七十七章 反乱軍のアジトにて 2
野営地の奥には、たくさんのテントが並んでいた。
ほとんどが三角錐の屋根をした小型テントの中、明らかに他よりも大きい四角いテントが三つある。
リリエは、左のテントに入っていった。出入り口に掛かった青い布を手でよけ、流衣達も中へ入る。
まず目についたのは大きなテーブルだった。椅子は無いが、六人は席につけそうだ。他には簡素なベッドと、その足元にだけ毛織のラグが敷いてある。ラグの上には背嚢が一つ置かれており、殺風景で女性らしさは全く無い。
「お帰りなさい、団長。いったい何の騒ぎだったんですか?」
テーブルの前に立っていた青年が振り返り、流衣達に気付いて目を丸くする。
「――おや」
近衛騎士団の元副団長であるエイクだった。彼はテーブルの上に広げていた書類をさっと片付けて、端に寄せた。改めてこちらを向き直ったエイクは、事情の説明を求めてリリエを見つめた。リリエは苦笑する。
「カルティエ殿のせいで一騒動よ。新入りが〈塔〉跡地に乗り込んだと勘違いして、彼らを保護したの。お陰で、この子達はここから簡単には出られなくなったわ」
「それは迷惑な話ですね」
顔をしかめるエイクに対し、流衣はショックを受けて声を上げる。
「ええっ、僕達、ここを出られないんですか!?」
「理由の想像は付くけど、本気で迷惑だな、あの爺さん」
舌打ちするリドを、流衣は振り返る。
「どういうこと、リド。僕、何が何だかさっぱり分かってないんだけど」
リドは肩をすくめ、推測を返す。
「ディルのお師匠さん達が隠れてるのは知ってるだろ? つまり、そういうことだろ」
「隠れ家の場所がバレると困るってこと? でも、アカデミアタウンでは僕らは普通に出入りしてたじゃないか」
「……そういやあ、そうだな」
流衣の指摘に、リドも問題点に気付いたようだった。一方、セトはリドに苦情を言う。
「君達、そういう会話は私に聞こえないところでしてくれたまえ。私はこれ以上、拘束時間が増えるようなことは耳にしたくない」
「あ、すみません」
「わりいわりい」
流衣とリドはすぐに謝った。
リリエはなんとも言い難い表情で溜息を吐く。
「あの場所は簡単に変えられたけど、ここはそうもいかないの。あなた達はディルの親友だもの、信頼できるのは分かってるけど、こちらにも事情があるのよ。――それより、お互い、まずは自己紹介といきましょう。そちらの素敵な男性がどなたか知りたいわ」
おどけた調子で言って、ウィンクをするリリエ。素敵な男性と褒められたセトは、気まずそうに身じろぎした。
そんな中、エイクはテントの外に出て、すぐに盆にポットやカップを載せて運んできた。続いて部下が人数分の椅子を運び入れて去っていく。
リリエは両手をパッと開いて示す。
「座って」
言われるまま、椅子に腰かけた流衣達の前に、エイクが茶を注いだカップを並べていく。
「エイク、ありがとう。あなたはどうする?」
「勿論、ここにいます。団長がしゃべりすぎないようにね」
「……本当、にくたらしいったら」
涼しい顔で皮肉を言うエイクをにらみつけ、リリエは茶を口に運ぶ。
流衣達もそれにならって茶を飲んだ。黄葉の木の茶のようだ。緊張続きで口の中が乾いていたからか、飲み慣れた味なのにとてもおいしく感じた。
「ではまずは私からご挨拶するわ。元、近衛騎士団団長のリリエノーラ・ヴェルディーよ。どうぞよろしく」
リリエの名乗りを聞いた途端、セトは豆鉄砲でもくらったような顔をした。
「……あ、ああ、なるほど。そういうことか」
おおよその事情を察したのか、苦々しく呟くと、背筋を正して返す。
「私はセト・クレメント・オルドリッジだ」
「セト? どこかで聞いた名前ね」
リリエは首を傾げたが、エイクは話に食いついた。
「灰色のセトですか? 転移魔法を発明した、天才魔法使い!」
「あー、そうだっけ?」
「もしかして寝ぼけてるんですか、団長。陛下がその功績を称えて、男爵位まで与えられた方でしょう!」
「ああ、思い出した。思い出したから、そんな可哀想な目で私を見るな! アカデミアタウンにいた時にその名前をよく聞いたわね、そういえば」
何度も頷くリリエに、流衣は言う。
「アカデミアタウンにいた時も言いましたけど……。僕が助手をしていた先生ですよ。あの後、旅に協力してもらえることになったんです! それで、〈塔〉に忍び込んだんですけど」
「なるほどね、魔法使いのギルドだもの、幹部が出入りしたっておかしくないわね。ただ、時期が悪かったわ。ちょうど一週間前に、うちの新入りが〈塔〉に忍び込んで、ネルソフ達と一戦やらかしたのよ。それで怪我人が出てね、これ以上、人材を減らすわけにはいかないから、カルティエ殿に見張りを頼んでたわけ」
なるほど、確かにタイミングが悪い。流衣は自然と口元に苦笑いを浮かべたが、疑問を口にする。
「その人達は無事だったんですか?」
「ええ、怪我はしたけど、治療を受けてピンピンしてるわ。一ヶ月、下働きの罰よ」
「命令違反ですし、助けに行った仲間も危険な目に遭いました。軽い方ですね」
リリエの言葉に、エイクがさりげなく付け足した。
(軽いの? 僕にはよく分からないや。でも、その人達、無事で良かったなあ)
闇魔法使い達の恐ろしさは流衣がよく知っている。呪いをもらえば大惨事だ。怪我で済んだならもうけものである。
ここで、リドが軽く手を挙げた。
「ところで、俺達はいつまでここにいればいいんだ? そっちに事情があるのは分かってるよ。でもな、実は王都に姫さんを残してきてて……」
「そうだよ、リド! アルのことだから、じっとしてないで〈塔〉に乗り込むかも!」
流衣は口にしながら、アルモニカはそうするに違いないと思えてきて青ざめた。
「姫さんって……。前に話していたあのお姫様?」
恐る恐る問い返すリリエに、流衣とリドは大きく頷いた。
「アルモニカのことです」
「風の神殿の姫さんだよ」
するとリリエはひくりと頬を引きつらせた。
セトも思案顔で顎に手を当てる。
「侍女殿が止めるはずだが、アルモニカ嬢は随分思い切りが良いですからな、まず間違いないでしょうね」
「いや、セトさん……あれは短気というんじゃ……」
流衣が訂正すると、リドが笑って流衣の肩を小突く。
「お前、そんなこと言ったのがバレたら、また本で殴られるぞ!」
「え!? リド、頼むから黙っててね!」
想像した流衣がリドを口止めしたが、リドはにやにやと笑って返さない。面白がっているようだ。
「――ちょっと待って下さい。風の神殿の姫君の話ですよね? なんだかとんでもないじゃじゃ馬のように聞こえるんですが」
エイクの質問に、流衣達は自然と顔を見合わせた。
「ま、まあ、そうだが……。猫さえ被っていれば立派な淑女だぞ」
セトはアルモニカをフォローしようとして、逆に口を滑らせる。一方、流衣はエイクと目を合わせずに、無難に返す。
「ええーと、ちょっと怖いけど、良い子だと思うよ」
「神殿の皆に慕われてたぜ」
リドだけは堂々と答えた。流衣とセトが思わずリドを見つめると、リドは肩をすくめる。
「嘘は言ってない」
ああ、確かに嘘ではない。アルモニカは風の神殿の神官達にとても好かれている。ときどき猫被りとからかわれたり、怖いと言われてはいたけど。
「詳しく聞くのはやめにしておきます」
流衣達の反応を見て、エイクは賢明な答えを口にした。
(うんうん、それがいいよ。夢が壊れるかもしれないし……)
アルモニカがいれば激怒間違いなしなことを考えて、流衣はホッと息を吐く。
「貴族なんだから、裏の顔くらいあるもんでしょ。この子達と親しいんだから、悪い方ではないはずよ。――で、そのお姫様が〈塔〉に乗り込むかもしれないのね?」
リリエは困った顔になり、前髪を指先でちょんちょんと引っ張りながら考え込む。
「風の神殿の方が敵に捕まるのは厄介ね」
「それだけじゃないんです、リリエさん! アルはネルソフに狙われているんです。杖連盟のギルドマスターの一番弟子でもあるので……!」
流衣の訴えに、リリエはしかめ面になった。だが、出て行く許可は出さない。
「事情はよく分かった。でもね……」
リリエは頷いたが、返事は芳しくない。
その時、出入り口の青い布がさっと開かれた。
「面白い話をしているな」
赤色の髪をした長身の美女が、颯爽とした足取りでテントへと入ってきた。軍服のようなダークレッドの上着と黒いズボンを着ているのだが、男装がとても様になっている。
どこかで会った気がするなあと流衣が思っていると、リリエとエイクがさっと地面に膝を着いて礼をとった。
ぎょっと目を見開いたセトも、慌てて膝を着く。
「女王陛下……!」
「は?」
リドは唖然としたが、意味を理解するや、流衣の腕も引っ張って、慌てて礼を取る。
静まり返ったテント内をゆっくり見回したロザリーは、くすりと笑う。
「立て、楽にしなさい。今の私はただのロザリーだよ」
「何をおっしゃいますか、陛下。我らにとっては、あなたが王に変わりありません!」
立ち上がったエイクが、憤然と抗議する。
「真面目だなあ、エイク副団長は。まあお前のような石頭でないと、こんなはねっ返りを大人しく椅子に着かせるなんて無理だろうが」
「まあ、失礼ですわよ。こんな淑女を捕まえて」
からかうロザリーに、リリエは軽口を返す。エイクが溜息を吐く。
「あなたが淑女なら、ほとんどの女性が淑女になりますよ」
リリエはエイクをにらみつけたが、エイクに何も言わない代わりに、いまだ座ったまま固まっている流衣達に声をかける。
「ほら、ロザリーが良いって言ってるから、礼を解きなさい」
ぎくしゃくとした動きで立ち上がった流衣達を見て、ロザリーは首を傾げた。
「ん? おい、お前、ちょっとこっちを見ろ」
「は、はいっ」
言われるまま、ロザリーの方を見た流衣を、ロザリーはしげしげと観察する。リリエが何かに勘付いた顔をした。
「ロザリーったら、幾ら可愛いからって、年下すぎるわよ!」
「お前、何を妙な勘違いをしてるんだ……? 会ったことがある気がしてな」
「そうなの? 彼みたいな外見の子って、珍しいと思うんだけど、似たような人がいたのかしら」
リリエもロザリーとともに考えたが、思い浮かばずに首を横に振った。
「私はそんな人、会ったことないわね。エイクはどう?」
「私も存じ上げません」
困惑顔をするエイク。ロザリーはパッと閃いた顔をした。
「思い出した! 城で会ったな。初めて見る菓子を持っていた。あれは美味だった」
「お城でお菓子……?」
流衣はきょとりと目を瞬く。思い出せず、左肩に乗るオルクスに小声で問う。
「そんなことあったかなあ、オルクス」
『タルトという名の菓子を焼いた時のことではありませんか? 兵士の皆様にお裾分けされたでしょう』
オルクスの返事を聞いても、いまいちピンとこない。兵士というのは何だか違うような気もする。
ロザリーは口元に薄らと笑みを浮かべる。
「覚えていないなら別に構わん。なんだ、あの時も本当に私の正体を知らなかったのだな。『お姉さんはお城で働いているのか?』と聞かれたのは初めてでな、面白かった」
「ルイ、あなた、陛下にそんなこと聞いたの?」
呆れた様子のリリエに、流衣は首を傾げるばかりだ。
「すみません、あの辺りは色々とありすぎて、よく覚えてません」
「そう、覚えてないんじゃ仕方ないわね。だそうよ、陛下」
リリエの取り成しに、ロザリーは頷き、流衣から視線を外した。流衣はホッと息を吐く。ロザリーの強い眼差しは、どうも肉食動物を思い出させて緊張してしまう。
「ところで、リリエノーラ。さっき、何か面白そうな話をしていただろう。私も仲間に入れてくれ」
「カルティエ殿のせいで、彼らが迷惑をこうむっているというだけの話よ。この子達は、前にヴィンセント殿下を助けた者達で、私の弟子ディルの友人なの。あの事件が起きなかったら、パーティーに参加するはずだった子達よ」
「ああ、ヴィンスの命の恩人達か……!」
ロザリーは青空のような目を輝かせた。嬉しそうに微笑むと、一気に親しげになった。
「ただ巻き込まれただけなら帰すわけにはいかないが、味方なら話は別だ。しかも腕が立つと聞く。どうだお前達、反乱軍に入る気はないか?」
意気揚々としたロザリーの問いかけに、流衣達は文字通り固まったのだった。