七十二章 日没の領地 2
一日しっかり休み、買い出しを終えた翌日。流衣達はブリジッタの町を出た。
転移魔法で少し離れた街道に出ると、雪の積もる街道を歩く。
頭上には分厚い灰色の雲が垂れ込め、ふわふわと粉雪が舞い降りてくる。雪が降らないエアリーゼと違い、この辺りは青の山脈の影響で雪が積もりやすいようだ。
流衣は雪で滑らないよう、しっかりと踏みしめて歩きながら、両手で持った魔昌石に魔力を注ぐ。杖と左手がぼんやりと青く光っているのが、殺風景な光景の中で温かく見えた。
「セトさん、はい、終わりましたよ」
「ありがとう。相変わらず見事だな」
セトは呆れ混じりに感心しながら、礼を言って受け取った。この魔昌石は、セトが魔力の回復用に持ち歩いているものだ。空になったそれに、流衣が魔力を足していた。こうすれば、セトが一日に数回は転移魔法を使えるので、その分、旅程が短くなる。
「これで、だいたい平均魔力量の十人分くらいに相当するのだがなあ。本当に呆れた魔力保有量だ」
紐を結わえてネックレスの形にしている魔昌石が、青く美しく光るのを鑑賞してから、セトは首へと提げ直した。
「あはは、それはどうも。でも、女神さまが慈悲でくれただけで、僕が何かしたわけじゃないですよ。まあ、僕が自力で戻れる可能性を上げる為っていうちゃんとした理由があったのは嬉しいんですけど」
「ツィールカ様は、大変慈悲深く、優しくていらっしゃるんですヨ。愛とは素晴らしいものですネ」
流衣の肩から、オルクスが感慨深く言った。
「お前の口から愛なんて聞くと、ゾッとするぜ」
一方、流衣の左横を歩くリドは、悪寒を覚えた様子で身を震わせている。
「お黙りなさい、この赤猿!」
「そっちこそ黙れよ、クソオウム」
リドとオルクスはぎりぎりと睨みあう。
「くだらんことでいがみあうな。どっちも子どもじゃの」
「ははは……」
ませたことを言うアルモニカ。流衣は笑うしかない。
「セト様、魔力が回復されたらまた飛びますか?」
サーシャの問いに、セトは首を振る。
「いや、しばらく平坦な道が続くから、ここは歩こう。もう少しすると、緩やかに傾斜してくるからな。歩いて距離を稼ぐなら、こちらの方が良いだろう。それに、野宿に良いポイントがある」
「またどこぞの洞窟か、岩陰ですか?」
今度はアルモニカが質問をぶつける。セトは地図を確認し、畳み直しながら答える。
「いいや、羊の放牧地にある山小屋だ。冬の間は旅人に開放しているんだ。大部屋で雑魚寝になるが、屋内であるだけマシだろう」
「冬の間の野宿は、地面が冷えるからきついからな。随分助かる。風避けなら、俺か流衣の結界でも出来るんだけど、地面はどうしようもねえからなあ」
口喧嘩を終えたリドが、そう言って、嬉しそうにした。
流衣もまた、屋内と聞けば気分が上向く。旅慣れてきてはいるが、寒い中の旅は辛いものがある。ただ、温かい時期と違い、虫が少ないのが良いと思えるくらいだ。
(あの遠くに見えるのが、青の山脈なのかな?)
平原を抜けた先には冬枯れの森が広がっており、そのずっと向こうの方に、横に長い青い影が見える。その山脈へは、土地が緩やかな起伏をえがいており、途中にいくつか小さな山があるように見えた。そこが放牧地なんだろう。
そうして、雪が降る中を二時間近く歩いた所でようやく平原地を抜け、更に歩いて山小屋に辿り着いた。
「先客がいらっしゃるようですね」
サーシャがぽつりと言った。
三角屋根の山小屋はこぢんまりとしたものだった。その山小屋のすぐ左脇に、幌付きの馬車が二台置かれており、そのうち左の馬車の前で焚火に当たっている人が三人いた。中年くらいの男性が一人と、剣と槍を装備した若い男性が二人だ。
「こんにちは」
三人はこちらに気付いていたようで、セトが声をかけると少しだけ顔を上げた。
(巡礼の人かな……)
中年の男が首から提げている首飾りを見て、流衣は見当を付けた。巡礼者は、三柱の神を意味する三本の鉄棒の飾りがついた首飾りを付けていることが多い。そして、回った神殿の数だけ、色の異なる木製の護符が追加されていくのだ。男の首飾りには、赤と白の護符が下がっているので、光の神殿フェルノアで三つ目なのだろうと予測出来る。
「せっかく山小屋に着いたと思ったのですが、もしや満杯ですか?」
セトの問いに、巡礼者らしき中年男はどこか困ったように返す。
「ええ……。実は私どもも先程着いて、がっかりしたところです。すでに先客がいましてね。――人買いの商人ですよ」
中年男は最後だけ、声を小さくして言った。
「ちょうどこの先の寒村から子どもを買った帰りのようで、先着順だと追い払われたのですが、妻だけでもと頼んで中に泊めて頂いているのです」
「この山小屋は、協力しあって使うもんで、あいつらの所有物じゃねえのに。偉そうだよな」
「こら、ヒースコート。聞こえるからやめろ。お前、さっきもそれで言い合いしたばかりだろう? ラウルスさんの迷惑になるから控えろ」
どうも若い男二人は、巡礼者らしき男とその妻の護衛のようだ。この辺りは魔物が強いので、当然だろう。実際、流衣達もここに来るまでに、四本の角を持つ山羊のような姿のフォイソンという魔物に何度か襲われた。この魔物、角が細工物の材料になるので良い小遣い稼ぎになるが、旅の邪魔になるので放置してきた。
「どうしてオリバーが我慢出来るのか、俺には分からねえな」
余程不満なのか、ヒースコートと呼ばれた男性は苛立ったように、焚火を棒切れの先でぐしゃぐしゃと掻き回す。オリバーは仕方ないなあというように肩をすくめた。ラウルスという男も苦笑している。
「何だか大変そうですね。セトさん、アルとサーシャさんだけでも泊めてもらえないか、聞いてみませんか?」
流衣はセトを見上げて問う。そこで、ふと、仲間達が流衣をじっと見ているのに気付いた。
「え、なに?」
びびって一歩下がると、セトが流衣のマントのフードをとって、目深に被らせた。
「わっ、何ですか?」
「聞いただろう、人買いがいると。かどわかしのような真似をとる人買いは極稀にしかいないが、気を付けた方が良い」
「見た目が珍しいと狙われやすいと聞きますから、我慢して下さいね、ルイ様」
サーシャが申し訳なさそうにやんわりと言い、フードを引っ張って形を整えた。小さい頃に母親に着つけられた時の気分を思い出し、流衣は何となく居たたまれない気分になる。慌てて身を引いてサーシャの手をかわす。
「自分でしますし、我慢くらい出来ますよ」
「なに照れてんだよ、お前」
面白がったリドに肩を小突かれ、更に焦る。
「そんなんじゃないよ。慣れないんだよ」
わたわたしている流衣を見て、サーシャはくすくすと笑っている。
「と、とにかく! 女の人だけでも中に泊めてもらうように頼もうよ」
「お前はいいのか?」
「僕は男だよ! ひどいよ、リド!」
からかってくる友人に、流衣は抗議する。
「失礼ですヨ、リド!」
小声ながら、オルクスも羽をばたつかせて怒った。
「ワシは外でも構わぬぞ。中は面倒そうじゃ」
「いいえ、お嬢様。失礼ですが、この中で一番体力がないのはお嬢様なのですから、休める時に休むべきですわ。わたくしがお話して参ります」
ふわりと綺麗な所作で一礼をして、サーシャは山小屋の方へ歩いて行った。
「アル、無理しないで休んだ方がいいよ。ほらほら、雪が積もってるよ」
流衣が気を遣い、アルモニカが被るマントのフードをパッパッとはたいて雪を落とすと、アルモニカは頬を膨らませた。
「子ども扱いするでないわ!」
「アルは友達の妹なんだから、僕にとっても妹みたいなものだよ?」
「妹じゃと……?」
流衣の言葉に、何故かアルモニカは愕然と固まっている。
「ん?」
どうしてそこまでショックを受けるのか、流衣はよく分からない。困ってリドを見ると、くいっとアルモニカを指で示すので、そっちに視線を戻す。そして流衣はぎょっと驚いた。いつものアルモニカの威勢の良さがどこかに消え、しゅんとうなだれているではないか。
「ワシ、友達じゃないのか?」
今にも泣きそうに見え、流衣は頭が真っ白になり、手をぶんぶん振り回す。
「え、え、お、落ち着いて!」
「お前が落ち着けよ」
リドが横から口を出す。だが、流衣は女の子を泣かせそうになっているという事実に動揺して、その助言を実行出来ない。
「友達だよ。妹みたいな友達!」
何が不満なんだ? え? これ、駄目なの?
「その、妹という単語をどけろ。お主みたいな兄なんぞ欲しくない」
「ええー……」
今度は流衣の方がショックを受け、泣きそうになる。確かに兄にしては頼りないかもしれないが、そこまで言わなくてもいいのに。
互いに泣きそうになっていると、業を煮やしたリドが、両方の頭に手を乗せた。
「ああもう、お前ら。そんな意味の分からない喧嘩をするな! お前ら二人とも、友達。これでいいだろ!」
「うん……。ごめん、アル」
「いいや、ワシも言い過ぎた」
互いに謝りつつも、二人してへこんでいると、戻ってきたサーシャが目を白黒させる。
「どうしたんですか、お嬢様、ルイ様」
「「別に……」」
声を揃える二人。
その向こうで、セトや先に来ていた旅人三人が笑っている。
「いやあ、子ども同士の喧嘩というのは面白い。そう思わないか、侍女殿」
「ですから、私はよく分からないのですが……」
ちんぷんかんぷんという様子で首を振るサーシャ。リドは苦笑し、手をひらつかせる。
「まあ、いいからさ。どうだった?」
「あ、はい。少々狭くなりますが、私とお嬢様だけなら構わないそうです」
「良かったね、アル。休んでおいでよ」
「うむ……」
流衣が声をかけると、さっきまで泣きそうにへこんでいたアルモニカは、眉間に皺を刻んで口をへの字にしていた。そして、どこか不機嫌そうにサーシャと山小屋の方に行ってしまう。
「え? 何で怒ったの?」
訳の分からない流衣は、やはりリドを見る。
「おい、俺を見ても答えなんか書いてねえんだぞ?」
リドは答えず、面倒くさそうに流衣の肩を軽く小突いた。流衣は溜息を吐き、その場にしゃがみこむ。
「そんなに僕が兄って嫌なんだ。泣く程なんてへこむ……」
そうして落ち込む流衣を見て、大人達はやはり面白そうに笑っている。
「いやあ、青いですね」
「そうですな。実に可愛らしい。ふ、ははは」
巡礼者の男とセトが互いに何か言い合って笑っているのを、流衣は恨めしい目で見る。
そこまで笑わなくてもいいのに。