022 召喚の時
2014. 11. 30
物心つく頃、司の家には既に母の姿はなかった。
離婚して出て行ったのだと説明されても、理解するには数年がかかった。
会いたいと思った事はない。母親に甘える同級生を見ても、羨ましいとは思わなかった。むしろ、誰かに甘える自分を全く想像できなかったのだ。
父親は、飲んだくれの無職。本人はパチプロだとか言っていたが、信じた事はなかった。食事も出来合いの物やインスタント食品に頼り切りで、カップ麺を手作り料理だとか言っていた。
「ツカサくんとはあそんじゃダメだって」
父親のだらしない生活は、近所付き合いの殆どない都会でも知られていた。日がな一日酒を呑むか、パチンコに行くかしかない古着を着た中年なんて、子を持つ親にしたら不審者にしか見えないのだろう。
それが、自分の子どもと同じ学校に通う子どもの父親だと知れば、噂が回るのは早い。
「あの子に近付いちゃダメよ」
その言葉による包囲網は最強で、司に友達など出来なかった。
周りの大人の声は、面と向かわなくても良く聞こえるものだ。中でも一番嫌な言葉が一つあった。
「ろくでもない大人になるに決まってる」
その言葉だけは、無視する事が出来なかったのだ。
『親父みたいにはならない』
それが司が初めて抱いた決意だった。
◆ ◆ ◆
転機が訪れたのは、九才の時。
親父が事故で死んだ。
直後は、何が起こったのか分からなかった。理解した時、悲しみよりも解放感の方が強く感じていた。それを自覚した時、自己嫌悪で吐きそうになった。
黙って耐える。言われた事はやる。
そんな幼少期からの習慣は、感受性を強くした。表情は乏しいが、誰よりも他人が向けてくる想いに敏感になっていた。
だから、気付いてしまったのだ。
周りの反応が『呑んだくれの、ダメな父親を持った子ども』と言う侮蔑から『親を亡くした可哀想な子ども』と言う偽善的な同情心に変わった事に。
その後、親戚が引き取る事を拒否した為に施設に送られた。母親の話は一切出なかったので、聞く機会もなく、環境の変化と、周りの対応の違いに戸惑い、心を荒ませていった。
中学に入る頃には、不良グループでもトップに立っていた。
今思えば、自己顕示欲の塊みたいな行為だ。警察沙汰になった事もしばしばあった。
『誰も俺を見ていない』
それが苦痛だった。どれ程『俺は可哀想なヤツなんかじゃない』と言っても曲解され『親がいなくて寂しいのね』なんて言われる。
誰一人として『俺』を見ていない。誰もが『俺を取り巻く環境』を見て『俺を見ている』気になっている。それが酷く腹立たしかった。
だが、それをきっかけにして『俺を見ろ』と暴れれば、次は『父親があんな人だったから』『親がいないから』と、結局俺を素通りしていく。
次第に、苛立ちに任せてバカをやるのも虚しくなった。それからは、吹っ切れた様に周りに無関心を通し、幼かった頃の様に心を閉ざして過ごした。
昼間は学校へ行き勉強をし、郊外の図書館に行って閉館まで宿題と読書をして過ごす。夕食を食べたら夜の町をウロつき、日付けが変わってから帰って眠る。
そんな生活を一年程続けた頃だった。
その『声』が聞こえるようになったのは……。
◆ ◆ ◆
『助けてください……どうか、どうか…………』
微かに風に乗って聞こえる様な『声』は、一日に四回、同じくらいの時間に聞こえてきた。
朝、目が覚める直前。
昼、食事中。
夕方、図書館の閉館少し前。
夜、夕食後しばらくして出掛ける頃。
最初は不気味に思っていたが、実際に害はない。一ヶ月もすると、時計代りに聞く様になった。
しかし、その時は突然やってきたのだ。
お読みいただきありがとうございます。
司くんです。
少し重いかもしれませんが、一人の人が出来上がっていく感じをお伝えできればと思います。
もう一話、司くんで近々投稿します。




