七十八章 カウントダウン 4
「オルクス、お帰り!」
帰ってきたオルクスに気付くや、流衣はすぐさま窓に駆け寄った。
オルクスは頭や背に薄らと積もった雪を、ぶるりと身震いして落としてから、流衣の差し出した手の上へと飛び移った。
『ただいま戻りました』
流衣はすぐに窓を閉めると、椅子から腰を浮かせているリドがいるテーブルへと戻る。セトやサーシャ、アルモニカも食い入るようにオルクスを見つめた。
「どうだった?」
流衣の問いに、オルクスはテーブルの上にぴょんと移動してから、人間語で答える。
「元気でしたヨ。少し痩せてはいますが、貴族の牢ですからネ、部屋も清潔のようでした」
「良かったぁぁ」
流衣は気が抜けて、深々と椅子に腰かける。リド達も安堵の溜息を零す。
オルクスはディルとのことを話すと、最後にくりくりした黒い目で流衣を見上げ、「たびたび様子見に出かけてきます」と言った。
「うん、よろしくお願いするよ。ありがとう、オルクス」
「どういたしまして!」
オルクスは誇らしげに胸をそらして返すと、バサリと羽ばたいて、流衣の肩に乗った。定位置についたオルクスをちらりと見て、流衣も落ち着いた。すっかりこの重みに慣れたので、オルクスが肩にいないとそわそわしてしまう。
「何かあったら、風の精霊に伝えるように言っておきました。よろしいですね、リド」
「分かった。こっちも精霊の話を元に、ネルソフがよくいるような位置をざっくばらんにメモしてるところだ」
テーブルに広げた羊皮紙を示して、リドは言う。
「なるほど。ふふふ、わての出番がついに来たようですね! これをもとに、風の精霊と協力して、地図を作ることは可能ですヨ」
「おおっ、流石はオルクス様じゃ! お父様や兄貴だけでなく、精霊ともお話出来るのじゃな」
アルモニカは目を輝かせて称賛する。
「そういうことなら、リリエさんに頼まれた仕事ははかどりそうだね!」
流衣も嬉しくなって、明るい声を出した。だが、リドは柄が悪く舌打ちする。
「ちっ、だったら最初からそう言えよ! 集中力を使うから疲れるんだぞ。それなら俺は、この周囲の警戒だけしたのに!」
リドの文句に対し、オルクスは意地悪く鼻で笑った。
「ざまあみろ、ですね」
「本気でムカつく!」
ガタンと椅子を蹴立てて立ち上がるリドに向け、流衣の肩の上でオルクスはファイティングポーズを取る。
「おやっ、やる気ですか? 構いませんよ」
「こらこらこら、喧嘩するんじゃない。まったく」
セトが呆れ気味に口を挟む。流衣も大きく頷いた。
「そうだよ、とりあえず僕を間に挟むのやめてね。死んじゃうからさ」
「坊ちゃんにお怪我はさせませんヨ」
「ああ、見くびるな」
オルクスとリドは声を揃えた。
やっぱりこの二人、実は仲が良いんじゃないかなと流衣はこっそり思ったが、両者ともに険悪な目つきでにらみあっている。
「う、うん。とりあえず、リド、座りなよ。たぶんオルクス、忘れてただけだと思うから」
「マサカ、ソンナコトハ、アリマセンヨ」
オルクスはさっと目を逸らした。リドがじと目になる。
「忘れてたんだな?」
「失敬な。聞き取ったものをメモするなんて、七面倒なことをするとは考えてもいなかっただけデス!」
「仕方ねえだろ、目当ての人物一人を探すのはわりと楽だが、目標があちこちにいるんじゃあ、地図を作るのが楽ってもんだろ」
「この辺りの地形に詳しい者がいるならそれでよろしいでしょうが、不慣れな者が書いた情報なんて、クズですよクズ!」
「んだとー!」
眉を吊り上げたリドは、オルクスに手を伸ばしたが、オルクスはさっと舞い上がり、手の届かない天井近くに移動した。追いかけっこを始める二人を見て、アルモニカはやれやれと首を振る。
「売り言葉に買い言葉の見本市だのう」
「あはは。リドもほっとしたんだね、オルクスとじゃれあうなんて久しぶりだよ」
流衣がほっこりして呟くと、一羽と一人は同時に訂正した。
「「じゃれあってない(です)!!」
流衣は首を傾げる。
「ねえ、やっぱり二人は仲良しなんじゃないかな。“喧嘩する程仲が良い”って言うじゃない」
「絶対に違う!」
「絶対に違います!」
断固拒否する姿勢に、他の者も一緒に噴き出した。
「どちらでもいいがね、二人とも。もう夜なのだから、静かにしなさい。他の部屋の人に迷惑だろう」
セトが年長者らしく注意すると、リドとオルクスは渋々大人しくなった。
それを見て、流衣達は再び笑うのだった。
*****
翌日から、リドとオルクスとサーシャ、流衣とアルモニカとセトの二つに分かれての行動開始になった。
「さて、情報収集はリドとオルクス、サーシャに任せて、私達はルイを送り返すための魔法陣作成に挑むとするか」
それぞれ出払っているので、男部屋に集まって、三人でテーブルを覗き込む。
流衣とセトが〈塔〉の図書館、その地下書庫から集めてきた本を、テーブルに積み上げていた。
「風の魔法に、召喚魔法。物質召喚。読んだことがあるのう」
アルモニカは本の背表紙の字を目でなぞると、あっさりと言った。流衣は感心した。
「流石はヘイゼルさんの一番弟子だね。地下書庫に入ったことがあるの?」
「いや、ワシは外出禁止であったのは知っておるだろう? 自宅の部屋か、クソジジイの部屋、他は学校か城しか出歩けぬ。これはワシが他に本はないかとクソジジイに催促して、持ってこさせたものじゃ」
セトは事情を知らないので、困惑したようにアルモニカを見る。
「なんだ、その外出禁止というのは」
「えっと……」
流衣は言葉をにごし、アルモニカを見つめる。彼女は大して気にした様子もなく、説明する。
「幼い頃に兄がさらわれたせいで、お母様が精神的にまいられてのう。ワシに部屋から出ることを禁じたのじゃ。兄と同じように誘拐されるのを恐れてじゃとは思うが……。それを見かねたお父様が、クソジジイをワシの師匠に」
「そんな経緯があったのかね? 君が〈塔〉の外に出ないのは、深窓の令嬢だからだとずっと思っていたのだが」
驚くセトに、アルモニカは頷く。
「ああ。だが、もう済んだ話じゃ。兄は生きておったし、お母様は立ち直られた。ワシの旅立ちも許可を得た。何も問題は無い。――ところで、青の山脈から持ってきた魔法陣の写しじゃが、今更であるが知らぬ文字が書かれておるの」
幾何学模様の書かれた円を、ぐるりと取り囲む文字を眺めて、アルモニカは言った。
「おや、本当だな。ええと、確かここが起点だったな。『私は以下の効果を望む。光の勇者に相応しき者、あまたの世界より一人選び、呼び寄せること。供物は××××』か。内側には、勇者の条件か……。こうして見ると、式としてはそう難しくはない」
セトが読むのを追いかけて、流衣も魔法陣に目を向ける。二人が読めないと言った箇所は、流衣にははっきりと意味が分かった。
「供物は、の後って、大いなる魔力って読めますけど?」
「読めるのか?」
「え? ええ」
セトが目を丸くして問うので、流衣は頷いた。セトはどこか興奮した様子で、紙に書き写した文字を示す。
「ちなみにこの文字はどういう意味だね? これは神聖なる楔の文字だぞ。解明されていないものもある」
「は? でも、僕にはそちらと変わらずに読めますが」
流衣が二人がすらすらと読んでいた文字を指差すと、セトとアルモニカは顔を見合わせる。
「何を言ってるのじゃ、ルイ。これは一般言語じゃぞ、全然違う文字じゃ」
「ええと、僕、この世界に来た時に女神様に言葉を分かるようにしてもらえたから、そのせいかな?」
「そうか、女神の祝福があるのじゃ、神の言語も読めるのかもしれぬな。これは面白い! 大丈夫じゃ、ルイ。悪用はせぬ。この文字の読み方だけ教えよ」
アルモニカは悪用はしないと言っているが、セトともども、好奇心に目を輝かせている。
「え、恐れ多いとかの反応じゃないの?」
一応、アルモニカは神官なのでそう訊いてみると、流衣の予想に反し、アルモニカは否定した。
「いいや。そもそも解読されたくないのならば、神様方があちこちの遺跡や、託宣の巫女を通じて書面に残すことはあるまい。だが教えてくれる程、親切ではないというだけの話じゃ。しかしこれが結構難解でのう」
「神聖なる楔の文字を解読するのは、言語学者の夢だぞ。ルイが来たら、ロマンもへったくれもないな」
セトはそんなことを言ったが、楽しそうである。
すっかり研究者の顔になった二人の様子にたじろぎつつ、流衣は二人に読み方を教える。
しばらくの間、本題からそれたが、これで読める文字が増えたから、ある文献の解読が少し進むと喜んでいる二人を見ていたら、流衣はまあいっかと思ってしまうのだった。