「…。顔に妙な吹き出物とかできてないわね」
そう一旦注意深く見ると眼鏡を取った。視界が一気にぼやけると、湯船にお湯の溜まったチャイムと機械音声が聞こえてきた。
「さて、と」
そう一言発すると今着ている物を脱ぎ捨てて、洗面所の縁に置いてある一冊の本を手にとり湯船に浸かった。
「あぁ~」
妙な声を風呂場であげる。しかしその格好は少し珍妙だ。
なぜなら一緒に持って入った本を濡らさないように両手は上げて入浴しているからだ。
乾いた身体に水分が吸収する快感をひとしきり味わうと私持って入った本のページをペラペラとめくっていった。本のタイトルは『失敗の本質』。
…。
今、疑問を感じた方は挙手して頂こう。
うむ。正直でよろしい。実にだ。
只、その疑問には正直答えかねるのでその所は銘々で解釈して頂いて構わない。
「えーと、どこまで読んだかな…」
私は昨日の記憶を辿りながらページを進めた。
そしておおよその場所で読み始めた。
暫くすると額から汗が流れ出る。知らない間に腕には玉の様な汗。背中は既に汗が滝のように流れていた。下半身しかお湯に浸かっていないのに不思議だ。本を読む為に始めた半身浴だが、今や日課になってしまった。
「ぶはっ。限界」
私はそう声をあげると湯船から一旦出て洗面台に本を置いた。
そしてシャワーで汗を流すと頭から洗い始めた。
「ぷふぅ~」
間抜けな声で風呂から上がると体を拭き、用意していた下着に着替えてから一旦キッチンへと向かった。
格好は先ほど変わらないがドテラは着ると熱いので手に持ったままだ。
キッチンに着いた私は水道水をコップに汲むと一気に飲み干した。
「かぁ~」
まるで、仕事終わりのサラリーマンがビールを流し込む様な叫び声。
そしてキッチンを後にすると、寝室へとその足を向けた。