七十六章 封鎖された〈塔〉 4
アルモニカが王都の神殿で上手く事を進めている頃、別行動中の流衣達は〈塔〉のすぐ傍まで来ていた。
〈塔〉のすぐ前は食堂や屋台の多い界隈だというのを良いことに、屋台で買った棒状のドーナツに似た揚げ菓子を片手に、こっそりと〈塔〉の入り口付近を伺う。
「昨日と変わらず、正門に二人か」
セトが呟いた。
『そうなんですか。他に変わりはないんですか?』
「あ、オルクス。出てきちゃ駄目だよ。目立つからね」
肩の辺りで動く感触がしたので、流衣は小声でオルクスに注意した。肩にオウムを乗せていると目立つので、オルクスには流衣のマントの下に潜むように頼んでいたのだ。
『申し訳ありません、坊ちゃん……。しかし周りを確認出来ないのは落ち着かないものですね』
「僕も落ち着かないよ……」
ずり落ちそうなフードを指先で摘まんで引き下ろしながら、流衣は小さく溜息を吐く。流衣とセトはフードを被り、リドは毛糸の帽子で鮮やかな赤髪を隠している。
雪がちらつく寒さなので、周囲の人間も似たような恰好だから目立たずに済んでありがたい。
その時、凍えるような風が通りを吹き抜けていった。
通りにいた人々の、「ひゃっ」とか「さむっ」という声が聞こえてくる。流衣も思わず身震いした。
「風の精霊が言うには、昨日と変わらず他に見張りはいないってよ。だが、敷地内を巡回してるネルソフが二人いるそうだ」
ふいにリドが言った。先程の風は、風の精霊がリドの元に報告に戻った為に吹いたらしい。
流衣にとっては寒いのだが、リドは涼しげな顔で立っている。セトもあまり寒そうにはしていない。セトは雪国育ちなので分かるが、温暖な東部で暮らした時期が長いリドも寒くなさそうなのが流衣は不思議だった。生まれつき寒さに強いのかもしれない。
セトが咀嚼していた揚げ菓子を飲み込み、リドに問う。
「報告ありがとう。リド、どちらの方角なら誰もいない?」
「んー、東の方ならいないってよ」
「東か……。図書館からは少し離れるが、北よりは近いからマシだな」
セトは呟き、一つ頷く。
「では一度人目につかない場所に移動しよう。そこの路地裏で転移する」
「了解」
「分かりました」
さっそく歩き出そうとするセトに、リドや流衣は頷きを返した。が、流衣はそこで手に持っている揚げ菓子のことを思い出す。持ち歩くと邪魔になるので、慌てて飲み込む。
「う、げほっげほっ」
粉砂糖でむせてしまい、流衣は激しく咳き込む。
「おい、誰も急かしちゃいないんだから、落ち着けよ」
呆れたようにリドが言い、流衣の背中を軽く叩いた。流衣はこくこくと頷きながら、通りへと踏み出した。
寒さのせいだろうか、路地裏には誰もいなかった。
人目に付かない位置まで移動すると、流衣達はセトの転移魔法で移動した。
一瞬、視界がぶれた後、雪に埋もれかけている廃屋の傍に立っていた。足元には瓦礫と青い瓦が散乱し、雪の合間から除いている。
かろうじて壁が残っている為、流衣達が隠れる場所はあった。
流衣は周囲を見回す。
広い敷地に、建物がぽつぽつと建つ様子は、記憶にある頃と変わりなかったが、どれもが崩れかけ、時には黒い焦げ跡があり、襲撃事件当日の激しさを物語っている。
『坊ちゃん、出ても宜しいですか?』
「あ、そうだね。はい、オルクス。大丈夫だよ」
頭の中へと直接語りかけるオルクスの声に、流衣はフードを広げてオルクスが出やすいようにした。
すぐにマントの下から出てきたオルクスは、一度飛び立ってから、流衣の左肩へと着地する。
『ふう。やはりこちらの方が落ち着きます』
「窮屈だったよね。我慢してくれてありがとう」
『いえいえ。なんのこれしき』
ふんっと胸元のふわふわの毛を突き出すようにして胸を張るオルクス。
流衣はオルクスの可愛らしさに、状況を忘れてつい和んでしまった。
そんな彼らの横で、正しく警戒しているセトがリドに問う。
「――リド、どうだ」
「問題無し。見張りは南と西にいるから、この辺は安全だ。それで? どこに行くんだ」
「すぐそこにある、ほら、あそこに見える黒焦げの塔だ。あれが目的の図書館だ」
セトの指の示す先を、流衣やリドは見つめた。
その建物は、流衣達のいる場所の目と鼻の先にあった。二階建て程の高さで、正四角柱の塔だ。〈塔〉としての本部の建物よりは低いが、周りの建物の中では背が高い。どっしりした趣の造りで魔法でも完全には壊せなかったのか、屋根や壁に大穴が空き、黒焦げになりながらも残っていた。
「扉は壊れてるし、壁にも穴が開いているし、どこからでも侵入し放題だな」
リドがぽつりと呟いた。
「ほんとだ」
流衣も頷いた。リドの言う通り、大きな扉は蝶番から外れて、出入り口に斜めにかかっているし、壁には馬でも充分に通れるくらいの穴が空いている。
「入ってしまえば、ネルソフにも気付かれないだろう。だが、足音には気を付けるように。――行くぞ」
「ああ」
「はいっ」
杖を構え、走り出す灰色の背中を追いかけ、流衣やリドも続く。出来るだけ静かにするべく、小走りに瓦礫の多い雪道へと飛び出した。
そして、玄関の扉の隙間から図書館の中へと入る。柱の陰に隠れるようにして立ち止まった所で、辺りを見回す。
「うわあ……」
流衣は思わず感嘆の声を漏らした。
壁に沿うようにして本棚が置かれる造りらしい。壁沿いに続く螺旋階段が上へと続いている。本は燃やされ、棚も黒焦げになっているが、立派な建物だ。のけぞるようにして天井を見上げると、大穴の空いた箇所から灰色に沈む曇天が見えた。ちらちらと雪が降って来て、塔の床や壁沿いの通路へと降り積もっていく。
(廃屋だけど、なんだか綺麗だな……)
床には本や本棚の残骸が落ちているのだが、人の温もりが残る優しげな場所だ。
「やはり燃やされているか……。もしくは持ち出されているようだな」
セトが溜息混じりに呟いた。そして気を取り直すように頷くと、流衣達に声をかける。
「手筈通り、地下書庫に行こう。奥の司書室を目指す。ついてきなさい」
返事をして後に続こうとした二人だが、歩き始めたセトが急に立ち止まったので、つんのめるようにして止まる。
「な、なんですか?」
まさか敵襲かとどぎまぎしながら流衣は問う。
「誰もいねえだろ。いきなり止まるなよ。雪が積もってるんだ、転ぶだろ」
するとリドが苦情を言った。
どうやら敵襲では無いらしい。では、いったい何で立ち止まったのだろうかと流衣はセトを見上げる。
セトは足元に落ちている本の背表紙を示す。
「君達、その辺に本が落ちているからと言って、無暗に踏んだり触ったり拾ったりしないこと。たまに面倒な物が紛れているからな」
「面倒な物?」
リドが怪訝そうに眉を寄せる。
「ああ。急に髪の色が変わったり、水浸しになったり、痺れて動けなくなったりするのが嫌なら、気を付けることだ」
「な、何だよそれ。何でそんな物が落ちてんだよ」
「魔法学園でもそうだが、魔法関係の書物は、上の階の方が重要な本や取扱いに注意が必要な物が多いように配置されている。この有様だ。上から落とされた本がその辺に転がっている可能性が高い」
セトはひょいと本をまたぎ、石床へと着地して歩き出す。
「な、なるほど……。気を付けます」
「おっかねえ図書館。流石、魔法使い……」
納得してしきりと頷く流衣の隣で、リドが嫌そうに呟いた。




