第三話 第十一部 見えない疲れ
由紀「いえーい!」
由紀はニコニコしながら指でVサインをつくった。すごすぎて私は声も出せずに口をパクパクとすることしかできなかった。
芦毛「くそっ!」
それとは対照的に芦毛先輩は大きな声で怒り叫んだ。ガツガツとマウンドを掘り起こして足場を整えているように見えるが、私が見るからにそうは思えない。おそらく自分の投球が不甲斐ないことに苛立ちを覚えているのだろう。四回まで二失点でかつ女性に打点付きのヒットを打たれているのだから。しかし、そんな状況でありながら芦毛先輩は大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。芦毛先輩の目を見ると全く自身を失ってるようには見えない。それより、さっきよりも抑えてやるという気持ちがビリビリと肌身に伝わってくる。私が失点したら芦毛先輩みたいに立て直すことなんてできるのだろうか…。いや、そんなことを考えるよりこれからの打者を抑えればいいだけだ。打たれなければ点は取られない。私もあの人みたいな気持ちで投げよう。
気持ちを立て直した芦毛先輩は二・三回ジャンプをしてからプレートについた。次のバッターは八番の友亀だ。私たちにとってはここで点を取ってダメ押しといきたいところだが、芦毛先輩のあの闘志を燃やした表情は打たせないぞと言っているかのようだった。
シューーー キン!
友亀はうまく当てたがセカンド真正面。また惜しい当たりでアウトになってしまい、スリーアウトとなった。
友亀「なんで真正面ばっかりなんだ。」
友亀はブツブツとつぶやきながら戻ってきた。
海鳳「運が悪いだけだと思うよ、当たりは悪くないし。それよりキャッチャーで大きな仕事をしてるから十分だとおもうぜ。」
友亀「せんきゅ。」
そういうと友亀はせっせとキャッチャー防具をつけていった。そして私に、
友亀「日高、頼むぜ。」
と目を輝かせながら私に言った。私を頼りにしてくれているのだろうか。でもそこまで言われたら期待に答えなければいけない。
亜弓「うん。」
私は額の汗をぬぐってマウンドに向かった。あと二回、最短で六人の打者を抑えれば私たちが勝つ。絶対に抑えてみせる。
芦毛「くそっ!」
ベンチに戻ると芦毛はグローブをベンチにたたきつけて悔しがった。
卜部「お、おい芦毛。グローブは大切に扱って…。」
芦毛「んなこといわれても…ちくしょう!!」
芦毛はベンチにがっくりと肩を落としながらドシッと座った。
府中の心情「芦毛のピッチングは決して悪いわけではない。けれども今年の一年生は強い、強すぎる。とくに今レギュラーで出ているメンバーは誰もが上手い。しかも俺たちスタメン全員はあの女性ピッチャーの球を打てずにいる。なんとか突破口をつかみたい。でもどうすれば…。」
中山「府中先輩、ちょっと気になることが。」
府中「なんだ中山。」
中山「今投げている、日高…でしたっけ? 投球練習を見たのですが、どうも一回から三回よりキャッチャーの構えたところからずれてきてる気がします。」
府中「それは本当か?」
中山「ええ、それに心なしか投球フォームがすこしボールが見やすくなってきてるように思えます。」
府中「そうか…、おい皆! 四・五回で一気に逆転するぞ。今がチャンスだ!」
ベンチの皆「おお!」
府中「せんきゅ、中山。突破口がつかめそうだぜ。」
友亀の心情「なんかちょっと投球が変わってきたな…。リードの仕方変えるか? いや、まだまだ大丈夫なはず。」
私はまだまだいける。このまま抑えて、勝ってみせる。見ててね由紀。私は抑えてみせるから。
四回の裏は一番に戻って栗山先輩だ。前は三振に押さえている。また三振で決める! 落ち着いて、思いっきり!
シューーバシン! ボール
あれ? いいところになげれたと思ったストレートがボールになってしまった。力が入りすぎているのだろうか。もう一度思い切り!
シューーーバシン! ストライク!
今度は決まった。でも構えているところよりは少しずれている。私、疲れているのだろうか。でも疲れている感覚なんてない。なんでだろう。振りかぶって、ミットに向かって!
シューーーキン パスッ ファールボール!
あ、当てられた。でも打球は真後ろのネットに飛んでいった。聞き手は思いっきり握れるし重い感じも違和感もない。目に見えない疲れなのだろうか…。