八十二章 凱旋パーティー 4
「女王陛下、ご入場!」
衛兵の声とともに、パーティー会場にいた人々は雑談をやめて、玉座に礼をとった。
奥の扉から、真紅のドレスをまとった凛々しい女性が現われる。ロザリー・クロディクス・エマ・ルマルディーだ。豊かな赤い髪を結いあげ、小さな金のティアラを付けている。青い目を輝かせ、堂々と立つ姿は優美なライオンのようだ。
彼女は皆よりも一段高い場所にある玉座の前に立つと、侍従から金のゴブレットを受け取った。ゆっくりと見回し、口を開く。
「皆、この晴れやかな夕べに、よく集まってくれた」
ハスキーな声が、ホールに響く。魔法の仕掛けがあるのか、後方にいる流衣達にも、天井からその声が届いた。
「悪夢のような日々だった。あの悪しき簒奪の王は、都に魔物を解き放ち、反対派を次々に処刑し、国を恐怖に陥れた。ラーザイナ魔法使い連盟はほぼ解体され、闇の魔法使い達をのさばらせてしまった。そして、あなたがたがそうであったように、私もまた愛する者を奪われた」
あちこちから溜息が落ちた。
「だが、我々は取り戻した。国を、民を、平和を! あの悪しき王から!」
力強く言い、女王は美しく微笑んだ。気付けば会場にいる人々は、女王に見とれている。
「今宵はそれを祝うパーティーだ。どうか心ゆくまで楽しんでいって欲しい」
そして、ロザリーは杯を掲げる。
「ルマルディー王国を取り戻した喜びに、乾杯!」
「乾杯!」
客達の声が響く。
ロザリーがにこりと笑って玉座につくと、また会場にざわめきが戻った。拍手や歓声とともに、あちこちで乾杯する声が聞こえてくる。
流衣も仲間達と乾杯した。流衣はジュースだが、リドやディルはワインを飲んでいる。ここでは十六で大人だから流衣も飲めるのだが、一口飲んでみたら渋くて無理だった。
玉座の前では、貴族達がロザリーへ順にあいさつしている。
遠すぎてよく見えないが、流衣には物語の世界のようで面白く、彼らの様子を眺める。最初あたりでアルモニカがあいさつしていたので、いつの間に移動したのかと驚いた。するとディルが小声で教えてくれた。
「あれはな、位の順にあいさつしているのだ。同じ位ならば、家長の年齢順、同年齢なら男性から先に、そんな順だな」
「へえ。それじゃあ、爵位ごとに年齢まで覚えてるの?」
「高位と同列だけ覚えるよ。あとは付き合い次第だ。リド、君もいつかはあんなふうにあいさつするのだぞ」
ディルがリドに示すと、リドはにやりと返す。
「覚える数が少なくてラッキーだな」
「まあ、確かにそうだ」
ふっと笑い、ディルは同意した。
「後半になったら呼ばれるから、休憩するなら今のうちだぞ」
「えっ、それじゃあ僕、お手洗いに行ってくるよ」
「俺も行く。緊張してきた」
流衣とリドがそそくさと出口に向かうと、ディルがおかしそうに笑った。
そして、とうとう流衣達の順番がやって来た。
願い事については、すでに話を通している。あちらから異論がなかったので大丈夫なのだろうが、大勢の人の前で、ひんしゅくを買いそうなことを言うのは怖い。
(でも、フェルナンドさんと約束したんだ)
膝が震えそうでも、流衣の決意は固い。
ディルが前であいさつしてくれるので、流衣とリドは見よう見まねで続く。簡単に教わったが、付け焼刃だ。緊張で思い出せない部分もあり助かった。
「ディクラウド・レシム・カイゼル、セト・クレメント・オルドリッジ、リド、ルイ・オリベ、サーシャ、前へ」
大臣の声に従い、ロザリーの前に進む。そして片膝をついて頭を垂れた。
周りで客達がざわつく。あれはいったい誰だろうとひそひそ話す声が聞こえた。
女王がすっと椅子を立つ。
「皆、よく聞いてくれ。この三人は、以前、簒奪の王に国を奪われる前、我が弟を助けてくれた者達だ。あの悲劇の建国祭の日、パーティーに招待していたが、彼らも巻き込まれたらしい。しかし、こちらのルイ・オリベはたまたま〈塔〉で風の神殿の姫を助け、二人は城下町で魔物を払う手助けをしてくれたそうだ」
あちこちから感嘆の声が聞こえてくる。
「そして今回もまた、彼らは重要な助けをしてくれた。あちらの風の姫、セト・クレメント・オルドリッジ、サーシャとともに先陣を切って城に入り、夕闇の塔にいた無実の囚人たちを守ってくれたのだ。ルイ・オリベはまだ若いながら、巨大な結界を張る技を持つ魔法使いである」
ロザリーはふと流衣の肩にとまるオウムに目をとめて、微笑みとともに付け足す。
「忘れてはいけないな。そちらのオウムは彼の使い魔だ。彼も活躍した」
『そうですとも!』
流衣にしか聞こえない声で、オルクスがふふんと誇らしげに呟いた。
「この功績に報いるため、彼らに、一つだけなんでも願いを聞くと約束した。さあ、お前達は何を望む?」
ロザリーの不敵な問いかけに、流衣は腹に力を入れた。緊張の震えを押さえつけ、一度、仲間達のほうを見る。彼らは言っていいのだと頷いた。それに励まされ、流衣はロザリーを見上げて発言する。
「陛下、恐れながら、ルイ・オリベが願いを申し上げます」
「うむ、言ってみよ」
「このたびの騒動の裏では、前の魔王の亡霊が糸を引いておりました。闇魔法使い達のマスターとして」
流衣がそう言うと、会場内に怯えのような動揺が走る。
「前の魔王は――フェルナンドは、本当はただの普通の青年でした。人間だったのです。しかし昔、この国の王が差し向けた兵に追われ、勇者に討ち取られたのです。彼はそれをずっと恨んでいました。家族や仲間を奪われ、どれほど悲しかったでしょう。しかし王も神殿もそれを隠しました」
ここで大臣が怖い顔をして、流衣をしかりつける。
「不敬な! 王家の先祖を馬鹿にするのか!」
打ち合わせ通りとはいえ、威圧が怖くて、流衣は首をすくめる。誰かが反発するだろうから、先にこちらで口を挟むことで、その勢いをそぐと聞いていた。演技とはとても思えない怒鳴り声だ。
『大丈夫ですよ、坊ちゃま』
オルクスの声に励まされ、流衣は気を取り直して続ける。
「僕はフェルナンドに乗っ取られかけ、彼の人生を何度も夢で見せられました。本当に悲惨だった! ようやく得た平穏も、かつての勇者に奪われたのです。ただ、魔王として生まれついてしまったというだけで。運命だからと片付けるには、あんまりです」
会場がざわめき、ロザリーは右手を上げて制する。
「それで、お前はどうして無事にここにいる?」
「彼と話し合って、勝ちました。当時、フェルナンドは生きていてはいけないと言われていたそうです。でも、僕は生きていて良かったと思います。彼だって誰かの大事な人だ。だから僕は望みます。この騒動の原因となったことを、歴史書にのせ、広くしらしめて欲しいのです。どうか無かったことにしないでください。ひどいことも悲しいことも、つらいこともたくさんありました。でも、忘れたら、いつか同じことが繰り返されるでしょう。それを防ぐためにも、どうか、お願いいたします」
流衣が深く頭を下げると、後ろで仲間達も声をそろえた。
「お願いいたします」
会場はしんと静まり返っていた。
ロザリーは落ち着いた声で問いかける。
「その亡霊に、私の婚約者は命を奪われた」
ロザリーの言葉が、流衣の胸に突き刺さる。彼女にとって、酷なことを言っている自覚はあった。
「しかしこれは我が先祖の過ちを、巡り巡って私が受け取ったということなのだろう。その望み、受け入れよう。同じ悲劇を繰り返さないために、未来へのくさびとしようではないか」
玉座の前に立ち、ロザリーは朗々と答えた。その姿は私事にとらわれず、国の未来を案じる為政者そのものだ。
「皆も、このことをよく覚えているがいい。そして、後世に向けて語り継ぐのだ。人が魔王に選ばれることがある。それは明日の私かも知れぬし、お前達やその子孫かもしれぬ。それは恐ろしいことだが、誰か一人を生贄とせずとも、平和をたもつ術はあるはず。そのためにできることを探そう。議論を深め、対策をして、もし魔王になったとしても、幸せになる道はないか。諦めることはいつでもできる、探し続けることが重要だ。私は私の民を見捨てはしない」
この演説に、不安げな顔をしていた人々は勇気づけられ、会場に温かい拍手が満ちていく。
ロザリーは紅を塗った唇を釣り上げ、男勝りに微笑む。
「勇敢な少年達、他にも褒美は用意してある。後で大臣から受け取るがいい」
ロザリーが椅子に座ると、大臣が下がるように合図した。
流衣はもう一度深く頭を下げると、皆とともに後方へ移動する。冷たい目を向けられると予想していたが、あちこちから勇敢だと称賛を受けた。
控室に入ると、やっと気が抜けた。
「良かった……上手くいった……」
ぐったりと椅子にもたれる流衣の前で、ディルやリドは興奮して話し合っている。
「なんて懐の大きな方だ」
「かっこよかったな」
その横でセトはうなる。
「さすがは女王陛下。この状況を逆手にとって、民を守る王としての姿勢を宣言されるとは……。簒奪の王とは違うのだと見せる、最高のデモンストレーションだった」
「きっと後世で賢王と称賛されますわ。なんて美しい方」
サーシャは感動で頬を染め、涙目で震えている。
そこへアルモニカが大臣とともにやって来た。
「ルイ、素晴らしかったぞ。お主もやればできるではないか!」
背中を思い切りどつかれ、流衣はむせる。
「げほっ。痛いよ、アル!」
衝撃でオルクスが肩から転げ落ちたので、流衣は慌てて手を差し出してオルクスをキャッチした。
『ありがとうございます、坊ちゃま。不意打ちでした』
「う、うん。僕も……」
アルモニカは怖いねと目で語り合いながら、オルクスを肩の上に戻す。
大臣も流衣を褒めてから、もろもろの礼だと、金貨や魔法効果を付与された高価な衣類などを入れた箱を置き、持ち帰るように行って部屋を出て行った。
入れ替わるようにして、更に王弟のシャノン公爵――ヴィンセントも加わって、控室でのんびりと飲食を再開する。
その日は夜遅くまで皆で楽しんで、客室で休んでから、翌朝、城を出た。




