幕間15
顔半分をやけどした、金髪の女がベッドで細い息をしていた。
闇魔法使いのギルドマスターにかけられた呪いが、彼女をむしばんでいる。日に何度か呼吸困難におちいり、死の淵から生還する。
ユリアは精神的にぎりぎりまで追い詰められていた。
最後にひと目だけでいい。教祖――ヴィクトル・アーツに会いたくてアジトに戻り、ヴィクトルには手厚く保護された。
彼は世界に混沌をまき散らすが、配下のことは大事にしている。彼自身、異形のせいで迫害されてきたからだ。
ヴィクトルはサイモンとともに、ギルドマスターを探すと出かけた。
(私のせいで、あの方が呪われたらどうしよう)
不安だった。
ユリアが夫の暴力から逃げ、川で自死しようとしたのを止められたあの日以来、ヴィクトルは闇に差すほのかな光だった。
(サイモン、ずるい……)
あの戦闘狂がうらやましい。ユリアもヴィクトルの片腕として働きたい。
ヴィクトルがほんの少しこちらを見て、気遣いのある言葉をかけてくれたら、それだけでいい。彼がユリアを利用していても構わない。それはユリアに利用価値がある証明だから。
今、いったい何時くらいだろうか。閉めたカーテンの隙間からこぼれる光は、だいぶ薄まった気がする。
その時、急に呼吸が楽になった。
「え……?」
しばらくして、ヴィクトルとサイモンが部屋にやって来た。
「ユリア、ギルドマスターの血を奪ってきた。起きて大丈夫なのか?」
扉を開けて声をかけたヴィクトルは、慌ただしく駆け寄ってくる。沈着冷静なヴィクトルには珍しい態度だ。
ユリアはベッドに座った格好で、ヴィクトルのほうを不思議に思って眺めた。まるで本気で心配してくれていたような……。
「恐らく、呪いが解けました」
「推測だろう? サイモン、医者を呼んできてくれ」
「分かった」
ちっと舌打ちして、面白くなさそうにユリアをにらんでから、サイモンは身をひるがえす。入れ替わりにサイモンの部下、ラズリードが血相を変えて現れた。
「大変です、教祖様。魔王の遺体の一部が消えてなくなってしまいました」
「なるほど。あの男は死んだのか」
事態を理解したのか、ヴィクトルはほっと息を吐く。ユリアの頭に手が伸びてきて、優しく撫でた。
「もう大丈夫だ、ユリア。呪いは完全に消えた。だが念のため、医者に診てもらおう」
「……はい、分かりました」
生きていて良かった。胸に温かいものが満ちて、ユリアは目を潤ませる。
「良かったっすね。姐さん……!」
ラズリードがぐすんと鼻をすすり、そういえば彼もいたと思い出し、少し気まずくなる。
「でも、いいんですか、教祖様。魔物の源がなくなってしまいましたよ。計画に支障が……」
「しばらく〈悪魔の瞳〉は休業かな。人が生きている限り、闇は必ず生まれる。それまで、表のほうをがんばろうか」
表向きのヴィクトルの顔は豪商だ。異端児として生まれたヴィクトルは先身の才を持つ。その力を使って、商売で成功をおさめたのだ。
医者が到着し、サイモンが無言で部屋の隅に立つ。医者が呪いも解けたようだし問題はないが、これまでの呪いが心身に負荷をかけているので、しばらく休むように言った。
医者が退室して扉が閉まると、ヴィクトルはどこか遠くを見て、ふっと笑った。
「何か見えましたか、教祖様」
ユリアの問いに、ヴィクトルは首をゆるく振る。
「いや、結局、あの少年はこちら側に来なかったと思ってね。彼は運が良い。あんなに異端なのに、世界に溶け込んでいる。不思議な子だ」
「守ってくれる奴がいるってだけだろ。俺達とは根本から違う」
「そうかな。バランスが崩れれば、あっという間にこっちに転げ落ちるよ」
ふっと口端で笑い、ヴィクトルはわずかに目を伏せる。
「今のこの国には、前王がもたらした混沌がある。平和になって落ち着くまで、私たちも休息だ。資金集めもしないとね」
異端者の平和のための暗躍なのだ。今はいろんなものが入り乱れて、光と影の堺があいまいだ。こんな時は、自分達は必要ない。
「しばらく落ち着いて過ごせるし……。ユリア、そろそろ結婚しようか」
「え」
驚いて固まったユリアだが、何か言う前に、サイモンが切れた。
「はー!? その女と教祖様が結婚したら、継母ってことになるじゃないか。そんなのごめんだ!」
「どうする気だい?」
「……家出する!」
数瞬迷って、サイモンが返したのはこんなことだった。そのままサイモンは怒って立ち去り、ヴィクトルは噴き出す。
「家出だって。可愛いことを言う」
「リーダーは教祖様の前では素直ですからね。アカデミアタウンにいるでしょうから、またご連絡ください。待ってくださいよ、リーダー! 俺を置いてかないでくださいよー!」
ラズリードはヴィクトルにお辞儀すると、すぐさま部屋を飛び出していく。
あんな気難しくて物騒な少年を、上司として慕うなんて、ラズリードの気がしれない。ユリアは閉まった扉を見つめて、困惑でいっぱいだ。
「どうして泣いてるの、ユリア。そんなに嫌だった?」
「……だって、これ以上あなたからもらったら、どうお返しすればいいか分からなくて。苦しいんです」
ヴィクトルは組織の者には誰にでも優しいが、これはユリアには過大なことだ。
「だいたい、教祖様の隣にいるのが、私のような醜い者では、表の仕事に支障が出るかと」
「構わないさ。どうせ私は嫌われているし、妻を愛するあまり表に出さないせいで噂が立ったとしても、特に変わらない。最初はただ君を憐れんでいただけだったが、共にいれば真心は伝わるよ」
「ふっ。ふふふ。真心だなんて……〈悪魔の瞳〉の教祖らしくないですね」
ユリアは小さく笑い、ベッドの傍らに座るヴィクトルの肩に、そっともたれかかった。
「あなたが私を利用するつもりでも、夢を見させてくれるならそれで構いません。私はいつか、あなたのために死にたい」
「それは少し困るなあ。悪だくみするにも、相棒は必要だ」
苦笑混じりにつぶやいたけれど、ヴィクトルの声は穏やかだった。
王国に平和が戻り、混沌が必要になるその日まで。ユリア達はしばしの休息として、ぬるま湯のような日々につかることとなった。




