七十九章 女王軍の反撃 4
狭い階段を上り、塔の三階に着いたところで、リド達は足を止めた。
目の前に鉄の扉が現われたせいだ。完全に廊下を塞いでいる。
「なるほど、ここから先が極悪人のいるエリアか」
セトの呟きに、リドは不愉快さを隠さない。
「それと、かわいそうな人質も……だろ? ディルは良い奴だ」
「失敬。一般論の話だ」
セトが謝る横で、サーシャが扉に手を伸ばす。
「それより、ここを出ませんと」
「触るな、死ぬぞ!」
アルモニカがその手をはたき落とす。鬼気迫った声に、リドとセトも思わず扉から離れた。
「これはただの模様では無い。魔法陣じゃ」
アルモニカの言葉に、リドは初めて扉をよく観察した。飾りのように、扉に線が描かれているが、離れてみると記号だと分かった。セトも冷や汗をかいている。
「大きすぎて気付かなかった。危なかったぞ、侍女殿。見たまえ、その円に触れると、火だるまになる」
先ほどサーシャが触ろうとしていた場所を示し、セトはそう解説した。
「お嬢様、ありがとうございます!」
顔を引きつらせて礼を言うサーシャに、アルモニカは苦笑を返す。
「いや、手を叩いてすまなかった」
「火にまかれるよりずっとマシです」
「まあ、そうだろうな」
アルモニカとサーシャを横目に、リドはしげしげと扉を眺める。
「流石は魔法使い。こんな罠を仕掛けるとは、狂ってるなあ」
「馬鹿言え、それだけ大事なものがあるのだ。魔法使いを馬鹿にするでない」
アルモニカはぴしゃりと返し、不敵に笑って扉を示す。
「面白い。火だるま、雷、氷漬けに、毒の風ときたか。鍵となる魔法道具が必要なようじゃな」
「鍵? 魔法にもそんなもんがあるのか?」
リドの問いに、アルモニカはこくりと頷いた。首から提げていたネックレスを取り出す。水晶のようにも見える、ガラス製のものだ。中に魔法陣が浮かんでいる。
「例えば、これが鍵じゃ。転移先がエアリーゼの自室にある魔法陣となるよう、道標となる。目印と呼んではいるが、理屈は似たようなものじゃ」
「住所みたいなものという意味だ」
リドが無言で顔をしかめたので、セトが補足した。アルモニカは気にせず続ける。
「物質転移でいう、個別識別コード理論と同じじゃ」
アルモニカは同じ言語を話しているはずなのに、意味が分からなくてリドは閉口した。またセトが解説する。
「分類ナンバーと思えばいい。荷札に一二三と書かれていたら、一二三の札を持ってきた者に渡す。そんな感じのことを、魔法でもしているのだ。実際はここまで単純ではないが、理屈は同じだ」
流石は教師。例えが分かりやすい。
「なるほど、だから個別識別……」
リドが納得すると、アルモニカはぺらぺらと語り出す。
「ちなみにウィングクロスの銀行システムは、この理論を使っていて」
「お嬢様、今はそれどころではありません。鍵はどの看守が持っていたんでしょう? 探さなくては」
サーシャに止められたので、アルモニカは説明をやめたが、思案げに階段のほうを見た。
「もしくは、どこに保管されているか――じゃな。こんな物騒なものを持ち歩くとは思えん」
「よし来た、探し物は得意だ。風の精霊、魔法道具扱いの鍵がどこにあるか分かるか?」
リドが周りに問いかけると、ヒュウッと音がして、一瞬、風の渦が出来た。
「精霊様はなんと?」
「すぐ下の保管庫が怪しいって。面倒だが戻るか」
「別行動は危険です、皆で行きましょう」
サーシャの提案を否定する者はおらず、皆でまた階段を戻った。
「ディルー! どこだー?」
「ディル様、お返事なさってくださーい」
鍵を見つけ出し、罠のある扉を突破したリド達はディルの名前を呼びながら、牢の通路を歩き回った。廊下は日が差さないが、床に埋め込まれた明かりがぼんやりと通路を浮かび上がらせている。
中にはふざけて返事をする囚人がいて、とても紛らわしい。だが、ディルがどの牢屋にいるかまでは分からない。どこも分厚い鉄扉があり、中が見えないせいだ。
「ピギャピギャッ!」
やがて最上階に近い辺りで、ノエルが騒ぎ出した。
「あっ、ノエル!」
飛び立つノエルを追うと、ようやくディルのいる牢が分かった。ノエルが前足の爪で、かりかりと扉を引っかいている。
リドはとその牢に呼びかける。
「ディル? そこにいるのか?」
「その声はリドか?」
「ああ。念の為、質問。お前が魔法学校で名乗ってた名前は?」
「……ディナだ」
ものすごく嫌そうに、うめくような返事が扉の向こうから聞こえてきた。どんな顔をしているか想像できて、リドは笑ってしまう。
「本当にディルなんだな! セトさん、開けてください」
「分かった」
セトが鍵束を使って、一つずつ鍵を試していく。ややあって、ガチリと錠の開く音がした。
手間だったが、保管庫に行ったお陰で、牢屋の鍵も手に入れたのだ。ちょうど良かった。
鉄扉が開くや、ノエルがビュンッと隙間から中へ突撃した。
――ビタンッ
「うっ」
ノエルが顔に貼りつき、ディルがうめいた。ノエルはそのまま自重で滑り落ちる。ディルはノエルを重そうに抱えた。
「ピギャーッ」
感極まった声を上げ、ノエルはすりすりとディルの腹辺りに額を押し付ける。ディルが更にうめく。
「ノエル、やめろ。頭でえぐるな、痛いっ」
「こら、ノエル。落ち着けよ」
リドはノエルをディルから引きはがした。だがじたばたと暴れるので、つい手を離してしまう。ノエルはディルの足元にすり寄った。
「よっぽど心配してたんですね。良かったですね、ノエルちゃん」
「ギャピッ」
親であり主人と会えたノエルはご満悦そうだ。
「ディル、助けに来たぞ!」
「どうじゃ、無事か?」
リドとアルモニカはディルを上から下まで眺める。
安っぽい麻の上下を着たディルは痩せて疲れて見えたが、どこにも怪我はない。
「ありがとう、皆。特に問題はない。処刑の日取りを待っていただけだ。貴族牢だから、他の囚人ともめることもなかったしな」
「だが、近衛騎士団長の居場所を吐けと、脅されたりしなかったのかね?」
拷問を心配するセトに、ディルは頷く。
「大丈夫だ。王都での人質期間もあったのに加え、自白剤を飲まされたが……師匠達はすでにアジトを出ていたようだ。悔しそうにしていたよ」
「そうか、拷問して聞き出さずとも、そういう薬があったな」
「しばらく寝込むはめにはなったが、私は強いから大丈夫だ!」
リド達が心配するのを見越したのだろう、ディルは正直に話して、胸を張った。
「兄貴、一応、治癒をかけてやってくれ」
「そうですわ、そのほうが安心です」
アルモニカとサーシャの頼みを断る理由もない。リドはディルに手をかざし、聖法の術五・癒しを使う。
「アルモニカ、解毒は使えるか?」
「それはサーシャのほうが得意じゃ、頼むぞ」
「畏まりました」
続けてサーシャが術二・解毒を使う。
術が終わると、リドは恐る恐る訊く。
「どうだ?」
「うーん、少し体が軽くなった気がするな。ありがとう!」
ディルは首を傾げ、少しはにかんだ笑みを浮かべた。リド達の気遣いに照れたようだ。
「女王様が決起なさったんだ。俺達はここで暴れて気を引くのが任務……みたいなもんかな」
「ルイが結界で防御してくれている、いったん下に戻るとしよう」
そう言うと、セトはディルの牢を出る。
「セト先生がお仲間になったのか? それから、アルモニカ様、お久しぶりです。このような格好で申し訳ない」
「今はただのアルモニカじゃ。よろしゅう頼むぞ、ディル」
アルモニカはにかりと笑った。
「おい、ディル。一応訊くけど、まさか逃げないなんて言わないよな?」
リドの問いに、ディルは首を横に振る。
「言うものか。女王様が兵を上げたのなら、ここにとどまる必要はない。リド」
ディルは水色の目でまっすぐにリドを見た。
「君の――君達の友情に感謝する」
彼が右手を差し出したので、リドは目を丸くし、ふっと笑う。
「親友なんだ、助けに来るのは当然だ」
改めて、右手での握手――親友の交わしをして、リドとディルはしっかりと頷き合った。