六十九章 真夜中の攻防戦 1
遠くで鐘の音が鳴り響く。
夢の中にまで侵入してきたその音に、流衣は眠りを妨げられた不快さとともに目を覚ました。
「何だろう……」
ぼんやりと暗闇を見つめ、身を起こす。
流衣が今いるのは、神殿の西にある一角の客室だ。一人ずつ、違う部屋を用意してくれたので、部屋には他にオルクスしかいない。
『警鐘のようですね』
「警鐘!?」
オルクスの返事に流衣はぎょっと言葉を漏らし、サイドテーブルに置かれていた燭台に、点火の術で火を点けた。
カザエ村での出来事を思い出し、胸がざわつく。
(嫌な予感がする……)
そう気付くと、ざわつきが増した。
(また盗賊団かな……?)
不安を覚えながら上着を着て、そっと扉を開け、廊下を覗く。窓の向こうには明かりが灯った別の区画が見え、黒い影が行き来していることから、神官達が慌ただしく動いているようだと分かった。
「ルイ、君も気付いたかね?」
「セトさん」
隣の部屋の扉が開き、杖の先に光の玉を灯したセトが現れた。寝巻きの上に、灰色のフード付きマントを着ている。
流衣はセトの金属製の杖を見て、慌てて自室に取って返して、水の七を手にして廊下に戻る。
「リドは夜中にどこかに出かけていったきり、戻っていない。――ちょっと眠れなくてね。扉の開く音がしたんだよ」
セトがすぐに廊下に出てきたのは、それでらしい。
二人して、特に何かを打ちあわせたわけでもないのに、廊下を歩きだす。目指すのは、神官達がたくさんいる方向だ。執務室でもいいかもしれないが、深夜だから通行禁止になっているだろう。
「何があったんでしょう?」
不安を隠さない流衣の問いかけに、セトはむうと唸る。
「ヘイゼル様のお話では、ここ数日、三日おきの頻度で魔物の襲撃に遭っているようだ。ここは北の山脈に近いし、魔王を封じる為の聖具が置かれる要の地の一つだからな。古来から目を付けられやすい」
「そうなんですか?」
それは知らなかった。
「しかし、リドは夜中にどこに行ったのだろうな? 彼は夜中に徘徊する癖でもあるのかね?」
「まさか! リドも眠れなかったのかもしれませんよ?」
「ああ、そうだな。散歩に行ったのかもしれん」
かつかつと靴音を鳴らして廊下を大股に歩くセトを、流衣はほぼ走っている状態で必死に追いかける。歩幅が違いすぎて追いかけるのがきついのだ。
やがて神官がたくさんいる中央区画に辿り着くと、神官達が武器を手にばたばたと走り回っている場面に出くわした。
「失礼! これはいったい何の騒ぎだ?」
セトが遠慮なく問うと、指示を出していた一人の神官が、少し迷惑そうに顔を向けた。
「魔物による襲撃です! 客人は自室に避難していて下さい! ご安心を、我らが神殿都市は堅牢なる要塞都市。ちょっとやそっとのことでは危険に見舞われることはありませんから!」
緊急時だから迷惑そうではあるが、最後にそう付け足す程度には優しい対応をしてくれた。
「私は魔法使いとしては権威がある。何か手伝いがあるのならしよう」
「それは助かります。ではどうぞ、三階の指令室の方へ。神殿長やヘイゼル殿がいらっしゃいますから、指示を仰いで下さい」
「ありがとう。武運を祈る」
「ええ、あなたも」
短く挨拶を交わすと、セトはいっさいの躊躇もなく、三階へと続く階段を上りだした。流衣も慌てて後を追う。
「僕も何か手伝えるでしょうか?」
「きっとヘイゼル様がこき使って下さるさ」
「……そうですね」
黒ウサギの横暴ぶりを思い出し、流衣は一瞬だけ遠い目をした。
*
「風の爪、総員、配置につきました!」
窓から外を見ていた神官の一人が、神殿都市を囲んでいる分厚い城壁の上にぽつぽつと灯った赤い光を見て、指令室の中にいるグレッセンに報告する。グレッセンは頷く。
「了解。風の盾はどうだい」
「結界発動準備完了です。いつでもいけます」
風の盾という名で呼ばれている、結界操作の役割をもつ七人の神官のうち、隊長である女性神官が大きく頷く。
対応の早さに、グレッセンは満足げに微笑む。
「では、詠唱開始」
「都市防護結界の詠唱を開始します」
隊長の言葉と同時に、神殿の三階、屋根の無い部屋の中央に置かれた巨大な魔昌石を囲み、全員が杖の先を魔昌石に向けて呪文の詠唱を始める。よく見ると魔昌石の置かれている台座の下の床には青い塗料で魔法陣が描かれ、七人が立つ部分に円が出来、まるで花弁のような形を作っている。
詠唱とともに魔昌石は青く輝き、魔法陣もまた同色の光を発した。
それは数秒だけ辺りを照らしだし、すぐにまた元の透明な魔昌石に戻ってしまう。
「――どうした?」
グレッセンの問いに、魔昌石の様子を見た風の盾の隊長は、青ざめた顔で振り返る。
「結界発動への魔力容量に足りていません! ここ連日の襲撃のせいで、補填が間に合っていなかったようです」
グレッセンは微かに眉を寄せた。
この巨大な魔昌石は、数人の魔法使いや神官が数日かけて魔力を注ぐことで満タンになる容量がある。それの五分の一があれば、一晩くらいはもつのだが、ここ連日の襲撃に使うばかりで補填分が足りていなかったとしてもおかしくはない。
「――分かった。では私が出よう」
すぐさま思考を切り替えたグレッセンは、神殿の長として、都市を守る為の最善の方法を考えた。
「え!? ですが……」
「なに、それに魔力を溜める為の少しの間くらいの時間稼ぎは出来る。君は手のあいている者を集めて、すぐに魔力補填に当てなさい」
「はっ、了解です!」
びしっと敬礼する隊長や、他の隊員達。
グレッセンは温和に微笑み、伝令に城壁の者に伝えるように指示を出す。そして、白い神官服の袖をまくりながら、城壁へ続く扉へと向かう。
「やれやれ、年老いた身には辛いねえ」
中年ではあるが老人ではない癖に、そう呟くと、風がふわりとグレッセンの赤い髪を揺らして通り過ぎた。
「馬鹿言ってないで急げって、ひどいなあ……」
風の精霊の小言に肩を落としつつ、グレッセンは更に歩を早めた。
神殿都市を四角く囲む分厚い城壁を眼下に納めたリドは、屋根の上から忙しく立ち働く神官達をぐるりと見回した。
ひらりと城壁に飛び降りると、今まさに城壁に出てきたルフトに盛大に驚かれた。
「うわ!? お前、どこから出てくるんだよ!」
「んー、眠れなくてさ。屋根の上で外を眺めてたんだ」
「寒くねえのかよ……」
積雪は少ないが、風が強い為に極寒の地であるエアリーゼで夜中に外にいるなど、凍死希望者くらいだとルフトはぼやく。
「いったい何の騒ぎだ、こりゃ」
リドの問いに、ルフトは自分の役割を思い出し、槍を手に駆けだす。
「襲撃だ! お前、暇なら手伝え!」
「ん? 分かった」
確かに暇だったので、リドはルフトを追いかけて、都市をぐるりと囲む防壁の上に作られた通路を走り出す。部屋を出る際に、新品のダガーを携えてきて良かったと、運が良いのだか悪いのだか分からない状況に息を吐いた。
城壁の上には、すでに神官達が武器を手にして立っていた。皆、外を向いて立ち、近づいてくる魔物に攻撃魔法を放ち、魔物を撃退するのだ。それが、風の爪と呼ばれる部隊の役割だった。結界を張ると、外からの攻撃は阻むが中からは攻撃可能である。
元々魔物避けの結界はあるが、襲撃までは対応しきれない為、警鐘があるとすぐに都市防護結界を張ることになっている。常に張ることが出来ないのは、結界を張るエネルギー源に使う度に蓄積に当てなくてはいけない魔昌石を使用している為だ。
物見の塔からの伝令があちこちで飛び交う中、エアリーゼで見習い神官として働いた一年で慣れた配置についたリドは、魔物の影を探して外を見つめる。
「三時の方向より、魔物の群れが接近。ホーン・カウと断定。数は暗闇でおおよそしか分かりませんが、少なくとも三十います。青の要員は攻撃準備に入って下さい」
物見の塔からの伝令が、城壁の上にまばらに置かれた水晶に文字として浮かび、それを非戦闘要員が読み伝える。その大半は神殿が世話している子供達だ。といっても、十三歳より上の子供だけだが。後々戦闘要員に回される為、仕事を割り振っているのである。
城壁では、北が赤、東が青、西が緑、南が黄と色分けされていて、それぞれ左右半分ずつで左翼と右翼に分けられている。
リドは黄の部隊の左翼に勝手に配置していたが、ホーン・カウと聞いて眉を寄せた。
ホーン・カウとは鋭利な角を頭に生やした黒い牛の形の魔物だ。とはいえ、図体は普通の牛の二倍はあり、体当たりされれば粗末な石壁などあっさり粉砕する。
「また、二時の方向、上空に飛来する影あり。数はおそらく十。まだ位置が遠く判定不能。しかし恐らく蛇の有翼種と思われます。赤の右翼と青の左翼は警戒をお願いします」
魔物は北から襲ってくるものが多いので、神官達の多くは北方面に多く配置されているが、それでも攻撃しつつ警戒するのは気が滅入るだろうと思われた。
「おい、結界はまだか! このまま城壁に突っ込まれたらあの数だと都市が壊滅するぞ!」
神官のうちの一人が伝令役に伝令がないか問う。
「少し待って下さい、確認します。――えと、え?」
水晶の前に立った少年が唖然とした顔になった。
「核の魔力が足りず、発動エラーだそうです。すぐに復旧に入りますが、その間、時間稼ぎに神殿長様が出るそうです!」
その場で報告を聞いた神官達の間にどよめきが走る。
「神殿長だって……?」
「おい、いつぶりだよ、卿が先陣に立つの……」
「すげえ。あの方の御技を拝めるなんて……!」
中には興奮してさざめく者もいる。
リドは記憶を掘り返してみたが、このような場にグレッセンが出てきた試しはなかったはずだ。
「御技って?」
とりあえず隣にいたルフトに疑問をぶつける。
「風の防壁だよ……! 風の精霊と語りあえる初代の血を引くあの方だからこその技だ。五年前に使われて以来だから、俺も見るのは初めてだ」
期待に顔を輝かせるルフト。
「ふうん……」
それは是非とも一つ拝んで、技を盗みたいものだ。
リドは気の無い声を漏らし、父親の雄姿を拝もうと思う反面、何となく嫌な気分になって、その場を離れる。
「ルフト、用事思い出したから離れる」
「は!? おい、待てよ。こら、リド!」
背後でルフトが騒いでいるが、無視だ。
リドは周囲にいる風の精霊に問いかけ、グレッセンの居場所を探して通路を走り出す。この胸騒ぎが杞憂で終わればいいのだがと思いながら、駆ける足に力を込めた。
第二部第七幕での大幅修正前に書いてたものを、だいぶ書き直して挿話しました。
グレッセン卿に大物らしく見せ場を用意しようと訂正。
タイトルは前のと同じにしてます。語感が気に入ってるんです。