六十七章 エアリーゼ、再び 1
目を開けると、白い石で造られた堅固な壁が眼前にそびえていた。風の神殿エアリーゼ、その神殿を擁する神殿都市を囲む防壁だ。
その側壁をすり抜けるようにヒュウと風が甲高い音を立てて吹きすぎていく。
都市の周囲は街道以外に何も見当たらない野が広がり、雪は薄らとしか積もっていないが、風が強い為にアカデミアタウンよりも寒く思えた。
流衣はぐっと腕を回す。肩に疲労感を覚え、ぎこちなかったのだ。
「坊ちゃん、やはりお疲れですね? 距離の分、魔力を使わせて頂きましたから……」
申し訳ありません。
青年姿のオルクスが、肩を落として謝る。
「大丈夫だよ、ちょっと肩がだるいくらいだから」
気にしないで、と流衣はやんわり笑う。
「それより、転移してくれてありがとう」
「坊ちゃん……!」
感動したオルクスは、黄緑色の長衣の袖を目元に当てる。
「わては坊ちゃんにお仕え出来て、まっこと嬉しゅうございます……!」
あれ。人型なのに、羽をバサバサしているオウムの姿が見える気がする。
「はいはい。いちいち大袈裟だぞ、アホオウム」
リドが面倒臭そうに言い、門をくいっと顎で示す。
「中、入るぞ」
先導して歩くリドを、オルクスがものすごい目でにらむ。流衣は苦笑しながらリドを追う。
「わぁ、待ってよ、リド!」
その後を更に追って歩きだし、セトが傍らのアルモニカにひっそり問う。
「……彼らはいつもああなのかね?」
どこか呆れたような言葉に、アルモニカは僅かに首を傾げてから頷いた。
「うむ。リドの方は知らぬが、オルクス様はだいたいあんなじゃな」
主人馬鹿なのじゃ。
その返しに、第三の魔物にあれだけ慕われる流衣って一体……と、人畜無害そのものの少年を見て戦慄するセト。このメンバーで最強なのは間違いなくオルクスのはずなのに、その上を行っている気がしてくる。
そんな彼らの後ろからいつものように静かについていきながら、サーシャは傍観者ってなんて楽しいのだろうと、口には出さずに胸中でこっそり呟いた。
*
「あっ! サーシャ小隊長! お帰りなさい!」
門に近付くと、門を守る金茶色の髪をした青年が明るい声を上げた。
「ただいま戻りました。お勤め御苦労さま、ルフト」
丸眼鏡の奥のモスグリーンの目をやんわりと細め、サーシャが声をかけた門番を労わる。
(小隊長……?)
アルモニカ付きの護衛兼侍女ではなかっただろうかと流衣は胸中で首を傾げた。
侍女服ではなく旅装のサーシャは、白革に薄茶色の皮で装飾された見た目に綺麗なチュニックに似た皮鎧を着て、その下に膝下まである紺色のスカートを履いている。履いているブーツもしっかりした皮製のものだ。手には金平糖に似た形の赤い石がはまった長い杖を持ち、腰には中剣を携え、一番上に白いマントを羽織っているので、上品な雰囲気の軽戦士といった空気だ。ひっつめにした灰色の髪と丸眼鏡が知性を伺わせる。
「珍しいですね、アルモニカお嬢様のお側にいないだなんて。お嬢様はどうされたんです?」
ルフトの問いに、アルモニカが背伸びをして自身の存在を主張するが、どうやら視界に映っていないらしかった。
「お嬢様はこちらにいらっしゃいますよ?」
サーシャはくすりと笑いながら、手でアルモニカを示した。
ルフトは緑色の目を丸くする。
「わわ、これはお嬢様! お帰りなさい! 小さくて見えませんでしたよ~」
たはは、と笑うルフト。
「お主、それがわざとだったら怒っとるぞ」
ひくりと頬を引きつらせぼやくアルモニカ。
「馬車はどうされたんです? 何か襲撃にでも遭いましたか? それならすぐに小隊を派遣して潰してきますよ!」
にこにこと笑顔で何て怖いことを言うんだ、この人。
流衣は一歩後ろに下がる。
「馬車はアカデミアタウンに預けてきました。転移魔法を使った旅をしているのです。その途中、こちらに立ち寄った形になります」
「では討伐隊は必要ありませんね!」
にかっと笑うルフト。
「して、ルフトよ。ワシの留守中、何か変わったことはあったか? ……っと、なんだ、ルイ」
アルモニカの着ている灰色のマントを手でぐいぐい引っ張る流衣を、アルモニカは煩わしげに見る。
「アル、猫被らなくていいの?」
「うちの神官は皆、家族じゃて。ワシの本性くらい知っとるわ。……というか、猫言うでない!」
ううっ、怒られた。
首をすくめる流衣。
するとその遣り取りにルフトが笑いだした。
「あははは、何言ってんすか、お嬢様~。お嬢様の猫被りなんてみーんな知ってますって。神殿長様と夫人に躾られてるとはいえ、あの丁寧な話し方、気持ち悪いですもん! いてっ!」
「女性に気持ち悪いとは何ですか。失礼ですよ」
サーシャの杖で殴られたルフトは、頭を手で押さえて謝る。
「すみませんでした!」
やや涙目なのを見ると、教育的指導は相当痛かったようだ。
「ルフト、先程の問いの答えをくれぬかの?」
「は、はいっ。最近、魔物の襲撃率が上がりまして、頻度も上がっています。凶暴度も増し、北部一帯の町や村を捨ててこちらまで逃げてくる避難民が多くいます。今日も朝方に十名が追加されました」
「……ふむ」
「受け入れが困難でありますが、この状況下で断るのは死ねというもの。仕方なく受け入れておりますが、避難民同士の間で不満が出てきているようです。神官にばかり食料が行きわたる等の不平が来ていますが、こちらもかつかつでして……」
困ったように後ろ頭をかくルフト。言われてみてちゃんと観察してみると、流衣にはルフトがやつれているように見えた。ここの神官の白い制服のお陰で立派に見えるだけで、実際は参っているようである。
「また、避難民を王都へと二度移動させましたが、王より三度目は受け入れ拒否との返答が来まして、長が頭を抱えてらっしゃいます。ただでさえ北部は魔物が強い上、活発化傾向にあるというのに……。王が何を考えていらっしゃるのか分かりません! きっと見捨てる気なのでしょう」
「これ、ルフト。滅多なことを言うな。誰が聞いているやもしれぬ」
「ですが! 女王陛下が即位されていた折はもっと平和でした! お嬢様は西部の荒れ具合をご存知ないから……。あちらから流れてくる民もいるのです」
西部というと、現王の領地だ。そちらの面倒まで見切れないというのがルフトの意見らしい。
(ワシも同意見じゃがな……。まったく、領地を荒れさせる領主など欠片も役に立たぬというに)
後継ぎとして育ち、生きる聖人ともいえる父親を持つアルモニカからすれば、現王の統治はお粗末そのものだ。搾取するのではなく、平和的に現状を向上していけば、自然と収益も上がるのに、奪うばかりなのだから。
(今回の旅、良い視察になるな)
領地を治める上での最も悪い例を見る上では、いい教材になりそうだ。住んでいる者からすれば冗談ではないだろうが。
「流石は門番じゃ。よく人の流れを理解していると見える。大変じゃろうが職務を頑張っておくれ」
アルモニカの労わりの言葉に、ルフトは目を潤ませて敬礼する。
「はっ、勿体ないお言葉、かたじけなく思います! 本当、長といい、お嬢様といい、お優しくていらっしゃる。この神殿で育ったことは誇りです」
アルモニカは困ったような笑いを浮かべる。
「ではの、ここを通らせてもらうぞ。こやつらはワシの客人じゃて、構わぬな」
「はっ!」
そうして通ろうとしたが、ルフトが敬礼した後、リドを見て、ああっと声を上げたので、まだ先に進めなかった。
「って、リドじゃないか! てっめー! お前が抜けてから、こっちは仕事が増えて大変なんだぞ!」
「今頃気づいたのか、お前。相変わらずとぼけてんなあ」
ルフトの苦情に、リドはやれやれと肩をすくめる。
リドの正体を知らないルフトの言葉に、サーシャはリディクス様に何て口をっと冷や冷やしている。が、正体を明かすわけにもいかない。それは二年後の約束だ。
「はは、俺、優秀だからなあ。お前、雑用は要領が物言うんだよ。ま、頑張れ」
「ちぇーっ。暇なら手伝えよな!」
「暇じゃねえよ。こいつ探しで忙しかったから」
ポンと背中を軽く押され、流衣はルフトの前に押し出された。え? え? と目を瞬いていると、ルフトが大仰に驚いた。
「ってことは、こいつが、あの、“気弱な癖して問題事の渦中に突っ込んで、どういうわけか力づくで解決する小動物”か!」
「エ」
なんだそれ、ひどい。
「リド、あなたは何て紹介をしているのですか! 怒りますよ!」
オルクスがぶち切れて睨むのを、リドは涼しい顔で流す。
「何か嘘言ったか?」
「言っておらぬなあ、見事に」
「アルもひどい!」
流衣は思わず叫ぶが、スルーされた。切ない。
ルフトは物珍しげに流衣をじろじろと見て、にかっと笑顔を浮かべる。
「俺、ルフト・グライツっていうんだ。神殿の孤児院育ちでさ、仕事に慣れてるから、見習いのリドの世話役してたんだけど、あっさり追い抜かれちまってしょげてたりする」
「そ、そうなんですか……。僕は流衣です。ルイ・オリベ。ルイと呼んでくれたら嬉しいです」
「分かった。それでルイ、お前、いくつだ? 見たとこ十三くらいか? 俺は十九だ」
「十六歳です」
ルフトはぴしっと固まる。
「えええ?」
「そうなのかね?」
え? 何故、ルフトだけでなく、サーシャとセトまで驚いているのだ。
「言っとくが、まじだぞ、まじ」
リドの取り成しに、ルフトは空を仰ぐ。
「まじかよ。成人してんのかよ、これで! うわああ、すげえ、すごすぎる!」
「あの、そこまで驚かれると、その、落ち込むんで……」
「まあまあ、坊ちゃん。老けて見られるより宜しいと思いますよ?」
オルクスの取り成しも切ない。
「ルフト殿、わてはオルクスと申します。坊ちゃんの使い……」
「従者をされとる方じゃ!」
オルクスが笑顔でカミングアウトしかけるのを、アルモニカが口を挟んで防ぐ。
ルフトはオルクスと流衣を見比べて、目を丸くする。
「へえ、そうなのか。従者がいるなんて、育ち良いんだな!」
それだけで納得するルフトを見て、ちょっとは疑うべきではないかと不安になる流衣である。ルフトはどうも人が良くて能天気らしい。
「ルイ、お嬢様を助けてくれてありがとうな。一年も眠ったままだったんで、神官一同、そりゃ心配してたんだぜ? 元気になってくれて嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます……」
そして優しい人みたいだ。
流衣はあったかい気持ちになって、自然と礼を口に出す。
「でも、なんか、クリスさんが追い出したんだって? あの人、デューク様のこと大好きだからなあ。あ、知ってるかもしんねえけど、デューク様って神殿長のことな。俺、思うに、アルモニカお嬢さまをとられるって思って心配したんだと思うんだよな! 娘を持つ父親の代わりに追いだしたんじゃないかと。俺も姉ちゃんに虫がついたら排除するもんよ~。クリスさん、ときどき冷たい人だけど、良い人だからさ、少しでいいから許してやってくれよ」
ぺらぺらと失礼な言い回しで擁護するルフトに圧倒される流衣。しかもさらりとシスコンみたいなことも暴露したような気が……。
「は、はい。でも僕、別に怒ってないですよ? クリスさんの立場なら、ああして当然じゃないかと思いますし……。むしろ、アルやアルのお父さんの近くにあんな人がいて良かったなって思ってます」
流衣は真面目に返し、困ったように笑う。ルフトは唖然と目を瞬いた。呆然と、リドを見る。
「なるほど。さっすがリドの親友だけあるな! 良かったなぁ、リド。良い友達じゃん!」
「もういいから、仕事しろよ、お前……」
遠回しに褒められたリドは、照れ混じりにルフトを小突く。
ルフトは嬉しそうに笑みを浮かべると、門の方を示す。
「ほんと、お嬢様を助けてくれてありがとな! 今、うちはちっと落ち着かねえかもだけど、ゆっくりしてってな!」
そして、皆、ルフトの明るい笑顔に見送られながら、門から神殿都市へと入った。
「神官さん達、良い人達だよね。養生してた時も親切にしてもらったんだ」
流衣が話しかけると、アルモニカは誇らしげに胸を張る。
「そうじゃろう。皆、ワシの自慢の家族じゃからな!」
そう言うアルモニカの言葉を文字通り受け止めた流衣は、後でエアリーゼ神殿勤めの神官の七割が、神殿の孤児院育ちと聞き、ひどく驚くことになるのだった。
ひたすらルフトがうるさい回でした(笑
流衣が寝てる間のリドの生活がちらりと見えた感じです。
リドは要領が良いので、たいていの仕事はそつなくこなすタイプ。