七十一章 傍らの光 2
「ちょっと洗濯に出かけたかと思えば、何を拾ってきとるんじゃ、お主ら」
サーシャが部屋のベッドに倒れていた人を寝かせて容体を見ている間、流衣達は廊下に出ていた。
そこで、アルモニカが腰に手を当ててじろりと睨んできた。流衣は慌てて弁解する。
「うっ。いやでも、ほら、倒れてる人がいたら放置出来ないじゃないか。しかも怪我してるんだよ?」
「ワシは別に怪我人を放置しろとは言っとらん。このトラブルとの遭遇率の高さについて訊いておるのじゃ」
「それを僕に言われても……ねえ?」
「運がねえのかもな。俺もこいつも」
流衣がリドを見ると、リドも困った顔で頬をかいた。
(確かに……。僕はこの世界に来ちゃうし、リドは小さい頃に誘拐されて波乱万丈。そっか、互いに運が無いのか)
とても納得のいく答えだ。相乗効果なら仕方ないように思える。
「この後は神殿に運ぶのかね?」
セトの問いに、流衣とリドは揃って頷いた。
「はい、その方が良いと思うんですよね。呪いの対処なんて分かりませんし」
「そうそう。でもよ、オルクスが解いてやりゃあいいんじゃねえの?」
リドが不思議そうに言うと、オルクスが小声で答えた。
「否。あのような呪いをかけられている者です。善人とも限りませぬ。保険の為に今すぐ呪いを解くのは避けるべきです。最悪、何かあっても交渉に使えマス」
打算を含んだ答えに、リドが苦笑する。
「お前、ほんと腹黒いよな……」
「お黙りなさい、赤猿。あなたが考えなさすぎなだけです。わては坊ちゃんを危険にさらす可能性は全て潰します」
「は、はは……。怖いけど、ええと、ありがとう、でいいのかな……?」
「俺に訊くな」
返事に窮した流衣は困ってリドに問うが、すげなく返された。
過保護気味なのは知っていたが、可能性を全て潰すときたか。頭が回って恐ろしい使い魔殿である。
その時、部屋の扉が開いて、いつも通り灰色の髪をひっつめに結ったサーシャが顔を出した。
「やっと落ち着いて眠りましたわ。皆さま、もう中へ入ってよろしゅうございますよ」
その表情がどこか浮かないのに気付き、流衣達は顔を見合わせた。
中に入ると、窓際のベッドにあの女性が寝かせられていた。真っ白な肌をした横顔に、白に近い金髪が薄らと影を落としている。遠目から見ても美人だ。
「おいたわしい……。辛いことがたくさんあったのでしょうね」
落ち込んだ様子で肩を落とすサーシャを不思議に思いながら、様子見で女性の方に近付き、やっと意味が分かった。
戸口からは見えなかった顔の右半分に、赤く焼けただれたやけどの痕があったからだ。
(え……? んん……?)
流衣は女性から少し手前の位置で足を止めた。
その女性の顔に見覚えがあったからだ。
「いかにも苦労してますっていう感じじゃねえか。おい、オルクス、これでも呪いを解いてやらねえのか?」
「ワシも解いてやっていいと思うぞ」
リドとアルモニカはすっかり同情して、オルクスにそう言う。
「何か事件に巻き込まれただけの被害者ではないか? ――ん? どうした、ルイ。顔色が悪いぞ」
セトも同情的な意見を口にし、ふと流衣の様子に気付いて怪訝そうな顔になる。
「え、えと、あの……」
口をパクパクさせ、流衣は冷や汗を滲ませる。
ドーリスの町で、闇物をばらまいていた行商人の女性、その人だ。間違いない。名前は忘れたが……。
「リド、その人だよ。あの闇物をばらまいてた、行商人……」
「行商人? あっ、あの時のか!」
一拍遅れて思い出したリドは声を上げる。
「お前、顔にやけどがある女って言ってたもんな。そうか、こいつか。ってことは、〈悪魔の瞳〉に関連してるんだよな?」
「〈悪魔の瞳〉? あれはただの都市伝説ではないのか? 何度滅ぼされても復活する“不死鳥”だろう?」
呆れ顔になるセトに、流衣達は神妙な顔になる。
「残念ながら、実在してるんだよな……」
「そ、そうじゃな……」
「ははは」
リド、アルモニカ、流衣は揃ってセトから目を反らす。「あなたと仲の悪い生徒がそこの幹部ですよ」なんて、教えていいんだろうか。
「何なんだ、いったい」
セトは訝しげにするが、流衣には今はまだ暴露する勇気は無かった。
(バレたら、サイモン君にいびり倒されそうな気がする……)
それかナイフが乱れ飛んでくるか。どちらも怖いから嫌だ。
「ますますどうするのじゃ、この女性。神殿、それとも杖連盟か? どちらに連れて行く?」
風の神殿の跡取り娘でありながら、ラーザイナ魔法使い連盟の幹部でもあるアルモニカは、どちらにも敵対している〈悪魔の瞳〉の所属者の扱いに困り果てた。
「お嬢様、ひとまず、様子見しませんか? 判断するのはお話を聞いてからでも遅くはありませんでしょう?」
「それもそうか……。ワシは特に関わりはないが、お主らは何か因縁があるようじゃし、話し合って決めろ」
アルモニカが流衣とリドに向けて言うのに、二人は困り顔になった。
「ここで神殿か杖連盟にこの人を突き出したら、僕、きっとナイフ地獄で死ぬんじゃないかな」
「奴ら、どこにいるか分からねえもんな……」
「あの教祖とやらが、これを理由に容赦ない反撃をしそうですものネ」
オルクスの推測を聞き、流衣達の中からその二つの組織に女性を突き出すという選択肢は消えた。
「とりあえず様子見で……」
「危ないとこを助けたから、貸し一ってことにして、何かあった時に交換条件に出すのもありだな。あいつらには手札を多く持っといた方が賢明だろ」
リドの考えは素晴らしいと思った。つまりサイモン相手に何かドジを踏んだ時に、見逃してもらえるわけだ。
何故か、また会いそうな気がしてたまらないカラス族の少年を思い浮かべ、流衣はそうすべきだと強く思った。
*
目が覚めた行商人――ユリアは、不思議そうにぼんやりと周囲を見回し、そして、傍に座っているサーシャを見て警戒を露わにした。
「大丈夫ですよ、宿の裏で倒れていたあなたを保護しただけですから。私はサーシャと申します。はい、どうぞ。お水です」
「…………」
差し出されたグラスを受け取りはしたものの、ユリアは飲まない。フードを被っていないことに動揺して、ベッドの周りを忙しなく見回す。そして、自身のフード付きのマントを見つけるや、グラスをサイドテーブルに置いて、マントを被った。
「……怪我の治療については、礼を言う。私はもう行く」
そして、かすれ気味の強張った声でそう言い、ベッドから下りて靴に足を突っ込むや、靴紐を結びもしないで扉に向かう。
サーシャは困ったようにほんのりと苦笑いを浮かべるだけで止めなかったが、ちょうどそのタイミングで、流衣達が夕食から戻ってきた。
「サーシャさん、頼まれていたご飯を持ってきましたけど……」
「ありがとうございます、ルイ様」
サーシャのお礼の言葉を聞きながら顔を上げた流衣は、今まさに出て行こうとしていたユリアと目が合い、ぎょっと身を引いた。手にした盆の腕で食器が揺れる。どうやらユリアもまた驚いたようだった。
「なっ、お前は……!」
そして、ユリアが流衣をそうだと気付いたように、流衣も気づいたと悟るや、瞬く間に不機嫌そうな低い声になった。
「もう一度あいまみえる日が来るとは……。だが、お前に用はない。あの方から手出し無用と言われているからな、安心するといい」
流衣の横をすり抜けたユリアの前に、リドが立ち塞ぎ、怪訝そうに問う。
「おい、待てよ。助けた相手に礼の一つも言えないわけ? ついでに軽く事情を教えてもらいたいもんだな。何をしてあんな大怪我をしてたんだ? それにその呪いまで。そんなに〈悪魔の瞳〉ってやばい組織なのか?」
「そんなわけがない! 怪我の治療には礼を言うが、侮辱することは許さない!」
頭に血が上ったらしきユリアが腰の剣に手を伸ばそうとしたが、あるべき位置に剣が無いことに気付き、ベッドを振り返る。
「お忘れ物ですわ」
その先で、サーシャがにっこりと微笑んで、剣を持ち上げてみせた。
「……わざとか?」
ひくりと口元を引きつらせ、剣を取り返そうと戻ってきたユリアを、サーシャはにこにこと淑女の笑みを浮かべながら、笑っていない目で見た。初対面のユリアがびくりと身じろぎする恐ろしい顔だ。
「私、あなたが出て行こうが何をしようがどうでもいいですし、興味もありませんわ。ですが、きちんとお礼も言えないのは、首根っこを引っ掴んで説教してやりたくなりますの。――というわけですから、そこにお座りなさい」
「は?」
「いいから、そこに座る!」
サーシャはベッドを指差して、ぴしゃりと言った。それほど大きな声でもないのに、ユリア以外の面子までびくっと肩をすくめる威力のある物言いだった。そして、ほとんど条件反射でユリアがベッドに座ってしまう程度には恐ろしい空気があった。
「まず言わせて頂きますよ、『礼を言う』という言葉では、礼にはなっていませんのよ。お礼は態度か『ありがとう』の言葉で示すべきでしょう」
「はぁ……」
「『はぁ』ではなく、『はい』です!」
またもやぴしゃっと返すサーシャ。完全にサーシャのペースに持ち込み、くどくどと説教をし始めた横で、流衣は盆を抱えたまま棒立ちになっている。
「ど、どうしよう、あれ……。あの怖いお姉さんに説教し始めるなんて意外だよ」
流衣が冷や汗混じりにちらりとアルモニカを見ると、アルモニカも苦笑していた。
「サーシャは礼儀に殊更うるさいからのう。神殿に運ばれてくる患者のうち、態度の悪い者を更生させてしまうところがあってな……。あれはワシにも止められぬ。止めたらこっちに火の粉が飛ぶ」
「なるほど。傍観しておくべきだな、それは」
セトがしげしげと頷いて返す。
(サーシャさんは普通の人だと思ってたのに……)
魔王信者に説教を始めるような人だったなんて。
なんとなく世知辛さを感じる流衣に、オルクスだけは空気を読まずに言った。
『とりあえず、盆を置いてはいかがです? 坊ちゃん』