六十七章 エアリーゼ、再び 2
「わあ、ここってこんなに広い町だったんだ!」
門から中に入ると、目の前には白い石造りの建物が身を寄せ合うようにして建っていた。どこも二階建てまでで、どうやら防壁より高くならないように設計されているらしい。
メインストリートを真っ直ぐ付き抜けた向こうに、一際高い段の上に白い大理石で造られた神殿が見える。
遠目から見たのは初めてだが、四角い形の建物が幾つかあり、本殿らしき建物は横に広く、積み木のように四角の段が積み重なっていて、防壁の一部がそこへと伸びていた。白い人影が動いているのを見ると、神官が防壁上を歩いて見回りをしているのかもしれない。
景色に感動していると、ふいにサーシャが小声で言った。
「ルイ殿、セト様、言うのを忘れておりましたが、民間人に乞われても食べ物を分けるのはおやめ下さい。少ないとはいえ、こちらできちんと配布しておりますから。でないと、分けられた者が不幸になります」
「え? 分けられた人が不幸になるんですか?」
予想外の言葉だ。
サーシャは重々しく頷く。
「皆が同じだからこそ、苦労にも耐えられるのです。そこに少しでも富む者が現れると、その者は除者にされるでしょう。もしくは、暴力により奪い取られるかもしれません。この状況で身動きが出来なくなるのは、もっとも避けるべき行為です」
「分かりました……。そうしないようにします」
流衣はショックを受けながらも神妙に頷く。
そうか。そういった理由で差別されることがあるのか……。それに、流衣が食べ物を分けたことで、その相手が暴力にさらされるのは流衣も嫌だ。
「では、参りましょう。ここからは私が先導致します」
ゆっくりと先を歩くサーシャの後ろに、アルモニカと流衣が並び、その次にオルクス、後方にリドとセトが位置して歩いて行く。
すれ違う人々は、どこか疲れたような顔をしていて、荒んだ目で余所者を見る。そのうちの二十代くらいの男が怒鳴るように言った。
「旅人め、ここにお前らに分けるような食料なんかないぞ! とっとと出てけ!」
その声を皮切りに、どこからか「そうだそうだ」と賛同の声が上がる。
「無視して下さい」
サーシャが短く言った。
本当に無視してずんずん先を歩いて行く。
脅かすように叫んでいた者達も、相手にしない様子を見て、人混みに混じって引っ込んでいった。
メインストリート上には屋台らしきものが幾つかあったが、そのどれもが使われておらず、寂しく佇んでいる。食べ物屋は軒並み閉店しており、営業中の札がかかる雑貨屋なども明かりが灯らずに寂しい雰囲気をしていた。
(ああ、そうか。明かりの原料も不足してるのか……)
この寒い時期、薪も必要になるだろう。その辺りの物資も不足しているに違いない。だが、この寒さで暖房がとれないのは死に直結する。
「ん?」
ふとマントを引っ張られて足を止めると、痩せた女の子がじっとこちらを見上げていた。
「ねえ、お兄ちゃん。食べ物の余り、あったら分けて……」
お腹を空かしているのか、物欲しそうな目で見てくる女の子。歳は十歳かそこらだろうか。
流衣は胸の奥を突かれる痛みに襲われたが、困ったように微笑んで返すしかない。
「ごめん。僕も持ってないんだ」
小さな嘘だが、これほど良心が痛む嘘はない。
すると、健気な顔でこちらを見上げていた女の子の表情が一変し、蔑みをこめた目で流衣を見る。
「……嘘つき」
そう小さく呟いて、女の子はたっと駆けて人混みへと戻っていく。深いトゲを突き刺されたような痛みだけが心に残り、流衣は呆然とする。
「ルイ殿。足を止めずに、行きますよ。いちいち傷つかれる必要はありません」
サーシャがやんわりと言い、進むように促す。
「はい、すみません。ありがとうございます……」
もしかしたら、毎回傷ついているのはサーシャなのかもしれない。
冷静に見えるサーシャの背を見つめながら、流衣はそう考える。
ちらりとアルモニカの様子を見ると、厳しい表情のまま眉を寄せていた。何か言えたらと思うが口に出来るものは安っぽい慰めしかなく、結局口を閉じた。
更にメインストリートを北上し、神殿前の長い階段を上ると、その先にある広場で起きている騒ぎが目に飛び込んできた。
石造りの広場一帯にテントが張り巡らされており、その一画のことだ。
男二人が殴り合いの喧嘩をしていて、壮年の男性神官が止めに入っている。
「おい、やめろ! 喧嘩をするな! ちっ、誰か、止めるの手伝ってくれ!」
その呼びかけに、近くで医療行為に当たっていた男性神官が駆けつける。そして、二人はそれぞれ男達を引き離す。
「うるせえ! 離せ! こいつ、叩きのめしてやる!」
「こっちこそ、望むところだ!」
引き離されて尚、暴れる二人。どちらの神官もうんざりした顔で止めている。
「神聖なる神殿の前で、いったい何の騒ぎです?」
すっとアルモニカが歩き出し、丁寧な言葉遣いで問うた。
「なんだ、てめえ。部外者はすっこんでろ!」
喧嘩をしていた一人が凶悪に睨んで怒鳴る。その一方、男性神官達は顔色を青ざめさせた。
「こ、これは、アルモニカお嬢様! 見苦しいところをお見せして、申し訳ありません」
萎縮する神官の言葉を聞き、怒鳴った男は、えっという顔になる。たちまち二人は大人しくなった。
「部外者だなんて、心外ですね。わたくしはこの神殿の次期当主ですよ? この町で起こる騒動へは、充分、関係があると思うのですが……」
「う。も、申し訳ありませんです、はい」
しどろもどろに謝る男。
その二人の前に立ち、アルモニカは問いかける。
「それで、いったいどうして喧嘩していたのです? 教えて頂けませんか?」
やんわりと問うアルモニカは、そこだけを見たら心優しい聖女のようだ。
(な、何この聖女っぽい光景……。こわっ、気持ち悪っ)
しかし流衣には、その柔らかな笑顔すら不気味で仕方なく、腕に鳥肌を立てていた。
二十代程に見える男は、肩を落とし、向かいにいる男を睨みつける。
「こいつが、俺のテントにあった薪を盗んだんだ! この寒い中、火もなくてどうして耐えられる!?」
思い出して腹が立ったのか、拳を握る男。神官がさっと男の左腕を掴み、もう一人の男から引き離す。
「はあ、俺がそんなことするかよ! てめえの勘違いだ!」
男はそう叫んだが、男を取り押さえている神官は溜息を吐いた。
「だったら、どうして服の下に薪なんか隠してるんだ?」
取り押さえた拍子に、背中側の腰紐に挟みこんだ薪が当たった神官の言葉に、ほら見ろというように、もう一人の男が勝ち誇った顔をする。
「これは俺の分け前の分だ! テントをあける時に持っていかないと盗まれるからそうしてる!」
なるほど。こちらの言い分も通る。
「……ふむ。では、あなたは何故、この方が薪を盗んだと考えたのですか?」
「俺が嘘ついてるって言うのか!」
激昂する男に、アルモニカは首を振る。
「いいえ。意見を聞いているのです。落ち着きなさい」
濃緑色の目でひたりと見つめられ、男は勢いを無くして答える。
「何って、ちょっと水を汲みに出かけてて、帰ってきたらテントに置いてた薪が消えてて。こいつがテントの前にしゃがんでたから、こいつが盗んだんだと思って!」
「へん。そんなの、薪を置いていなくなるお前が悪い」
「んだと!」
馬鹿にするように返すもう一人に、男はたちまち怒りを顕わにする。
アルモニカは、喧嘩を売るもう一人にぴしゃりと言う。
「あなたもお黙りなさい。それではまるで、あなたが盗んだと公言しているようなものですよ?」
「だから違うって!」
「では、彼のテントの前で何をしていたのです?」
「それは……」
男は言葉尻を小さくする。
「何だ、言えないことなのか?」
男性神官の問いに、男はむすりとする。そして、ポケットから何か取り出した。
「ちげーよ。これ見えるか?」
取り出したそれは、透明な小さな石だった。
「水晶ですか?」
アルモニカの問いに、男は頷く。
「そうだ。路銀の足しにと家から持ってきた数少ない財産でな。さっき転んで落としちまったから探してた。だから、俺は薪を盗んじゃいない!」
つまり、遠目では分かりにくい物を探していて、それがたまたま男のテントの前だったわけだ。しかもその男は用心深い性格で、自身のテントを離れる際には薪を服の下に隠して歩いていた、と。
「分かりました。つまり、どちらもどちらということですね? あなたは事情も聞かずに勘違いをし、あなたは大事な物を生身でポケットに突っ込んで歩くような迂闊なことをした。今、この都市は多くの人で溢れています。外からやって来た方も大勢います。人を疑いたくはありませんが、それでも、こちらの男性のおっしゃるようなことをする人もいる。どちらも良い勉強になりましたね?」
有無を言わせず笑いかけるアルモニカに、争っていた男達はたじたじになる。アルモニカはきちんとしていれば可愛らしい顔立ちをしているので、本気を出すと怖いのだ。いや、いつも怖いと思うけど、とにかく怒っている顔はとても怖い。気のせいか、そんな下らんことで喧嘩するな馬鹿がという副音声が聞こえる気がする。
「今回は大目に見て、あなたには薪を分けて差し上げます。ですが、こんなことは二度とないように。窮屈とは思いますが、荷の管理くらい自分でなさい」
よろしいですね? と畳みかけると、二人はこくこくと頷いた。
「さあ、あなたは戻りなさい。こちらの方はビアン、あなたにお任せして宜しいかしら?」
最初にいた男性神官に声をかけると、神官はえっという顔をした。
「忙しいのですか?」
「い、いえ。まさか私の名前を覚えて下さっているとは思わず……」
「この神殿に住まう神官は、皆、私の家族です。家族の名前くらい覚えますよ?」
男性神官は感激したように目を瞠り、がばっと頭を下げた。
「はい! こちらはお任せ下さい!」
こうして、さっくり解決した上に信者まで増やし、アルモニカはにこっと振り返る。
「では、行きましょうか」
その姿には、サーシャも感動して手を組んでいる。
「流石ですわ、お嬢様」
すごいなあとは流衣も思ったが、どうしてか怖いなあとも思ってしまう。人心掌握に長けてるのが怖い。
サーシャさん、別に書いてる『断片の使徒』の黒竜のサーシャリオンと名前が被る……。
灰色のひっつめ髪でモスグリーンの目ときたらサーシャって感じで。(ただのインスピレーションです)
あっちのサーシャは、面白いことと昼寝が好きな怠惰な竜なので、サーシャの知的な笑みが、あくどい笑みと被ってややこしい。
なんで似たような名前にしたかな。