七十二章 日没の領地 3
翌日。日が出てすぐに巡礼者の一行が旅立つと、流衣達は朝食の用意をし始めた。
その横では山小屋が騒がしくなり、人買いの一行がぞろぞろと出てきた。それから山小屋を出て行こうと準備を始める。
(女の人だったんだ……)
人買いというから、狸腹のヒゲ親父というような悪徳商人を思い浮かべていた流衣は、予想と違ったことに驚いた。商人は、少しぽっちゃりした、愛想の良さそうなおばさんである。それに、買われた側の子どもが悲壮な顔をしているかと思えば、そうでないことも流衣には不思議に思えた。
馬車の荷台に乗せられている子ども達や、護衛兼見張りらしき男二人を指揮している商人の女性を、朝食を食べながら眺めていると、視線に気付いた人買いの女性に睨まれた。
「なんだい、じろじろ見て。見世物じゃないんだよ! ったく、私はねえ、良い事をしてるんだ。この子らを私が買ったから、この子らの家族は一冬を越せるし、この子らも飢えて死ななくて済むんだよ!」
物珍しげに見る子どもへ、威嚇するように怒鳴りつけ、女性は作業を再開する。子ども達には毛布を与え、寒くないように取り計らっている。
やがて人買い一行が山小屋を出て行くと、流衣は知らず詰めていた息を吐いた。
「ふん、詭弁だな。そんなもん、ただの一時しのぎだし、買われた子どもの将来の幸せが保障されてるわけじゃねえ」
リドは気に食わないというように鼻を鳴らし、しかめ面になっている。
「うん……そうだよね。でも、あの子達、思ったより明るい顔をしてたからびっくりした」
流衣は立ち去る馬車の背を見つめて呟く。その言葉への返事は、セトがくれた。
「まあ、そうだな。農村に残るよりも待遇がマシになる場合が多いというのも事実だ」
その言葉にセトをまじまじと見る流衣に、セトは講釈を続ける。
「ああいう風に売られる子どもは、大半が力を持たない女の子だ。男の方が力仕事に使えるし、生き残りやすい。地や水の〈精霊の子〉以外を養うのはつらいのだろう。むしろ赤子のうちに間引きされないだけマシかもしれないが……私にはどちらが良いかの区別は付けられない。彼らが決めることだ」
そうか。地や水の〈精霊の子〉だったら、手元に残そうと考えることもあるのか。農業には大きく貢献する力だろうから、理解出来る。
「ルイ、子どもの大半は七つになるまでに死んでしまうことが多いのだ。だから、親も生き残った丈夫な子どもを優先して、食事はそちらに多く回す。結局、それで年下の子どもはもっと生き残る確率が小さくなってしまう。それなら、手元に残すより、売った先で食事を貰うことを選んだ方が、子どもの為だと考える親もいる」
「でも、そこまでしてどうしてその村にいるんです? 食料のある場所に行った方が良いんじゃ?」
流衣の問いに、セトは首を振った。
「土地を勝手に放棄して逃げ出すことを禁止し、背いた者を処罰する。そういう領地もあるのだ。ここはそのうちの一つだな。そもそも、王は頂点に立ち、与えた領地の主に目を光らせてはいるが、それぞれの領地での支配権は領主にあるのだ。決まり事はそれぞれ異なる」
教師の顔で教えるセトを、流衣は真面目に見て、首肯する。
「民を第一に考える領主もいれば、搾取することしか考えない領主もいる。厳しくすることが悪いとは言えないが、甘いばかりでは領地運営は出来ない。領主というのはそんな微妙な采配を常にしているのだ」
「そうなんですか……」
流衣にはよく分からない価値観だが、領主と聞くと、以前、一緒に旅した少年公爵のヴィンセントを思い出す。あの年若い領主もまた苦労をしていたのだろうか。
「だが、放棄して逃げ出すことは禁止していても、食糧不足で全滅を防ぐ為に、一部の村民が領内の別の町などに集団で出稼ぎに出ることは禁じていない。中には、冒険者になって一攫千金を狙う者もいるし、兼業で冒険者をして、足りない税金を賄う者もいる。とはいえ、それで成功する者はそう多くはない。無難なのは、家族の誰かが王国警備隊の兵士になって仕送りすることだろうが、そちらもそう簡単になれるものではないからな」
つまり、人買いに子どもを売る選択をするか、他の選択肢を探すかは、どこの領地の者でも自由ということなのか。
それでもこの土地は人買いが多く跋扈しているというから、追い詰められているのだろう。
「一番は、そういう者を減らすような運営をすることだがな」
アルモニカがぽそりと口を挟んだ。
「豊かな土地でも人買いはいる。原因は賭博で得た借金の肩に、という場合もあるから、色んな理由があるのじゃよ。じゃから、あやつらはいなくならん」
そういう話をさも当然のように口に出来るアルモニカへ、流衣は尊敬の目を向けた。次期神殿長としての教育を受けて育ったアルモニカは、流衣のような凡人とは、完全に育ち方が違うのだなと気付く。
(こんなに小さいのになあ……)
流衣より二歳年下なのに、大人びている。
「人さらいなんかの人買いもいるのも事実だからな、信用ならねえ連中だよ。お前、関わるんじゃねえぞ」
「関わるわけないだろ。怖いから無理!」
リドの発言に、流衣は泡をくって大急ぎで首を振った。
そうしながら、リドは昔、人さらいにあって盗賊団に売られた過去を持つから、人買いが嫌いなんだろうなと思い、少し悲しくなった。
(こうやって考えると、〈悪魔の瞳〉ってある意味、平和的に思えるな)
そう思ったが、彼らが悪いことをしていることに変わりはない。流衣は自分の甘い考えを頭を振って追い散らす。
「朝食を食べたら、すぐに発つぞ。とっとと食っちまえ」
「あ、ごめん」
ぼんやり考え事をしていて、手が止まっていた。リドに急かされて慌てた流衣は、パンとスープの質素な朝ご飯の制覇に再び取り掛かった。
西――青の山脈に近付けば近付く程、流衣にはそこに住む人々が疲れ切っているように見えてきた。その一方で、王国警備隊やエダ公爵領の私兵の数は増えているように見える。更に、冒険者の数も増えてきた。
やがて、流衣達はミルディル村に着いた。ミルディル村はエダ公爵領の領境に位置していて、この村を西に出ると領の外に出ることになる。西へ続く街道に出る為には、門を抜けなければいけない。その先は、青の山脈へと続く山道になっている。
「何だか物々しいね」
武装した人間が増えてきたことで、流衣は落ち着きがなく周囲の様子を伺っていた。流衣自身の臆病な性格と、村内に漂う緊張感たっぷりの空気のせいだ。むやみに冗談を言いながら笑うのもはばかられる。
「青の山脈に出る魔物は強いと前に話しただろう? 魔物の異常行動もあって、この辺は警備が厳しいのだろうな」
そう言うセトの目付きはどこか険しい。
「しかし、何やら様子がおかしい。いつもならこの辺りには出門待ちの人々で長蛇の列が出来ているのだが……。門へ行ってみよう」
国境越えの門を通る際、旅人から通行税をとるらしく、普段は門を通る人々で順番待ちの列が出来るようだ。
そう言われてみると、確かに人が並んでいる様子はない。武装した兵士の方が余程目にとまる。
流衣達は事態を把握する為、村の奥へと足を向けた。
*
堅牢な石造りの門には鉄柵が落とされ、その前には木組みのバリケードがされて封鎖されていた。甲冑姿の兵士達がピリピリした空気を纏い、門の周辺を警戒気味に歩き回っているのが伺えた。
そして、流衣達は門に近付いたところで、門が封鎖されている理由を問う暇もなく、兵士に門に近付くなと追い払われた。
「理由ぐらい教えてくれてもいいだろうに、職務怠慢だな」
セトがぼやき、離れた地点から門の周辺にいる兵士達をにらんだ。
「説明がないなら、理由を書いた看板でもあるのかもしれませんね。広場を探してみますか?」
落ち着いた態度でサーシャが提案する。セトがそれへ返事しようと口を開いた時、通りがかった冒険者らしき三人組に声をかけられた。
「あんた達、巡礼かい? このルートで子ども連れなんて珍しいなあ」
いかつい顔をした大男は、そう言って大剣を担ぎ直す。
「いえ、巡礼ではないが、旅をしている。そういうあなたは巡礼者の護衛かね?」
セトが問い返すと、大男は首を横に振った。
「俺達は領主からの討伐クエストを引き受けた冒険者だよ。あんた達も災難だな、ちょうど今は、青の山脈で人喰いドラゴンが出てるんで、通行禁止になってるんだよ。ま、俺らには美味い仕事なんだけどな」
その返事に流衣が男を観察してみると、男はあちこちに細かい傷があり、多くの戦場を潜り抜けてきたような風格をしている。それに、男の仲間である女魔法使いは鋭い目つきをして隙がないように見えるし、もう一人の重騎士の男もまたどっしりと構えていて落ち着きがあった。余程の用事でもない限り、こちらからは容易には話しかけられないような、殺伐とした空気がある。
「人喰いドラゴン? まさか、黒竜ですか?」
流衣は青ざめた。
魔法学校で、校長の旦那である黒竜のトーリドが本性を露わにした時の事を思い出したからだ。あれはいつ思い出してもグロくて気分が悪くなる。
流衣が思わず、この恐怖を共に味わったリドを見ると、流衣だけでなくリドも思い出したようで、引きつった顔で男を食い入るように見ていた。
「そんな訳あるか! 水晶竜だよ。ドラゴンにしちゃ、比較的大人しい部類のやつだ。ま、それでも、何人か喰われちまったらしいんだがな」
男はのんきな口調で語ったが、聞いた流衣は背筋がぞっとした。
「水晶竜の生息域はもっと北なんだがな、二週間くらい前から急に見かけ始めてな。事態を重く見た領主が、討伐指令を出したんだよ。討伐者には報酬を出すってんで、冒険者が集まってるんだ。兵士達は魔物の襲撃に遭うかもしれないことでピリピリしてるし、俺達は獲物の取り合いで牽制中だ。トラブルに巻き込まれたくなかったら、とっとと避難するんだな」
ぞんざいな言い方ながら、親切にそう付け加え、男達三人は門の方へ歩いていった。彼らは許可証を持っているらしく、通行出来るようだ。
「だってよ、セトさん。どうします?」
リドが質問を投げると、セトはきっぱりと返す。
「ここまで来て、避難するわけがないだろう。水晶竜程度でビビられても困る。この山は、えげつない魔物が多いからな。結界蟹の群れで村が壊滅する方が、余程あり得る」
「蟹の群れで壊滅……」
流衣は呆然と呟く。
いったいどんな蟹なんだろう。想像してみると、何とも間抜けな図にしかならない。すぐに考えるのを諦め、こっそりとオルクスに問う。
「オルクス、どんな蟹なの? 分かる?」
『常に結界を纏っている蟹の魔物ですね。結界を壊しても、身が固い為、倒すのに苦労する魔物です。その死体は防具に使えますが、正直、人間にとっては面倒で旨味の少ない魔物でしょう。わてでしたら、人型で一蹴りすれば死にますけど』
「僕、そんな蟹より、君の蹴りの威力の方が気になってきたよ……」
本当に格闘タイプの使い魔殿だ。ちょっとだけ見てみたいような気もしたが、そんな魔物に遭遇するのは出来れば避けたい。
「ひとまず、この物々しさの原因が分かったのは僥倖だな。今日は宿で休むとしよう。明日からは緊張でゆっくり休めなくなるからな、皆、一晩で覚悟を決めるように」
理由が分かったので、セトは行動方針をそう決めたようだった。
確かに、魔物が跋扈する山での休息は難しいだろう。流衣は自分の体力がもつか不安を覚えたが、自分が帰る為なのだからと怖がる心を叱咤する。逃走手段と防御手段の魔法は得意なのだ、心配はいらない。
セトの言葉に、各々が真面目な顔になり、大きく頷いた。
この人買いについての描写を出すことが必要かについてずっと悩んでました。
当初から出すと大雑把プロットでは決めてたんですが、西領の追い詰められた現状をあらわすにふさわしいかと考えたのでやはり出しましたね。
暗くて重くてごめんなさい。児童文学寄りのライトノベルのつもりで書いてるのに、ときどき重くなります。
というか、ちょっと説教くさくて微妙かもなあ……。
とはいえ、後半のノリとしては、ゲームなどで、「目的地に着いた! しかし封鎖されているので、一晩休もう!」っていう感じですかね。