六十八章 お手伝い 2
裏庭に出ると、すでに人が集まっていた。
子どもから老人までと年齢層が幅広く、白い神官服を着た二十人ほどの男女が立っている。それぞれ疲労が濃い顔をしていた。
野菜育成の責任者だという白金の髪を緩く纏めた女性神官――メイラは、流衣達に気付くとゆっくりと頭を下げた。ふくよかな印象だが、目の下に隈が出来ているので少々おっかなく見える。
「お嬢様、彼らが地の精霊の子達です。そしてこちらの彼らは結界を張っている魔法使いです」
メイラがそう紹介すると、集まった人々は会釈した。流衣もつられて会釈する。
「それでお嬢様、失礼ですが、伝令の言っていたお話は真なのですか?」
「うむ。信用ある筋から助言頂いた。というより、どうして精霊の酷使によって大地が疲弊する、そんなことに悩むのかと不思議がられたのう」
「……まあ」
アルモニカが苦笑すると、メイラも苦笑いをした。何とも言えないという顔をしている。
「地の精霊の子が魔力を大地に注ぐ、それだけで解決するらしい。地の精霊にとって好みの魔力を有しているのが地の精霊の子であって、彼らが注ぐ魔力で元気になるのだそうじゃ。それで、こっちはルイ・オリベ。一時期、うちで昏睡しとったあいつじゃ。地の精霊に好かれておるようじゃから、手伝いに来てもらった」
アルモニカの紹介を受け、流衣はがちがちに緊張しながらも頭を下げる。
「る、流衣です。よろしくお願いします!」
がばっと頭を振り下ろすと、その勢いに群衆の間にどよめきが走る。
「わっ、びっくりした!」
「なんかこういう人形あるよね。水飲み鳥だっけ?」
「めんこいのう。娘っこかい?」
「お爺ちゃんたらぁ、少年だっていう話だったじゃない」
わいわいがやがやと一斉に喋り出す神官達。それに流衣が目を白黒させていると、あっという間に囲まれた。
「わー! 不思議な肌してるわね。黒い髪に黒目! 神秘的!」
「すごい! 可愛い! 小さい!」
「しっ、男の子にそんなこと言っちゃ駄目だよ、ケリー」
「この細い子が、お嬢様を助けたの? ほんとに? ほら見てよ、姉さん達。腕細いよ、折れるんじゃないの、これ」
べたべた頭を触られたり、腕を掴まれたり、褒められているのかけなされているのか分からないことを言われたりと、もみくちゃになる流衣。
その様を見て、やれやれという顔をしたリドが、両手を叩く。風の精霊の力で音を増幅させて、パァンとけたたましい音が場に響く。それで一団の動きが止まる。
「はいはい、そこまで! 落ち着け、お前ら!」
「速やかに元の位置に戻れ!」
アルモニカが彼らが立っていた位置を指差して怒鳴ると、彼らはぶうぶうと口をとがらせながら戻っていく。
「お嬢様のいけずー」
「爺言葉ー」
「リドの馬鹿ー」
ぼそぼそ付け足された言葉に、リドはどうでも良さそうに流し、アルモニカはこめかみに青筋を浮かべる。
「なんじゃと! おい、爺言葉と言うた奴、ここに出て来い!」
「きゃーっ、隠れろ!」
「逃げろ!」
「お嬢様が怒ったー! こわーい!」
言ったのは全員小さな子どもで、きゃいきゃい騒いで大人達の背後に隠れる。アルモニカは憤然と睨んだが、それ以上は追いかけなかった。
「ちっ。もういい。とにかく! ここで植物育成をしてもらうからの。皆、心してかかれ! これが上手くいったら、三日の休みをやる!」
アルモニカの宣言に、地の精霊の子も魔法使いも飛び上がって喜んだ。一気にやる気が上がったらしい。全員、寝る気満々のようだ。
「では、説明する。説明終了後、全員、配置につくこと。喧嘩しないで仲良くやるのじゃぞ」
「あはは、お嬢様じゃないんだから喧嘩なんかしないよ~」
「僕ら、気が長いもんねえ」
また横から子ども達が茶化すのに、アルモニカは目付きを尖らせる。毛を逆立てる猫みたいに肩を怒らせながら、ごほん! と咳払いをし、アルモニカは説明を始めた。
説明は簡単なことだった。
本物の畑に試す前に、裏庭で試すということ。
地の精霊の子が全員並んで魔力を注ぎながら、植物の生長促進の術を使う。その際、育って欲しい野菜を思い浮かべること。
流衣がそんな風にして前に野菜を育てたせいか、アルモニカはそういう説明をした。
皆、不思議そうにしていたが、言われるままに一列に並び、片手を地面に付けて魔力を大地に注ぎ始める。その後ろでは、いつも結界張りを担当していた魔法使い達が興味津々という様子で作業を覗きこんでいる。
流衣も一緒になって魔力を注ぐ。ただ、流衣は魔力を注ぐだけで、野菜を想像するのは控えようとした。彼らの知らない野菜が育てば、流衣の仕業だとすぐにばれるからだ。だが、ちょっとだけ、頭の隅で、カボチャ食べたいなあと考えてしまった。
地の精霊の子たちのそれぞれの手元から、魔力が大地に伝わって青い波紋が起こり、幻想的な光景を作りだす。
青く美しく、目を奪われるようなゆらめきが揺らぎ、消え、また起こる。
誰かの感嘆のため息が漏れた時、全員、頷きあい、呪文を唱えた。
「グロウ!」
――そして、大地は一際青く輝き、ふぅと消えた。
「あれ?」
子どもが目を瞬く。
「何も起きないね」
「起きないわねえ」
関係無い雑草の芽くらい生えても良さそうなものなのに、何も生えてこない。
地の精霊の子達はめいめいに首をひねる。
だが、その疑問はすぐに驚きの声にとってかわった。
「え? え? きゃー!」
「わあ、なにっ!?」
「う、埋まる……!」
一拍の空白の後、地面から青々とした芽がいっせいに吹き出したかと思えば、それはしゅるしゅると生長し、爆発するかのように葉や茎が伸び、蕾を付け、花が咲き、実を付けた。
あまりにもあっという間の出来事で、勢いに飲まれて数名が足を植物に埋もれさせ、背の低い子どもを慌てて抱え上げて植物から逃がしたりした。
皆、目を丸くし、呆然と目の前の光景を見つめる。
思い思いにえがいた野菜達が、そこで実を付けていた。どれも大ぶりでおいしそうだ。
「す、すごい……」
大人の男が思わずというように零した瞬間、皆、わっと盛り上がる。
「すごいすごーい!」
「野菜だ!」
「食べ物ー!」
緑が大好きと言わんばかりに、地の精霊の子達は植物に突進して、その艶やかな実や葉を思う存分に愛でる。
地面に下ろしてもらった子ども達は駆け回り、知らない植物を見つけて目を輝かせる。
「わあ、何これ? 緑色して、固いねえ」
「初めて見たぁ」
そう言っている植物は、カボチャだった。
(あ……やばい)
カボチャ食べたいなあなんて考えてしまったせいだ。希望を叶えてくれた精霊は素敵だが、ここでは余計なお世話というか。
見なかったフリをしようとした流衣だが、アルモニカに肘で小突かれ、くいっと顎で示された後に、「お前じゃろ?」と言わんばかりに首を傾げられて敗北を悟る。「ごめんなさい」とすぐに謝った。
「魔力を注ぐだけでこんなに変わるのか……!」
見守っていた魔法使いの感嘆の声が漏れる。
「こうなるのは、地の精霊の子じゃかららしいがのう。あんまりやりすぎると農家が潰れるな」
アルモニカの断定に、その通りだと頷く魔法使い達。
「ええー、そんなに何回も出来ませんよ、お嬢様。たったこれだけで疲れが半端ないです。これなら、のんびり育てた方がずっと楽ですよ」
そう言った青年の顔には、先程よりも濃い疲労の影が浮いていた。あちこちで同意の声が上がる。よく見ると、流衣と老人一人を除けば、皆、くたびれた顔になっている。老人は魔力量が多いのかもしれない。
「ふむ、そうか。じゃが、実験は成功じゃ。これで食料不足はどうにか解消できるじゃろう。皆の協力に感謝する。宣言通り、三日の休暇とする。ペアを組んでいた魔法使い達もじゃ。皆、ご苦労じゃった。ゆるりと休め」
疲れているのを見て、アルモニカが優しく微笑んでそう言うと、「休みだー!」という歓声が上がる。
だが、彼らはすぐには離れていかない。
「とりあえずこれを収穫してから休みますよ」
「そうじゃな。残った茎や葉は、一部は自然と乾燥させて肥やしにし、残りは魔法使いか水の精霊の子を呼んで水分を抜いてもらって、燃料にしよう」
老人の言葉に、「頭良い、長老! さすがー!」と軽い感じの褒め言葉がそこここで上がる。
そして、彼らは疲れた顔をしながらも楽しそうに、畑仕事に精を出し始めた。それには流衣やリドも参戦し、アルモニカは子ども達と口喧嘩をしながら、教えてもらって収穫した。
*
「いやあ、すごいな。見たかい、クリス? 当然、見ていたよね?」
こっそり二階から裏庭の様子を見学していたグレッセンは、にこにことクリスを振り返る。
「見ました。すごいですね」
素直な言葉に対し、声色はどこか淡々としている。グレッセンは少しつまらなさそうに肩をすくめ、再び窓から外を見下ろす。
子ども達とじゃれあいながら収穫し、普段は見せないような笑みを浮かべている愛娘と、一人でいる時は大人びた顔をしていることが多い息子が、歳相応な笑顔になって、親友の少年と野菜の収穫に明け暮れているのが見えた。それが嬉しい反面、グレッセンは少し寂しい気分になる。子どもにあんな顔をさせることが出来るのは、同年代の友達だからで、父親には出来ない真似だ。それが少し残念。
「ルイ君は我が家にとっては幸運の運び手だね。アルモニカを助けてくれ、リディクスを連れてきてくれ、そして食料問題まで解決策をもたらしてくれた。運命と生命の女神レシアンテ様に愛されているみたいだ」
「……大袈裟では?」
「そうかな? 隣にいるだけで良い影響を与えられる人っていうのは、貴重だよ。しかも本人は無自覚ながら、周りを癒す空気をしているし」
穏やかに呟くグレッセンこそ、その空気の持ち主だったので、クリスは物言いたげにグレッセンを見る。が、何か言う前に台詞が頭から吹き飛んだ。
「ほんと、彼、うちの子のお婿さんに来てくれないかなあ」
「ぶぐ!」
思わず変なくしゃみみたいなものが口から飛び出た。クリスはげほげほと咳き込む。
「ちょ! 何てことをおっしゃるんですか!」
「ええー?」
グレッセンはそれは不思議そうに首を傾げる。
「リディクスが後を継いだ時は、アルモニカは市井に下るのだから、身分問題は無いよ。ああ、いいなあ。あんな子だったら、もう一人くらい息子が出来ても私は嬉しいんだけど」
「グレッセン卿……!」
「それとも、もう一度くらい、アイリスと頑張ってみるのも」
「グレッセン卿!!」
思考がどんどん飛躍していくグレッセンの暴走を、クリスは大声で止める。
「もう、なんだいクリス。騒がしいよ?」
「冗談も程程にして下さい!」
「え? どれも本気だが?」
「その方が問題があります。特に最後の方は……」
「駄目かい?」
「歳を考えて下さい」
「そうか……」
グレッセンはちょっとだけ残念そうにして肩を落とす。が、すぐに浮き浮きとし始める。
「じゃあ仕方ないから、うちの子のお婿さん計画は練っておこうかな。ああ、怒らないで、クリス。うちの子はそれは気が強いから、ああいう子の方が良いんじゃないかなって思うんだよね。ほら、貴族の男性はプライド高い人が多いから、うちの子のこと放置して浮気しそうじゃない?」
「……まあお嬢様の気の強さに関しては私も同意見ですが。そもそも婿なんですか? 嫁がせるのではなく?」
「そうか……! お嫁さんになるのかあ。どうしよう、クリス。今から泣けてきてしまったよ。アイリスに慰めてもらおう」
すたすたと廊下を歩きだすグレッセンを、クリスは慌てて追いかける。
「ちょっ、グレッセン卿! つまり、彼の話を出汁にして、休憩したかっただけなんですね?」
「私は嘘なんか言わないよ、クリス。でも君の言うことも一理ある」
目の上のたんこぶだった食料問題解決の兆しが見えて安堵すると、急に疲れて休みたくなったグレッセンは、なんだかんだとクリスを丸めこめ、結局、半日の休みをもぎとった。
すっかり回復し、今では庭に出るようになった妻アイリスと束の間の散歩を楽しもうと、早足で廊下を歩み去る。負けたクリスはすごすごと執務室に戻り、仕事の続きをするのだった。