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人がいた形跡というのは間違いなく残っている。
だが人っ子一人いない。
俺が改造手術を受けた時には少なくとも十人くらいいた怪人たちが、何処かへと忽然と消えてしまっている。
手術台が置かれているのだから、やはりここで間違いないのだ。いや、待てよ。
まさか、ここは本部ではなかったのだろうか。
手術を行う時にだけ利用する空間だということか。となると、十八号が案内する所はここではないということか。本部は、別にある。
怒りがこみ上げてきた。
怒りに任せて近くにあったドラム缶を蹴り飛ばす。ドラム缶に穴が開いてしまう。液体が漏れてきた。そのことがさらに不愉快だった。
「どうすりゃいいんだ」
『諦めて人殺しになって人生を謳歌しようぜ』
「しないよ、そんなこと」
そんな会話をしたあとに、俺は息を潜めた。
誰かがこの廃工場に近づいてくる、と気がついたからだ。
やたらと騒いでいるとわかる。
まだ遠くにいる気配なのに、幾多の声がこの廃工場に何度も反響している。そう、幾多だ。一人や二人ではない。もしかすると、十人ほどはいるかもしれない。その人数は俺が捕らえられた時にこの廃工場にいた人数と一致する。
そしてやがて、遠くにいる連中が何を騒いでいるのか、身を隠して、耳に入れることに専念する。
息は小さく。
やがて連中の言っていることを聞き取れるようになってきた。無謀。馬鹿。改造。藤堂。そんな単語が飛び込んできた。
藤堂 風羽美が捕らえられたのだと、わかった。
連中はこれから藤堂 風羽美を改造し、怪人にしてしまうつもりらしい。
当然、そんなことをさせるつもりはない。
この俺が到着し、ばっちりと身を隠しているからには、そんな結末を迎えさせるつもりはない。
今、何故だか、何でもできそうな気分だ。藤堂を救うことだけじゃなく、世界を悪から守り救うことさえも、できそうな気がする。
だから、臆病で退いたりはしない。
思い切って今この場で姿を見せてしまうか。いや、さすがに数が多すぎるか。ならどうするか。俺は足元を流れている液体を見た。
ドラム缶から垂れ流れている。
これだ、と思った。
あとは強い摩擦を発生させることができれば。怪人になっている俺なら、足でそれができると思う。液体、摩擦、と条件は揃った。
あとはどのタイミングで、作戦を結構するかだ。
連中の会話から察するに、藤堂は気絶しているらしい。何人かは藤堂が倒したのだが、全員には至らず、敗北してしまったらしい。
物陰から様子を窺うと、十八号の姿もあった。にやにやと薄笑いを浮かべている。
殺す。
絶対にこいつらを殺す。
そんな強い想念に突き動かされて、頭に血が昇ってきた。
しかし、今が飛び出す時ではなかった。連中が改造のために藤堂に気を向けている最中辺りが一番いいだろうか。
それに加えて液体がもっと廃工場内に流れてからだ。
ガソリンが連中の足元近くにまで流れたら、足と床で摩擦熱を起こして、それを火とする。その火の騒動で連中が慌てている間に、藤堂を担いでこの場から逃げる。
どこまで逃げ切れるかわかったもんじゃないが、急がなければ藤堂が怪人にされてしまう。
キュイイイイイインという音が鳴り響きはじめた。歯医者でしか聞かないような、たしか俺の手術の時にも聞いた音だ。
ガソリンはもう連中の足元近くまで流れている。幸いにして全員が手術に視線を向けているため、ガソリンには気がついていない。
いける。
俺は摩擦を起こした。
一瞬で火の手が上がり、ガソリンが流れているところ全体に万遍なく炎が広がった。
『ひゅう。見事なもんだねぇ』
「今のうちに、助ける」
俺は炎の中に飛び込んで、手術を施そうとしていた白衣の怪人にドロップキックをかました。そして急いで藤堂の拘束を外し、猿轡を外してやった。
どうやら意識はあるらしい。
これならいける。
俺は彼女を担いででも行くつもりだったが、藤堂の意識が無事とあらば、より作戦の成功率は上がるというものだ。
「藤堂、俺はお前を殺したい。でも今は助けるぜ」
「殺して」
予想外の返事が帰ってきた。
「殺してってなんだよ。とにかく拘束は外したんだ。一緒に逃げよう。それとも俺のことが信用できないのかよ。そりゃ俺はもう怪人だよ。でも、今は危険な殺意とかも落ち着いてて……」
『そういうんじゃねえんだよ、カス』
脳内から聞こえている声は怒りの感情を帯びていた。
そして、藤堂は泣いていた。
俺はとりあえず彼女が起き上がろうとしないので、無理やりに肩に担いだ。怪人になったおかげで怪力とか足が速くなったりとか、体力がついたとか、案外悪くない。
藤堂はぼろぼろ泣いてる。
何か悲しいことがあったのだとはわかる。というか、そりゃ怖かっただろう。危険な連中に囲まれて、改造されるところだったのだから。
『お前は知らないんだよ』
「なにを」
『彼女は教えられたのさ。自分がどういう存在かってことを』
脳内の声が、偉そうに俺に告げる。
『お前は、彼女を救えない』
「いや、今救ってるじゃん」
そういうと、閉口したかのように押し黙った。
なんだか納得のいかないまま、裏口から逃げ出す。
怪人連中が炎で足元を燃やされている内に、さっさと街の方角へと駆け抜けて、そして危険じゃないところに連れて行った。
それはもとい、俺の家だ。変なことをするつもりはないが、見られたら誤解をされそうだ。しかし細かいことを気にしている場合じゃなかった。
そういえば奴らは特殊な電波、もとい毒電波を受信してこちらの居場所を特定するんじゃなかったか。とも思ったが、案外連中は現れない。
やがて泣いていた藤堂が落ち着いた。
そして、
「私、0だってさ」
と言って、また泣き出した。ぼろぼろと泣いていて、俺はそんな藤堂の首を絞めようとした。それで彼女はびっくりして、俺の鳩尾を蹴り上げた。その後に頭に回し蹴りさえも放ってきた。俺は吹き飛んだ。
だがおかげで頭がすっきりした。
視界はいまだ真っ赤なままなので、藤堂に俺を縛ってくれと頼んで、ぐるぐる巻きにしてもらった。
その後落ち着いてから、尋ねた。
「0って何なのさ」
彼女はしばらく何も答えない。
やがて言った。
「私は、怪人0号なの」
ぐすん、と彼女は涙ぐんでいた。




