七十六章 封鎖された〈塔〉 7
「今頃になってのこのこと出てくる生き残りがいるとはな。間抜けな奴らだ」
セトに剣先を向けている黒服の一人が、セトを嘲るように言った。声の高さや体格からは女のようだが、フードを目深に被っているので分からない。
その声に賛同するかのように、他の四人が笑った。
「お陰で隠し部屋が分かった。そのことには礼を言う」
「……それはどうも」
杖を床に置いたまま、両手を上げた格好でセトが呟く。皮肉でも言わないと治まらない気分なんだろう。
「生意気な奴だ。――さて、どうしてやろう。お前達にどんな呪いをプレゼントしてやろうか」
黒服の一人はそう言って、楽しげに笑う。
すると他の一人が手を上げる。
「口が利けなくなる呪いはどうだ? 魔法使いには致命的だ」
「そんなものは生ぬるい。目から光を奪ってやれ」
別の一人が横から言う。そして四人目は首を振る。
「呪うより良い案がある。俺の魔物の餌にするのはどうだ?」
「それなら僕の影に喰わせてくれよ。こいつときたら、大食いで困ってるんだ」
五人目が四人目へ憐みを乞うように言った。
五人の意見は纏まらず、流衣達の始末について口論を始める。
注意が逸れたその一瞬、彼らの中心の地面から、突如として竜巻が巻き起こった。
突然のことに、彼らは短い悲鳴を上げて、司書室内の四方へと弾き飛ばされる。
「――行くぞ!」
一緒に驚いていた流衣は、リドに左腕を引っ張られて、風が起きた意味が分かった。リドが機転を利かせて、風を起こしたのだ。
「助かった、リド」
セトは礼を言い、素早く杖を拾い上げて、図書館の出口めがけて走り出す。彼は急いでいるのに、床に落ちている本は器用に避けていく。
「急げ、ルイ」
流衣の腕から手を離し、リドはセトを追う。
『坊ちゃん、足元にお気を付けて進み下さい! 足止めはわてにお任せを!』
流衣の肩からオルクスが飛び立つ。
その声に背を押されるように流衣も走り出したが、司書室を出る前に一度足を止めて振り返る。オルクスが何をする気なのか気になったのだ。
「ふははは、闇の魔法使い達に鉄槌を! くらえ、魔法書の舞!」
魔法で竜巻を起こし、床に散らばる本達を巻きあがらせるオルクス。起き上がろうとしていた黒服達は、本の雨を浴びて悲鳴を上げる。本が彼らにぶつかると、あちこちで魔法が起きた。一瞬にして水浸しになる者や、頭から赤い水を被り混乱に陥る者、降ってくる本を避けようとして、足元の本を踏んだせいで、そこからの雷撃に撃沈する者など様々だ。
(……うん、大丈夫そうだ)
高笑いしながら攻撃しているオルクスを見なかったことにし、流衣は出口を目指す。黒服達の二の舞になるのは御免なので、足元にだけは注意を払った。
そのまま出口から図書館の外へ飛び出す。
セトやリドが急げと言わんばかりに手招きしていた。見れば遠くから黒服が一人駆けてくる。流衣は慌てて彼らに駆け寄る。
「彼らはしばらく使い物になりませんヨ」
オルクスが戻ってきて、そう報告した。
「う、うん……」
流衣は頷く。正直、オルクスの声が冷静すぎて逆に怖かった。
だが、使い魔の様子にびびっているのは流衣だけで、セトやリドはそれよりもネルソフの動向を気にしている。
「よし、転移するぞ」
全員が揃ったのを見て、セトが呪文を唱えようとした時、近くの瓦礫の影が広がり、中から黒服の男が現れた。銀色の髪と紫色の目をした、左目に眼帯を付けた男だ。病気のように顔色が悪く、痩せている。
「逃がさない」
男はぼそりと呟き、右手に持っていた鎌を振り上げる。反射的にセトが杖で鎌を弾き返す。
冷や汗をかく流衣の前で、駆けてきたもう一人の黒服が鎌を持った男と合流した。
「堂々とした侵入ぶりは褒めてやる。だが、調子に乗るのもここまでだ」
駆け付けたもう一人がそう言った瞬間、彼の影から三匹の狼が飛び出してきた。
すると、まるで合図でもしたかのように、オルクスとリドが同時に前に出る。そして彼らが攻撃に出ようとした、その瞬間、三匹の狼が横から飛んできた青い炎に包まれ、断末魔を上げた。
「ぐぅっ」
狼を操る黒服は、苦しげに胸元の衣服を押さえる。
「――誰だ」
眼帯の男が、不機嫌そうに問う。
彼の視線の先を見た流衣は、ぎょっと目を見開く。
英国紳士に似た老人が立っていた。黒い燕尾服に黒いシルクハット。杖を手にしている彼は、褐色の肌と黒い髪を持っている。
老人は緊迫感溢れる場には相応しくない、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「いえいえ、私は名乗る程の者でもございません」
そう言った次の瞬間、眼帯の男はその場に崩れ落ちた。いつの間に移動したのだろう、眼帯の男の後ろに立った老人が、右手を手刀の形にしている。急所を突いて気絶させたらしい。
「あ……」
流衣は間抜けな声を漏らす。ネルソフが倒れたことにも驚いたのだが、それ以上に驚いたのは、流衣がこの老人を見た覚えがあったからだ。
セトやリドは警戒して武器を構えたが、流衣はぽかんとしていた。
「前にも会いましたよね?」
以前、〈悪魔の瞳〉が扮した行商人に殺されかけた時、助けてくれた老人だ。確か正体が黒竜だという話だった。
老人は僅かに首を傾げ、やおら手を叩く。
「ああ! 言われてみれば、いつぞやの一般人の少年ではありませんか。珍しい容姿なのでよく覚えております。――しかしまったく、若者らしく無謀な真似をなさる。頂けませんぞ。反乱軍には、ネルソフに一矢報いようなんて考えは捨て、チャンスを待てと報せが出回っているはずですが」
「は?」
要領を得ない流衣。目をぱちぱちと瞬かせるだけだ。
「反乱軍……?」
リドもまた、怪訝な顔で問う。
カルティエは虚をつかれた顔をした。
「はて? ここに来るのは彼らばかりでしたが、もしかして無関係でしたかな? 助け損な上に余計な事を申してしまいました」
後悔したように、カルティエは口元を手で覆う。
「ううむ、これは不味い。あなた方の口を塞ぐというのもあんまりですしなあ。未来ある若者の芽を摘むなどしては盟友に怒られますし。――ほうむ、分かりました。私と一緒に来て頂きましょう」
「な、何を勝手なことを言ってるんだ、君は」
顔を引きつらせるセト。
「よく分からんが、君のミスだろう! 巻き込むな!」
「助けて差し上げたんですから、少しくらい巻き込まれたって構わないでしょう? 安心なさい。なにも取って食うわけではありませんから」
カルティエはマイペースに言い、パチンと指を鳴らす。
すると、流衣達の周囲にふわりと霧が湧きおこった。
「え? 何これ」
目を瞬いた流衣は、視界を覆う程の霧が消えると、再びぽかんと口を開けた。
先程まであった廃墟はどこにもなく、辺りには森が広がっている。正確には森の中にある野営地だ。平らの地面の周囲には柵が設けられていた。
「ようこそ、反乱組織の基地へ。無謀な三人組」
カルティエは道化じみたお辞儀をする。彼がぐるりと周囲を示したことで、流衣達は武器を構えた兵士達に周りを包囲されたことを知る。
「わーお、素敵な歓迎っぷりだな、おい」
リドが半笑いとともに呟く。
「何故こんなことに。訳が分からん」
「僕もですよ、セトさん……」
頭を抱えるセトに、流衣は頷きを返す。
(別に僕達、悪くないよね!?)
まさかの事態におののきながら、頭の隅に赤い髪の少女の姿が浮かぶ。
(アル、ごめん! しばらくそっちに戻れなさそう!)
――願わくば、業を煮やしたアルモニカとサーシャが封鎖された〈塔〉に突撃しませんように。
現実逃避に願いを呟き、流衣は敵意を向けてくる兵士達を眺めた。
七十六章終わり。