八十章 〈塔〉とネルソフの戦い 2
「え……? もしかしてエルナー君?」
オルクスの腕に座った格好のまま、流衣は問いかけた。
エルナーのことはよく覚えている。白髪赤目という異端児――失った色の代わりに、膨大な魔力を持って生まれてくるという生い立ちの持ち主だ。久しぶりに会うが、その美貌は相変わらずだ。
「あのう、坊ちゃん。どちら様ですかね?」
「俺も思い出せないんだけど」
オルクスとリドがひそひそと問うので、流衣は面食らった。一度見たら忘れられない容姿なのに、二人とも忘れているらしい。
本人を前にして大声で教えるのもかわいそうなので、流衣も小声で返す。
「〈霧の魔女〉の息子さんだよ。ほら、霧が出る町でジェシカがさらわれかけて……」
「ああ、お前が巻き込まれたあれか! 思い出した! へえ、本当に不老なんだな。全然変わってねえ」
リドが大声を出したので、結局、流衣の気遣いは泡と化した。
気分を害するのではと流衣は心配したが、エルナーはおかしそうに笑う。
「あはは、そこまで正直だと、逆に清々しくて結構だね。まあね、あの時は血をもらいそこねたから、呪いは全然薄れてなくってさ。それに、反乱軍と杖連盟が関わりがないと思う? 〈塔〉だけじゃない、各地の支部もめちゃくちゃにしてくれたお返しはさせてもらわないと、割に合わない」
そう言って、エルナーは宝石のついたナイフを構える。戦闘態勢をとるエルナーに流衣は質問する。
「ナターシャさんも一緒なの?」
エルナーの母親のことだ。エルナーは否定を返す。
「いいや。〈塔〉が壊滅するごたごたで、他の町にいた幹部も隠れたんだ。杖連盟には、戦いに弱い人や子どももいるからね。母さんは身を隠す魔法が得意だから、安全圏を作って皆を世話してたんだよ」
「そうなんだ」
流衣は感心した。〈霧の魔女〉ナターシャはそういうことは面倒くさがりそうだが、実は世話焼きだったのだろうか。
(ジェシカに優しかったから、子どもには良い人なのかな?)
流衣から見ると、ナターシャは美人なのに柄が悪くて、少し怖かったけれど。
「まったく忌々しい小蠅じゃ。あの魔女の息子か。確かに呪ってやったのに、しぶとい」
〈蛇使い〉の言葉に、エルナーは冷たい目を向ける。
「それはこちらの台詞だよ。今のご主人様は、随分あなたをひどい扱いしてるみたいだね。ボロボロじゃないか。それでもまだ仕えるのはどうして?」
「何故? おかしなことを問う。マスターのあの暗い闇。おぞましくも強大な力。くくく、ゾクゾクするわい。あの深淵にこそ、高みがある」
「……闇に魅せられたか、憐れだな。身を削って、周りに不幸をばらまいて、そんなものが高みなわけがない」
エルナーは〈蛇使い〉と対峙する。
「ここで決着をつけようじゃないか、〈蛇使い〉。明けない夜はないってことを、教えてあげるよ」
「この生意気な若造がぁっ!」
エルナーのあおりに、〈蛇使い〉は短気を起こした。飛んでくる影の刃を、エルナーはナイフで止める。
「さあ、今のうちに行って。事情は知らないけど、君みたいな魔力の強い人を敵に渡すわけにはいかない」
「よろしくお願いします。さあ、参りましょう、坊ちゃん」
オルクスがあっさりと引くので、流衣は慌てる。
「えっ、でも、エルナー君だけじゃ……」
「レ・ストネルムも来てるから平気だよ」
エルナーの言葉に、流衣は眉を寄せる。
「何それ」
「闇属性魔法使用の魔法使い対策部のことですよ、杖連盟にあるんです」
オルクスが代わりに教え、流衣を器用に抱え直す。不安定なので、流衣はオルクスの肩にしがみついた。本当は下ろして欲しいところだが、普段使わないような大規模魔法を使った反動か、足に力が入らないので甘えることにした。
「エルナー、無事だったら、後でウィングクロスにでも連絡くれよ。それじゃあ」
リドはエルナーに声をかけ、ひょいと城壁を飛び下りる。
「気を付けて!」
オルクスがそれに続く直前、流衣も叫んだ。エルナーの返事の代わりに、ガキンガキンと金属音が鳴り響く。
真剣な戦いに突入したようだった。
下に戻ると、混乱は収まっていた。
水浸しになった地面に、囚人がばたばたと倒れている。
「派手にやったな」
リドが感心した様子で言った。
その時、セトがカツンと杖を地面にぶつけた。短く呪文を唱えると、地面から生えだした蔦が、囚人を一人ずつ縛り上げる。
「どれが悪党か分からないから、とりあえず縛っておくぞ」
「おお、助かります」
ヘルムは礼を言い、くたびれた様子でその場に座り込む。
見知らぬ猫獣人が増えていることも気になったが、流衣の意識はディルに向いた。
「ディル! 無事で良かった」
「ルイ、久しぶりだな。オルクスは相変わらずのようだ」
呆れの混ざった苦笑を浮かべ、ディルは流衣達を見上げる。青年の姿をとっているオルクスのほうが、ディルより背が高い。腕に座っている流衣の顔もずっと上にある。
「オルクス、下ろして欲しいんだけど」
「お疲れでしょう? いいですよ、お気になさらず」
「せめて、おんぶとか」
「こちらのほうが運びやすいです」
荷物扱いをされてると、流衣はがくっと肩を落とす。
流衣達のやりとりを傍で聞いていたディルは、くくっと笑う。
「変わっていないようで何よりだ。平和で安心するな」
「僕だって少しは成長したよ?」
「そういう意味ではないんだが」
ディルは詳しく話すつもりはないようだった。
「話は後にしようぜ。ここは安全とは言えない」
周りを警戒しながら、リドが口を挟む。
「兵士は正面のほうへ引いたみたいだが、状況が分からねえ以上、とっととずらかるに限る。だけどよ、こいつらをまとめて連れて逃げるってのも難しいぜ?」
頭をかくリドに、流衣は問う。
「ええと、逃げ道だけ作っておくのはどう?」
「どういうことだ」
「城を囲む壁に、穴をあけておけばいいんじゃないかなって……そしたら自力でも出られるんじゃない?」
流衣の提案に、リド達は唖然とした顔になる。アルモニカが口元に手を当てた。
「おぬし、普段はビビリのくせに、こういうことになると肝がすわっておるよな。影の塔を半壊にした時もそうであったが」
「あれは怖いから、追いかけられないようにしただけだよ」
「怖がりを追い詰めるととんだことになるな。気を付けよう」
アルモニカが失礼なことを呟く。
「わたくし達は転移魔法があれば出られますけど……。他にも逃げ遅れがいた時に便利ですわ」
サーシャが同意すると、セトが頷く。
「そうだな、流石に何人も転移させるというわけにはいかん。魔力がいくらあっても足りない」
「裏庭に外への脱出通路があるのは知ってるけど、城の中枢だもんな」
リドも思案げに、そちらの方角を見る。
「近場に穴をあけるのが安全ですよ。ぐずぐずしている暇はありません、いつこちらに敵が来るか……参りましょう」
オルクスが結論を出し、皆、頷いた。
「よし。それじゃあ、こいつは味方だって奴を教えてくれ。そいつだけ縄を切っておく。だけど、そこの入口をおさえられたら出られねえから、急げよ。そこからまっすぐ行った辺りに、穴をあけておくから」
リドの注意に、ヘルムは礼を言い、数名の人物を示す。リドは彼らの縄を、ダガーで切った。
「感謝いたす。急ぎのところ申し訳ないのだが、水を一杯だけいただけぬか」
ヘルムの頼みに、流衣は背負っていた鞄から水筒とサンドイッチの包みを出す。
「これ、あげます」
サンドイッチを見下ろしたヘルムの毛が、ぶわっと逆立った。
グルルーと腹の虫が鳴り、耐えられない様子で、ヘルムはがつがつとサンドイッチを食べる。
「かたじけない。ろくに食べておらぬので、どうも力が入らなくて……久しぶりにまともなものを口にしました」
あっという間に食べて水を飲むと、すくっと立ち上がった。
「この恩には必ず報います。さあ、行ってください」
「ええ、それじゃあ」
ヘルムに促され、流衣達は門へと向かった。
2017.7/19 加筆訂正。ディルと再会した時の反応を書くのを忘れてましたんで、追加しました。




