八十一章 流衣と魔王の亡霊 3
※残酷描写あります。今回は特に注意です。
それはどこかの山奥に建てられた城だ。
高い岩山の上に、武骨な砦さながらに、木々に紛れるようにしてそびえている。
二十代ほどの年齢になったフェリが、槍を手にして廊下を走っていた。兵士や黒服の者達の亡骸が、血にまみれて横たわっている。
それは地獄にふさわしい、凄惨な有様だ。
「いたぞ! 魔王の配下だ!」
前方にいた兵士が叫び、武器を手に襲いかかってくる。フェリは槍と魔法で彼らを撃破した。
あっという間に死体が五つ増える。
フェリは何も無かったかのように、再び走り出した。
やがて、謁見の間に飛び込む。
「××××!」
フェリは誰か、女の名を呼んだ。まるで白い百合の花のように、長い白髪を持った女が床に倒れている。
他には誰もいないが、壁際にいくつもの死体があった。
彼女が敵を排除したのだと、フェリはすぐに分かった。
「どうして……どうしてだ! 勇者はあちらには来なかった! この有様、ここに来たんだろう!」
女の傍らにひざまずくと、彼女は虫の息ながら生きている。
血濡れの右手を伸ばして何か言おうとしているので、フェリはすぐに女の口元に顔を寄せた。
「魔王様……逃げて。……生きて、欲しい」
それだけ言うと、女は満足げに目を閉じた。体から力が抜け、深い沈黙が落ちる。
「おい、××××! ××××!」
フェリは慌てて女を起こそうとしたが、彼女はすでに息を引き取っていた。呆然と、恋人の遺体を抱えるフェリの前で、謁見の間の扉が開く。
「そこにいたのか、魔王」
カツンと足音を立て、白銀の鎧に身を包んだ男が入ってくる。
そして、何かをこちらへと投げた。
「お前達……」
首が二つ、ごろりと転がる。
フェリの仲間にして側近の二人だ。女と同じくフェリに嘘をつき、侵入者の撃退に向かったはずだった。
「お前が無様に生き延びようとするから、こうして仲間が死ぬ。いい加減、諦めろ。世界の害悪」
「貴様ぁぁぁっ」
フェリの怒りは爆発し、槍を手にして勇者へと飛びかかった。
あまりに凄惨な光景に、流衣は吐きそうになって胸元を手で押さえる。
並ぶ死体だけでなく、切り落とされた頭部を見た瞬間、無理だった。
だが、ここは精神世界。気分が悪くとも、実際に吐くことはない。
「本当に生きていて良かったと思うのか?」
フェルナンドは自嘲気味に笑い、ふと気付くと、流衣の左肩を掴んでいる。
「さっさと負けを認めてしまえ。――どれだけ耐えられるかな」
「え? 何を……」
流衣がけげんに問うと、フェルナンドの姿がふっと消える。
そして、代わりに流衣が槍を手にして、死体の中に立っていた。
「これは、さっきの?」
訳が分からないうちに、体が勝手に動いて、フェリの記憶通りの行動をとり始める。
そして勇者と戦い、殺され、魂が短剣へと封じられるまでを、それから繰り返し見せられた。
何回目か分からないが、もう見聞きしたくなくて、流衣は耳を手で塞いで目を閉じ、体育座りをして丸くなる。
なんとかフェリの役からは抜け出したが、映像は容赦なく続く。
「いい加減、諦めたらどうだ? ここは心の世界だ。助けなんか来ない」
フェルナンドが目の前にしゃがみ、悪魔のささやきを零す。
こんなことを毎晩繰り返されれば、あのアークという男が白旗を上げるのも頷けた。
確かに、ものすごくつらい。
フェリの体験した不幸や絶望にさらされるのは、ほとんど拷問だ。
(こんな日々を送ったんだ。この人は)
魔王ではなく人間として向き合い、流衣はフェルナンドをちらりと見上げる。
(かわいそう。それに悲しい)
心の声が伝わったのか、フェルナンドの顔に再び苛立ちが浮かぶ。
「なんなんだ、お前は。かわいそうは分かるが、その悲しいっていうのは!」
流衣はフェルナンドに、思ったことをそのまま告げる。
「だってあなたは、生きていて良かったと、誰かに言って欲しかったんでしょう?」
フェルナンドは虚を衝かれたように、ぴたりと動きを止める。
彼の動揺に呼応して、映像が止まった。
「本当は、あなたが一番、生きたことを後悔してるんだ。でもそれと同じくらい、生きることを認めて欲しかったんだ!」
流衣の目から、ほろりと涙が零れ落ちる。
「だから……悲しい。僕はやっぱり、あなたは生きていて良かったと思う!」
「う、うるさい。なんでそんな」
「だって、あの女の人は満足そうだった。仲間だって、嘘をついてまであなたを守ろうとしていた。皆、あなたに生きていて欲しかったからだ。あの人達の気持ちまで無視しないでよ。かわいそうだ!」
たまらなくなって、流衣は泣くしかない。
元々泣き虫だけれど、これはつらくてたまらない。
彼らの気持ちも、憎悪という形でしか愛を表現できないこの男のいびつさも。全部、悲しい。
「うるさい! お前に何が分かる!」
「分からないよ。でも、想像はできる。それに、ここで嫌ってくらいあなたの体験してきたことを見た。もう、終わりにしよう、フェルナンドさん。同じことをし返して、こんな悲しい人を増やしていくのは、本当にあの人達の望みなの?」
流衣の問いに、フェルナンドは呆然と立っている。
まるで出会いがしらにいきなり水をかけられたみたいな、拍子抜けした顔だ。
「あいつらの……望みは……」
――魔王様……逃げて。……生きて、欲しい。
死に際の恋人の声が、深層世界に響く。
フェルナンドはそこで急に後ろを振り返り、眩しげに目をすがめた。
「周りの人がなんと言おうと、僕は、あなたは生きていて良かったと思います」
流衣はフェルナンドの手を取って、励ますように言った。
「お前……」
フェルナンドは唖然としていた。
しばらくぼんやりと流衣を見下ろしていたが、徐々にその表情が和らいでいく。それはまるで、雪解けの野に花が咲き始めたような、そんな温かなものだった。
やがて憑き物が落ちたように、フェルナンドの顔が穏やかなものになる。
その瞬間、止まっていた映像に、ヒビが入った。
そして、凄惨な映像はガラスのように飛び散り、世界はまばゆい光に包まれた。
次に目を開けると、流衣達は春の野原に立っていた。のどかな青空の下、色とりどりの花々が地平線のかなたまで咲き乱れている。
「ふふ、はははっ」
突然、フェルナンドは笑い出した。
「はははははっ」
おかしくてたまらないというような、子どもじみた笑い声を立てる。
「……まったく、俺もやきが回ったな」
そして、降参だとでもいうように、肩をすくめた。
「こんな子どもに諭されるとは。俺は生きていて良かったのか。ははっ、そうか。そうだな。――どうして忘れていたんだか、あいつらもそう言ってくれていた」
懐かしそうに目を細め、フェルナンドは遠くを見つめる。
流衣がフェルナンドの見るほうに目を向けると、花畑の向こうで、三人の人影が手を振っていた。姿ははっきりとは分からないが、その姿は光り輝いている。
「叶うなら、次は優しい両親のもとで、穏やかに暮らしたいものだ」
ぽつりと呟き、フェルナンドは光の影のほうへと歩き出す。
ようやく彼は旅立つのだと、流衣は目を細める。
世界が光に染まっていく。
遠くから、フェルナンドが礼を言う声が聞こえた気がした。
はっと目を開けると、大勢の人が流衣を見下ろしていた。
「あ、気が付いた」
誰かの声がしたと思ったら、横から誰かと一羽が飛びついてきた。
「ルイ! 良かったぁーっ」
「坊ちゃんーっ」
「ぐえっ」
思い切り首にしがみつかれ、流衣はうめく。アルモニカは泣きながら、流衣にぎゅうぎゅうとしがみついた。オルクスは頭にひしっとくっついている。
「魔王の亡霊にとりつかれて、全然、目を覚まさないから、もう駄目かと思った!」
『わても心配しましたーっ』
オルクスは良いが、アルモニカの絞めっぷりがやばい。流衣は慌ててもがく。
「あ、アル、やめ、苦し……っ」
「こらっ、アルモニカ、落ち着けって!」
リドの声がして、アルモニカを引き離してくれた。流衣は咳き込み、よろよろと身を起こして周りを見回す。
「どうして? 僕は確かに魔法で封じたはず……」
結界に閉じこもったはずなのに、生身で接しているのは不思議だ。
「目が覚める時に、消えたんですよ。あなたの魔法は成功していました。安心してください」
何を心配したのか分かったのか、倒れたはずのゼノがそう教えてくれた。
なんと流衣の仲間だけでなく、勇者一行も傍にいる。
「あっ、ゼノさん。無事だったんですね」
「ええ。しかし申し訳ありません、あなたに大変ご迷惑を……。その様子ですと、大丈夫のようですが」
ゼノの言葉に被せるようにして、リンクが身を乗り出す。
「いったい何があったんです? 不思議なことに、短剣に封じられていた禍々しい気配も消えてしまいました」
流衣は勇者である達也が持つ短剣を見た。
リンクの言う通り、黒いもやが消えている。流衣はほっとして、微笑みを浮かべた。
「魔王の亡霊さんと――フェルナンドさんと、僕の心の世界でお話ししたんです。その後、旅立って行きました」
空を見上げると、雲間から光が差し込んでいる。天の階と呼ばれる光を見つけて、流衣は嬉しくなった。天国に行けたしるしだろうか。
「いや、意味分かんないから!」
「説明しろっ」
達也とリドの声で、あっけなく情緒から引き戻される。流衣は困って苦笑をしつつ、彼らに話して聞かせることにした。
「いやあ、相変わらず、お前はすげえわ」
話を聞き終えると、リドがうなるように評した。
「思ったことを言っただけだよ」
流衣はそう返し、お茶を飲んでほっと息をつく。
魔法学園の時みたいに、ゼノが敷物を取り出し、お茶の用意をしてくれたのだ。魔力が減りすぎてふらふらしていたので、ありがたくご相伴にさずかっている。
ゼノは心配そうに流衣を伺う。
「あなたも彼の記憶を見せられたのでしょう? ゆっくり休んだほうがいい。精神汚染には治癒は効きませんし、後遺症もありますから」
「ゼノさんは大丈夫なんですか?」
流衣の問いに、ゼノは頷く。
「私は神官として精神的な鍛錬を積んでますし、対処法も学んでますから。眠れないとか、何か心配なことがあったら、神殿で治療を受けてくださいね」
そう言うものの、彼の顔色はあまり良くない。フェルナンドに乗っ取られている間、散々だったのだろうと推測できた。
ゼノの心配を聞いて、アルモニカとリドが流衣に口々に言う。
「もし必要なら、エアリーゼに帰ろう」
「そうだよ、あそこなら充分に手当てしてやれる」
ディルもそれは良いと手を打つ。
「元魔王を昇天させた功労者なのだ。神殿が労わるのも当然だな。しかし、目が覚めて良かった。以前のように、一年寝たままでは我々の心労のほうがひどいからな」
「ごめん、ディル。あのー、ところで皆はどうしてここに?」
今更ながら、流衣は彼らのことが気になってきた。達也が空を示す。
「俺は風の精霊からの情報を得て、すぐに転移してきた」
「こっちもそうだぜ。オルクスが派手に暴れてたから、風の精霊が気付いてな。セトさんに頼んで……って、セトさん、なんで泣いてんだ?」
セトはこちらに背を向けて、ずびずびと鼻をすすっている。その隣で、サーシャが苦笑交じりに返す。
「元魔王のお話がかわいそうで、胸にきたみたいですわ」
「死を望まれるなど、憐れだろう! ルイ、君は本当に良い子だな。生きていたことを認めてあげるとは、彼はどれだけ救われただろうか。ううう」
ハンカチを取り出し、顔を覆って本格的に泣き始めたセトには、流衣も困った。
「セトさん、涙もろいところがありますよね……」
一同はセトの様子に、明るい笑い声を上げる。
やがて達也が改まって姿勢を正し、流衣にお辞儀をする。
「折部弟、お前のお陰で、ようやく行方不明の聖具も奪還できた、ありがとう。あとは残りの聖具を手に入れて、魔王を討伐するだけだ。と言っても、北の山脈に行くのが一番大変なんだけどな。お前と次に会うのは、あっちの世界かな?」
「そうだといいですけど」
「もし戻れたら、お前の兄さん――怜治さんを通して連絡してくれよ。頼んだぜ?」
「ええ、分かりました」
達也が右手を差し出したので、流衣も握手を返す。サーシャが口を挟む。
「あら、親友の交わしですか?」
「ん? いや、よろしくってあいさつ。ああ、この国ではそういう風習があったな、そういや」
流衣も忘れていたが、ルマルディー王国では、右手での握手は互いに親友だと認め合う儀式を示すのだ。だが、流衣は達也と同郷なので、彼が言いたいことは分かる。
達也が立ち上がったので、流衣は問いかける。
「もう、行くんですか?」
「ああ。どうやら女王が城を取り戻したようだぞ。凱旋パーティーに誘われる前に、トンズラしねえとな」
「ええっ、どうして?」
達也の理屈が分からない。驚く流衣に、リンクが呆れ混じりに教える。
「タツは女性が苦手なの。ああいったパーティーは着飾った人が多いから、特に苦手なんですって」
「それでトンズラ……」
ぽかんとしている流衣達の様子に、達也がばつが悪そうにリンクをにらむ。
「おい、余計なことを言うなよ」
「そういえば、勇者様のパーティにはもう一人いたと思いますけど、どうしたんですか?」
リドの問いに、達也は苦い顔をする。
「魔王の亡霊がとりついてたアークって奴が、瘴気にむしばまれたせいで限界が来て、死んだんだ。それで一人になりたいからって、パーティを抜けたよ。アークはエマイユの幼馴染だったんだ。……時間が必要だ」
場の空気がしんみりとなる。彼が憐れな被害者にすぎないことは、流衣達はよく分かっている。
「でも、俺は止まってられないんだ。こうしている間にも、魔王の影響が広がっていくから。これ以上の不幸の連鎖を止めるためにも、勇者として仕事を終えてくる。折部弟、お前も頑張れよ」
「はい! 川瀬先輩も気を付けて」
それぞれあいさつをすると、勇者一行とはここで別れた。
彼らを見送ると、流衣達も王都に戻ることにした。
私信
魔王の亡霊の過去話の件、さっそく教えていただいてありがとうございます。
そうです、それそれ。だいたい合ってましたけど、ちょっとだけ修正しておきます。助かりました。




