008 幼いうちからコツコツと
両親とは、十才になるまで疎遠だった。
『写真でしか知らない両親』と言うべきだろうか。実際は、魔術によってたまに盗み見ていたのは内緒だ。
引き取られた当初、当然の様に両親は理修とどう接したら良いのか分からなかった様だ。
生まれてすぐに体調を崩し、意識が戻らなかった理修を手放した両親。母の娘としてのつまらない意地で祖父には会いに行けず、結果的に祖父が亡くなった十才になるまで理修に会う事はなかったのだ。
祖父が亡くなった時もすぐに知らせたのにも関わらず、葬儀が全て終わってから駆けつけた。母を説得するのに時間がかかったからだ。
それが引き取られた三日前。
家の整理は終わらせてきたが、理修の心の整理がつかないのは仕方がない事だった。
◆ ◇ ◆
初めて、両親の住む家に来た日。理修は、与えられた部屋で、一人膝を抱えていた。静かに、涙が滲み出てくるのを止める事もせずに蹲る。
その理修の前に、光の球が突如として現れた。その球はフワリフワリと宙に留まり、淡い光で瞬いた。
《お辛ければ、あちらに参りましょう》
「……いや、逃げたくないの……」
光の球はその言葉に沈黙すると、心配そうにまた瞬いた。
《……分かりました……。ですが、忘れないでください。貴女の帰る家は、此処だけではないと言う事を……いつでも、お帰りをお待ちしております……》
「うん……」
ふっと光の球が掻き消える。それが何であったか分かっている理修は、ゆっくり顔を上げて苦笑しながら呟く。
「かほご……」
それからまた、考える。
葬儀に来なかった両親。母の事は祖父から聞いて分かっていたつもりだ。けれど、祖父がずっと気にかけていた事も知っている。いつか分かり合えるから大丈夫だと笑っていた祖父。その祖父は、母と妻の写真を見つめながら静かに息を引き取った。
看取ったのは、理修と祖父と同郷の主治医。葬儀にはトゥルーベルとの門を開放し、沢山の縁ある者達が訪った。
勿論、他種族も多く訪れたが、魔女謹製の結界で会場を覆い、どんな種族も人族に見えるように偽装されたので問題はない。会場までの移動も、シャドーフィールドの社員の協力で円滑に進んだ。そして、会場に来た顔見知りの誰もが、理修をトゥルーベルに来いと誘った。その言葉に首を横に振り続けたのは、両親を信じていたからだ。
『きっと迎えに来てくれる』
そう信じていた。
魔術師になった理修は、いずれ身体の成長を止める。この世界の人とは、共に生きられない。それを理解しているからこそ家族に憧れ、信じていた。しかし、現実は難しい。
腫れ物に触る様な、たどたどしくぎこちない態度の両親。理修は、この時初めて心底後悔した。
それから数日が過ぎた。
時が過ぎる程、理修は達観していった。もはや、家族や両親に夢を見なくなったと言ったほうがいいかもしれない。
「理修ちゃん?掃除してくれたのかい?」
「はい。片付けたところは、大体分かると思うけど、わからなかったら聞いてください」
「……うん、ありがとう……」
父はその時、微妙な顔をしていた。と言うのも、まだ母が専業主婦だった数年前の状態に物が片付けられていたからだ。
魔術によって覗き見ていた家族の生活。それが、無意識の内に反映され、在るべき所に在るべき物が納まっていたのだった。
母の仕事は作家。
数年前に突然ブレイクした為に、それ以降の家事が疎かになった。
代わりに父が細々と家事をしていた様なのだが、一人暮らしの経験もない財閥の末っ子と言う経歴を持つ父には、まともに出来るはずもなく。息子二人は、当然あてにならなかった。
家族それぞれが勝手にしているのなら、遠慮なんてする必要はないかと思い至った十才児は、家事を全て掌握する事に成功した。この家での役割り『居場所』を確保したのだ。
「理修ちゃんは、お料理も上手なんだね」
絶賛する父の隣りでは、無言の母がもそもそと食事をしている。
なんとかここで、やっていけそう。そう思っていた。その数日後、偶然に両親の会話を聞くまでは。
◆ ◇ ◆
その日、理修は学校から帰ると、いつもの様に洗濯物を取り込もうと、リビングへと向かった。しかし、その時そこで母が泣いて父に訴えている現場を目撃してしまった。
「っ……っもう、どうすれば良いのか分からないのよっ。あの子の中では、何もできないダメな母親なんだわっ……」
「そんな……理修ちゃんは賢い。きっと、君の負担を軽くしようとしてるんだよ」
咄嗟に隠密用の魔術で、姿と気配を消した理修は、リビングの入り口の壁に張り付いて、聞き耳を立てた。
「あの子、休日はお父さんの友人の所へ行ってるのよっ? 私の事を話してるに決まってるわっ。ダメな親だって……」
確かに、土日は出掛けている。一度、主治医の先生に挨拶をして、祖父の家からトゥルーベルへと行くのだ。世界を渡る為の特殊な『転移門』を、そこに固定してある。トゥルーベルでは、祖父の仕事を引き継いでいるので行かない訳にはいかない。
「全部、お父さんが悪いのよっ。何よっ、あの子元気じゃないっ。病気の治療の為にって話だったのよっ?なぜ治った事を教えないのよっ」
「それはっ……」
父が言葉を切ったのは、母が間違っていることを知っているからだ。
祖父は、何度も手紙を送った。それに返事をしなかったのは母だ。理修は、送られた祖父の手紙が、封も開けられずに、書斎の棚の上にある事を知っている。
許せなくなった。
何て勝手な人なんだろうと思った。そして、理修は、家を飛び出した。
次は、理修の決意表明。