『当たりが出たよ!』
初めて『エッセイ』なるものを書きました。よろしくお願いします。
幼い頃のわたしは、『当たり』を出すことが多かった。
といっても子供のことだから、宝くじとか、馬券、競艇の話ではない。ターゲットは駄菓子屋だ。わたしは両親が二人とも教員だったから、転勤にともなう引っ越しはけっこう多かった。
一番最初に餌食になったのは、一回目の引越しの後、じーちゃんばーちゃんのやってたお店。砂糖のねじり菓子(形はねじってなくて、棒状だったけど)にきな粉をまぶした『きなこ棒』は本当に良く当たりが出た。
つまようじに刺さったそれを口に入れ、食べ終わったら口から出す。『当たり』だと、つまようじの先端にちょこん、と赤いしるしがついていた。
大きくなってから目にした本でも『高確率で当ったお菓子』と書いてあったけど、それにしても良く当てた。ほぼ毎回当ててたから。やっぱり相手も商売だから、それでも元は取れていたんだろうけど。
でも一回、わたしはやらかしてしまった。件のきな粉棒で、『大当たり』なるものを引き当ててしまった、らしいのである。ばーちゃんは一緒になって喜んでくれたらしいけど、じーちゃんはあからさまに渋い顔をしていたらしい。こないだ母から聞いた話で、わたしはその時のじーちゃんの顔も、景品がなんだったかも思い出せないのだけれど。
次に標的になったのは、その次の引越しの後の、家の近所にあったお店。これは駄菓子屋にしては珍しく、子供からしても若いお姉さんが店番だった。
その日の私はくじつきのチョコを買おうとしていた。(種類は何でもいいから、とりあえずチョコが食べたい)というおぼろげな考えで。そう、昔のわたしは(今もだけど)全体にぼーっとした子供だったのである。
『くじを当てるには無欲になるのが良い』という説があるそうだけど、わたしはその《無欲》とやらを体現していたのかもしれない。
ともかくも、当時のわたしはチョコを食おうとくじをひいた。そして……当ててしまったのである。一等を。一等賞は安っぽーい『腕時計』だった。
(チョコ食いたかったのに……)とぼーっと考えるわたしを前に、お姉さんは心から祝福してくれた。
「すごいね! これみんなが当てようとして、どうしても当てらんなかったやつだよ! おめでとう!」
そう嬉しげにほめたたえられ、わたしも何となく嬉しくなった。で、もらって帰った後に友だちのお兄ちゃん(近所の子)に見せたら、
「うわあ、いいな~! ねえ、それくれない?」
と心底うらやましそうに言われた。そう言われてみると、何だか急にこの安っぽい腕時計が、価値のあるもののような気になった。で、断った。大事にタンスの奥にしまって、それきり忘れた。で、なくした。
そういえばその後の引っ越しの時に、『これ捨てても良い?』『うん、良いよ~(あっさり)』といった母との会話があったような。今にしてみるとひどいな、自分。
『お兄ちゃんにくれたれや……』と今になってつくづく思う。子供ながらに、いろいろお世話になっていたのに。
そんな風に駄菓子屋を荒らしていたわたしだが、『当てられなかった』記憶がある。その日、わたしは珍しく、景品目当てにくじをひいた。
当てたかったのは、マイクの小型版みたいなやつ。もちろん、マイクの機能は一切なし。
もち手の部分は黄緑色のプラスチック。マイクの『玉』にあたる所が、何だか妙な形をしていた。ピンク色の……ご飯粒をはんぱに潰したやつの塊、みたいな?
うまく形容できないが、わたしはなぜだかこのマイクもどきに妙な昂奮を覚えていた。それを持てば、テレビの中のアイドルになれるような、錯覚を感じていたのだろう。当時のわたしはそんな分析が出来るわけもなく、真っ向からこのくじに勝負を挑んだ。
結果は……惨敗。いや、本当を言えばマイクを『勝ち取る』ことは出来たのだ。ただし、大枚三千円分の小銭たちと引き換えに。
財布はほぼ空になったが、るんるん気分でマイクと大量のはずれを持ち帰ったわたしに、しかし現実は厳しかった。母親にめちゃくちゃ怒られたのである(当然と言えば当然だが)。
『当てようとしてないと当る』。
『当てようとしてると当らない』。
無欲の勝利、というのは、わたしの例を見るに限っては真実だなあ、と、書きながら思っているところである。
(了)
『三時のおやつ』というエッセイ集を読んでたら、触発されてこんなエッセイ(?)が出来ました。ちょっとにやっとしていただけると幸いですw