八十二章 凱旋パーティー 1
王都に戻って宿で一泊すると、流衣の体調も戻った。
翌朝、遅めの時間に起きた流衣は、日の当たる窓辺に立ち、ぐぐっと伸びをする。
「ふう、すっきり!」
「夜、うなされてたぞ。大丈夫なのか?」
隣のベッドでは、まだ寝間着姿のリドが顔だけこちらに向けて、心配そうに問う。昨日は頑張ったから、今日はそれぞれゆっくり過ごすことになっている。
「うん、大丈夫。体の調子は良いし、悪夢はしかたないよ。でも、眠れないほどではないから」
ゼノの心配通り、フェルナンドに見せられた記憶は、流衣の頭にしみついていて、悪夢という形であらわれた。だが、これは夢だと妙に冷静に気付くので、心配したほどのダメージはない。
「どれどれ」
ラフな部屋着姿のセトが流衣のほうにやって来て、流衣の額に右手を当てる。机には図書館から持ちだした禁書が積んであり、書き物をしている跡がある。セトの「のんびり過ごす」は読書のことらしい。
「ふむ、熱は無いし、顔色も悪くはない。しばし様子見だな」
流衣をよく観察して結論を出すと、セトは人差し指を立てて注意をひく。
「いいか、ルイ。嫌な記憶というものは、思い出しては忘れてというように、振り幅を少しずつ小さくしながら、記憶から薄れていくのだ。今はつらいだろうが、そのうち無くなるだろう。――だが、つらい時は我慢せず、私達に話すんだぞ。話すという行動は、ストレスを軽減させるからな」
そして子ども扱いをして、流衣の頭をぽんぽんと軽く叩いた。リドは目を丸くする。
「すごいな、セトさん。完璧な処置だ」
「私にも話してくれて構わないからな、ルイ」
間に合わせで用意した安物のシャツとズボンを着こんだディルが、この部屋では一人だけぴしっとした態度で力強く言う。すると、枕元で丸まっていたオルクスが顔を上げ、ばっさばっさと羽ばたいた。
「わても! おりますから!」
小さな姿で少しでも存在を主張するため、オルクスは枕によじ登り、ピョンピョンと跳ねる。その仕草が可愛らしくて、流衣はほっこりと癒された。
「ありがとう、オルクス。ああ、可愛い」
ベッドに戻ってオルクスの頭を撫でると、オルクスは撫でられるままで目を細める。
「坊ちゃんの癒しのためならこのオルクス、何回でも撫でられて差し上げまショウ! さあ、もっと撫でるのデス。もっと、もっとです!」
「てめえが撫でられたいだけだろ、うぜえ」
「まあまあ、リド。使い魔と仲が良いのは良いことだ」
渋面のリドに、ディルが苦笑交じりになだめる。
「しかし、昨日はさすがにくたびれた。君達は一晩寝れば回復するようだが、私はあと三日は休みたいよ。年はとりたくないものだ」
セトは椅子に座り直し、やれやれと息をつく。
王都に戻ってきた後、セトは女王軍や〈塔〉への連絡係をしてくれたので、帰りが遅かった。
ディルはずっと牢にいたし、流衣は魔力不足で疲れていた。強がってはいてもアルモニカも疲れており、自然とリドとサーシャが護衛として傍にいることになったせいだ。
「肉を食べたいぜ、肉!」
ベッドにうつぶせになりながら、リドが主張する。つられて流衣のお腹がグウッと鳴った。
「分かったから、腹で返事をするなよ、ルイ」
「正直だな」
「皆で、食事をとりに行こう」
笑いながら、それぞれ微笑ましそうに言うので、流衣は顔を赤くする。
「そんなに笑わなくてもいいでしょ!」
ルイの抗議を、彼らは気にしない。
「こういう時に腹が鳴るってのが、お前の良いところだな」
「私も、久しぶりにまともな食事をとりたいよ。昨晩の煮込みスープもおいしかったが、ステーキは格別だ」
「今日は豪勢にいこう」
セトの言葉に、流衣達はわっと盛り上がる。
「でも急にがっつり食べて大丈夫なの? ディル」
「ああ、大丈夫だ。心配に感謝する、ルイ。病気をしていたわけではないし、閉じ込められていただけで、牢でも鍛錬は欠かさなかった。食事が悪くて少し痩せたが、そのうち戻るだろう」
「良かった。拷問でもされてるんじゃねえかと不安だったんだ」
リドが改めて問うと、ディルは首を横に振る。
「政治犯ではなく、不安要素のある領地への人質だ。貴族なのだ、利用価値があるうちは手出しされない。まあ、弱い立場の者の中には、看守のいじめにあう者もいるようだが、私のいた牢ではありえないよ。個室だったしな」
それを聞いて安堵するが、流衣はふと気になることが浮かんだ。ディルに問う。
「そういえば、ディルは家族に連絡したの?」
「……あ」
ディルがしまったという顔をした。
「すぐに連絡してくる」
「おう、そうしろ。王弟殿下から連絡がいってるかもしれないが、昨日はばたばたしてたからな」
リドの言葉に、流衣も追加する。
「婚約者の人が心配してたよ。安心させてあげないとかわいそうだ。リドはちゃんと神殿に連絡したの?」
「そっちはサーシャさんがしてくれてたよ。あの人は、その辺はきっちりしてるから」
リドがそう言った時、宿の従業員が部屋に訪ねてきた。
まさにこのタイミングで、ディルを探す家族がやって来たようだ。
「ディル! ああ、良かった。無事なのね」
ディルの姉であるミリアナは、宿の一階にある食堂で待っていたが、ディルを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。
長い銀髪を結い上げ、切れ長の目は水色をしている。薄水色のドレスがとても良く似合う美女だ。
ミリアナはディルを抱きしめて、安堵のあまり泣き始めた。姉の抱擁に、ディルがたじろぐ。
「ちょっと、姉上っ」
人の目を気にして離れようとするディルを、ミリアナががっちり押さえこむ。ミリアナの後ろから、茶色い髪をしたハンサムな男が言った。
「ディルクラウド君、我々に心配をかけたのだから、もう少し我慢しなさい」
「義兄上まで……」
ディルが苦笑してそう呼んだ。どうやらミリアナの夫のようだ。
「うんうん、家族の感動のご対面っていうのは、いつ見ても良いものだね」
ディル達を横目に、エルナーが嬉しそうににこにこして言った。
「エルナー君!」
びっくりした。いつからそこにいたんだろう。驚く流衣に、エルナーはすぐ傍のテーブルを示す。
「王弟殿下から連絡をもらってね、僕もここの宿に泊まったんだ。お礼を言いたくて探してたんだけど、疲れてるだろうから遠慮してたんだ。その様子だと大丈夫そうだね」
ちょうど食事していたようで、まだ器にスープが余っている。
流衣がエルナーのほうへ歩み寄ると、彼は感激した様子で、流衣の両手をぐっと掴んだ。
「ありがとう、ルイ君! 〈蛇使い〉を倒したのは、君なんだろう? お陰で、やっと呪いが解けたんだ!」
「それじゃあ」
「うん、僕はもう不老ではないよ」
小声で付け足し、エルナーは感極まった様子で、流衣の手をぶんぶんと上下に振った。
「ええと、僕が倒したというより、あの人の限界だっただけなんだ。僕にお礼を言われても……」
「消えたのを目撃したということかな。それでもいいよ、これであいつの影におびえなくて済むんだ! ありがたい知らせだ!」
なんでもいいから喜び合いたいみたいなので、流衣は一緒になって跳ねてみる。
「わ、わ、ぎゃっ」
「あっ、ごめん、オルクス」
肩にいたオルクスが跳ね飛ばされたので、流衣は慌てて床からすくい上げた。
「エルナー、嬉しいのは分かったから、俺達も食事させてくれ。こいつは腹をグーグー鳴らしてるんだ」
「それならお礼も兼ねて、僕がご馳走するよ。もちろん、他にもお礼させて欲しい」
「エルナー君、お礼なんていらないって。それに、君のお母さんが人助けしていて、それどころではないだろ? 僕はエルナー君に助けられたし、エルナー君も僕に助けられたなら、もうそれでいいんじゃないかな」
近くの六人かけの席に座ると、エルナーがすかさず移動してきた。
「そういう欲の無さは素晴らしいね。でも、それじゃあ気が済まないから、やっぱり手助けしたいな。灰色のセトなんて杖連盟の幹部が共にいるなら、僕の助けなど不要だろうけど」
エルナーは少しだけ嫉妬のようなものを込めて、セトをちらりと見た。
「人手は多いほうがいい。また相談させてくれ。それより、食事だ」
セトはメニューを眺める。リドがすかさず注文を付ける。
「肉がいい!」
「分かっているとも。ステーキと、肉の入った煮込み料理にしようか。それからパンと」
「野菜も食べないと駄目ですよ。ゆで卵のついたサラダ!」
流衣も身を乗り出す。
「君達、私のほうを少しは助けてくれ!」
ディルが抗議するが、皆、食事のことで頭がいっぱいだ。
「お前の分は頼んでおくから」
「ねえ、甘いものを頼んでもいいかなあ、エルナー君。この果物ジュースを飲みたい」
「なんでも頼んでよ。危険な任務が多いから、僕は結構、高給取りなんだ。友達との食事に使えるなんて嬉しい」
エルナーがにっこり笑い、オルクスがピョンとテーブルで跳ねた。
「わても果物や種を食べたいですぞ!」
「ベリーがいいんじゃない?」
わいわいと話す面々の横で、ディルだけがミリアナに泣きながら謝られている。レヤード侯爵家からの人質にディルを出したことが、ミリアナにはこたえているようだ。
ディルの顔がほとほと困り果てているのを見て、流衣は助け舟を出す。
「ディルのお姉さん達も一緒にどうですか?」
「まあ、よろしいんですの? 是非。こちら、夫のマティアスですわ」
「お邪魔するよ」
足りない椅子を横に持ってきて、皆で食事することにした。