七十七章 反乱軍のアジトにて 3
一方、宿に戻っていたアルモニカは不機嫌に窓をにらんでいた。
外はすっかり暗くなり、夜の時間になっている。
「遅い! あ奴ら、いったい何をしておるのじゃ」
指先で、コツコツとテーブルを叩く。彼女は焦りと不安がごっちゃになって、ついにしびれを切らして椅子を立つ。
「〈塔〉で何かあったのやもしれぬ。ワシらも行こう!」
「いけません、お嬢様」
サーシャは静かな声でたしなめて、アルモニカの前に茶を置く。
「三日後の夕方までに戻らなければ、エアリーゼに戻るようにとセト様より言付かっております」
「だがサーシャ、何かあったのなら助けねば!」
「お嬢様が行ってどうなさいます。共に捕まってしまうのがオチです」
「ぐぬぬぬ」
アルモニカは悔しげにうめき、乱暴に座り直した。膨れ面で押し黙ったものの、彼女自身、分かっているのだ。助けに向かったところで、足手まといにしかならないことを。サーシャはそんなアルモニカに優しい目を向ける。
「お嬢様の心配も理解しております。ですが杖連盟の幹部であるセト様、風の精霊の子であるリド様、そして第三の魔物オルクス様も一緒なのです、ルイ様は大丈夫ですよ」
「ワシはちゃんと全員の心配をしておるぞ!」
サーシャの言葉に腹を立て、アルモニカは間髪入れずに言い返す。サーシャはにっこり笑った。
「ふふ、そうですね」
「何だか釈然とせぬ言い方じゃのう。お主はちっとは心配にならんのか?」
まるでやけ酒を飲むみたいにお茶をあおるアルモニカに、サーシャは「勿論心配です」と返す。
「ですが、わたくしの一番の仕事は、お嬢様をお守りすること。あの方々の為に、御身を危険にさらすわけには参りません。ご容赦下さいませ」
「分かった、分かった。ワシだって、姉のようなお主を危険へ道連れになんてしたくない。オルクス様がおいでなのだし、何かあれば転移魔法で脱出するじゃろ」
「わたくしもそう思います」
アルモニカは小さく頷きだけ返し、カーテンの閉められた窓の方を見やる。
「神殿に赴いたのは良かった。城に行かずにして、最近の情報を手に入れられたからな」
そして、今度は重たい溜息を吐く。
弱り切った顔をして、アルモニカはサーシャを見つめる。
「のう、サーシャ。ワシはどうしたらいい? あ奴らの友人の処刑日が決まっただなんて……どう伝えたらいい?」
「お嬢様……」
サーシャはそっとアルモニカを抱きしめる。
「ですが教えて差し上げなければ。――皆さんが早く戻っていらっしゃるといいですね」
表情に陰を混ぜて、サーシャは視線を落とす。
寝耳に水の嫌な噂に、二人ともひどく胸が騒いでいた。
*
「陛下、我が弟を処刑とは、いったいどういうことでしょうか?」
ルマルディー国の王城、謁見の間に、レヤード侯爵家の現当主フィルフの声が響き渡った。
病床をおして駆けつけたフィルフの顔は青ざめていたが、水色の目には鮮烈な光が灯っている。彼は静かに怒りを燃やしていた。
玉座にいる国王アルスベルは、肘掛けに左手をついて頬を預けた体勢で、フィルフを見やる。
「どう、とは? 貴公は、議会の決定に異を唱えるのか?」
「私も貴族院の一員です、陛下。どうして弟の進退を決める大事な会議にお呼び頂けなかったのですか?」
アルスベルはふっと小さく笑う。
「貴公は何やら勘違いをしておいでのようだ。貴公が参加したところで、この決定は覆らなかっただろう」
「そうだったかもしれません。ですが議会に呼ばれもしないのは、ないがしろにされたも同然。始祖の代より、代々王家をお守りしてきた我がレヤード侯爵家を、陛下や皆様は軽んじられるおつもりか」
片膝をついて臣下の礼をとった姿勢のまま、フィルフは鋭く問いかける。
謁見の間の空気は凍りついた。
レヤード侯爵家は、ルマルディー国内で最大勢力を誇る貴族の代表である。今後、政治を楽にするならば、味方につけておくべき家だというのは、その場に居合せている貴族達には痛い程分かっていた。
しかしアルスベルは、耐えられないというように笑い出した。そして、ドンと玉座の肘掛けを勢いよく叩く。
「貴公の弟はリリエノーラ元騎士団長の弟子だ。あの女が、各地で反乱軍などと称して、暗躍しておるのを知らぬわけがあるまいな? レヤード候、残念だが貴公の弟は道を読み違えたのだ。反乱の一派を見過ごすわけにはいかぬ。――貴公も国防を司るなら、弟の一人くらい切り捨てよ」
「しかし!」
食い下がるフィルフに、アルスベルは指先で払う仕草をした。すぐに近衛騎士がフィルフの腕を取り、その場から引きはがす。
「陛下! お考え直し下さい! 弟に非はありません!」
無理矢理退場させられながら、フィルフは懸命に叫ぶ。
それを玉座から冷めた目で見送り、アルスベルはふと思いついたように言う。
「そんなに弟の死を避けたくば、あの女を私の前に連れてこい。そうすれば処遇を考え直してやってもよいぞ」
フィルフは信じられないという顔をして、言葉を切る。そしてそのまま、謁見の間から追い出された。
控室まで下がらせられると、フィルフは乱暴に突き飛ばされた。床に倒れるフィルフに、待っていた次男のヴァンが駆け寄る。
「兄上!」
「く……っ、この、恥知らずどもめ! 権威に魂を売り渡したか?」
にらみつけるフィルフを、近衛騎士達は鼻で笑う。
「レヤード候、そろそろ引退されてはいかがだ?」
「そうですよ。病で部屋に閉じこもってばかりで、ろくに情勢も見極められぬらしい。どうすれば得になるか、少し考えればお分かりになるでしょうに」
二人はそのまま扉の前に陣取り、フィルフを謁見の間に近づけさせないようにした。ヴァンもまた鋭い目で二人を睨んだが、彼らには何も言わず、フィルフの腕を取って立ち上がらせる。
「兄上、戻りましょう。お顔の色が悪いですよ」
「こんなこと、ディルの苦労に比べれば……!」
「あなたが無茶をして死にでもすれば、傷付くのはディルだと、何故お分かりにならないのです?」
低い声でのヴァンの叱責に、フィルフはようやく気を静めた。すっと気配も緩やかに落ち着く。
「……すまなかった、行こう」
「ええ」
まるで何もなかったかのように、フィルフは控室を後にする。
だが、馬車に乗り込むと、ぐったりと椅子にもたれかかった。馬車で待機していた侍医が、水と薬をフィルフに差し出す。
フィルフはそれを断って、額に手を当てて大きく溜息を吐く。
「……ディル。どうしたらいいんだ、ヴァン。このままではあの子が本当に殺されてしまう」
「兄上、こちらでも手を尽くしています。もうしばしお待ち下さい」
「手だと? まさかヴェルディー将軍を捕える気ではないだろうな。それこそやめてくれ! 悪夢のようだ!」
「幾ら追い込まれたとしても、そこまで愚かな選択はしません。第一、あの石頭が、敬愛する師と引き換えに助かると思いますか? 共に死ぬと言い出すに決まっています」
ヴァンがぼやくように言うと、フィルフはふっと笑いを零す。
「……そうだな、あの子ならそうする」
そこでフィルフがごほごほと咳き込み始めたので、ヴァンは侍医から薬と水を受け取って、フィルフに押し付ける。
「議会は当てになりません。兄上はとにかくお体を一番に考えて下さい。後のことは俺にお任せを」
「……いつもすまないな、ヴァン。私のせいで、貧乏くじばかりだ」
「どこが貧乏くじですか。俺は好きで兄上の手伝いをしているんです、謝られるよりお礼を言われる方が嬉しいですよ」
「ありがとう。よろしく頼む」
「どういたしまして。すでに裏には手を回しています。あとは表で騒いで、圧力をかけるのがベストですね」
ようやく薬を手に取ったフィルフを見て、ヴァンはほっと息を吐く。そして、窓から外を見た。
雲の合間から、光が降り注いでいる。
「豊穣と慈悲の女神ツィールカ様、どうかご加護を」
一片の希望を託して、ヴァンは祈りを呟いた。




