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そして去年の春、僕たちは高校生になった。
うちの県の中ではトップクラスの進学校ではあったが、千紗からするとかなりレベルを落としたんじゃないかと気がかりだった。
実際担任の教師どころか校長も含め、大人たちに君ならもっと上を目指せると何度も説得されていた。だが、千紗は絶対に譲ろうとしなかった。僕はだろうなと思った。
千紗は大人しそうだし、実際に静かなのだけれど、頑固なところがあって、自分でこうと決めたことは絶対に譲らない性格なのだ。
高校生になっても、僕たちは何も変わらないと思っていた。
だが僕が寝坊をしたり、アリサの準備に時間がかかったりしてすれ違い、最近はそれぞれ一人で登校する時も多かった。
つつがなく一年が過ぎ、僕たちは二年生になった。
一人で登校する時、僕はいつもイヤホンをしていた。
イヤホンはスマホに繋いではいるが、何の音楽も流れていない。いつからか、僕は音のしないイヤホンをするのが癖になっていた。
その癖を知っているアリサは、いつも「やめなよ」と言って笑った。
「クラシックが嫌いでも、無音じゃなくて、最近流行りの曲でも聴けばいいのに」
「最近流行の曲、あんまり興味がないんだ」
アリサはにこにこしながら言った。
「じゃあ私のおすすめの曲教えてあげようか? カラオケ行く時、歌う曲がないと困るでしょ?」
「カラオケ、行かないし……」
僕が答えると、千紗がぼそっと呟いた。
「景は友達いないから」
まさか千紗に言われるとは思わなかった……。
その流れを見ていたアリサは、声をたてて笑った。
高校生にもなると、男女の関係っていうのは、子供の頃とまったく同じとはいかない。だけど、僕たち三人はさして変化もなく、気が付いたら一緒だった。
いや、僕たちは変化を恐れていたのかもしれない。
一度三人の均衡が崩れかけた時があり、僕は二度とその時のような思いをしたくないと思った。
もしかしたら、僕たちは大人になっても、もっと歳をとってしわしわのおじいちゃんとおばあちゃんになっても、ずっと仲のいい友人として、一緒にいられるんじゃないだろうか。
僕はそんな本当に夢みたいなことを、本気で考えていた。
そんな僕の希望を嘲笑うように、事件が起きたのは、今年の五月の終わりことだった。
アリサはさっそく友人がたくさんでき、しょっちゅう遊びの誘いを受けていたようだ。千紗は千紗で勉強のため、一人で図書館に立ち寄っていた。
その日は珍しく、千紗とアリサが二人そろって教室にやってきた。
双子というだけで目立つので、千紗とアリサが来るとそれだけで注目が集まるのがむずがゆかった。
彼女たちは教室の入り口で、一緒に下校しないかと誘ってくれた。
二人と話していると、クラスの男子に注意された。
「そんなところにいると、邪魔だ」
「……ごめん」
確かに僕たちが扉をふさぐような形になっていたので、邪魔だったかもしれない。とはいえ、数秒だったのに。
僕をとがめたのは、瀬川という男子生徒だった。
瀬川は野球部だ。スポーツ推薦で入学したらしい。リトルリーグでも活躍していたらしく、期待の新人だと入学した時からもっぱらの噂だった。身長は百八十を超え、ただでさえ威圧感があるのに加えて、態度や話し方がぶっきらぼうで、僕は少し苦手だった。野球部でも、最近は坊主じゃなくて短髪らしい。
そんなことを考えていると、瀬川はイライラしたようにほうきを動かしながら、再び僕を睨んだ。
「お前も掃除当番だろ?」
「うん、ごめん、今やるよ」
瀬川はキッパリとした口調で言った。
「別に、そんなに謝らなくていい」
怒らせてしまったのだろうか。瀬川は僕の前の席だから、たまに話さなくてはいけない場面が出るが、いつも不機嫌そうな顔をしている。もしかしたら、僕は嫌われているのかもしれない。
これ以上瀬川の機嫌を損ねないように、掃除を始めた。
僕は友人を作るのが苦手だ。新学期や新学年の時期は、いつも憂鬱だ。
すぐに誰とでも仲良くなってしまうアリサや、友人ができなくてもちっとも気にしない千紗には分からないだろう。自業自得なのだが、つい卑屈っぽく考えてしまう。
掃除が終わるまで千紗とアリサを待たせるのも申し訳ないし、他のクラスメイトにチラチラ見られるのも気恥ずかしい。
別に何の予定もなかったが、「今日は用事があるから一人で帰る」と話すと、二人は分かったと答え、教室を去った。
それが、千紗とアリサと交わした最後の会話になった。
僕が帰宅すると、母が真っ青な顔で駆け寄って来た。
うちの母は物静かな人だ。
父が亭主関白……まではいかないまでも、いつもむすっとしてほとんど話さない人間なので、母はいつも父に気を使っているように見えた。
息子の僕からしても、二人は夫婦というより、主人とお手伝いさんという関係に近いような気がする。
母はどうして父と結婚したんだろう。何度も疑問に思ったが、聞く機会はなかった。
その物静かな母の表情が、あまりにもひどかったので、僕は問いかけた。
「母さん、何があったの?」
「今、景に電話しようと思っていたの。落ち着いて、聞いてね、景……」
そう言った母の方が、よっぽど落ち着きを失い、今にも倒れてしまいそうな顔をしていた。母は目に涙をためながら、悲痛な面持ちで告げた。
「千紗ちゃんとアリサちゃんが、学校からの帰り道、事故にあったって……」
頭の中が真っ白になった。
「事故!? 事故って……大丈夫なの!? 二人とも無事なの!?」
「詳しくは分からないの」
僕と母はタクシーを呼び、急いで千紗とアリサが運ばれたという病院に向かった。
しかし到着した時には、千紗はもう息を引き取った後だった。
それからの出来事は、あまりハッキリと記憶がない。
家に帰ってからも、空気は重く淀んだままだった。
人付き合いが苦手なうちの両親も、千紗の両親とはそれなりに交流があった。
特にアリサは要領がよく、僕なんかよりよっぽど父の機嫌を取るのが上手だったし、母も女の子がいると華やかでいいわね、と嬉しそうだった。「早くどちらかがお嫁さんに来ないかしら」なんて言って、僕たちを困らせたこともあった。
今となっては、すべてが幻だったみたいだ。
僕は自分の部屋に戻り、ベッドにうずくまる。
後悔が、波のように僕を襲った。
僕のせいだ。変な意地などはらずに、あの時千紗とアリサと一緒に帰っていたら。
――そうしたら、何かのタイミングがずれて、二人はもしかしたら無事だったかもしれないのに。
その後、母が千紗たちの両親から連絡を貰ったらしく、ぽつぽつと話し始めた。
「千紗ちゃんは、即死だったらしいわ。アリサちゃんは幸い命は助かったけれど、意識不明の重体で、いつ目覚めるか分からないって……」
そう話した母は、目を真っ赤にして泣いた。
そして昨日、千紗の葬儀が終わった。
僕は学校に行く気にもなれず、何もする気になれなくて、呆然と部屋で座り込んでいた。
両親もそれについて、何も言わなかった。
父は本来、僕が学校や塾をサボることに厳しく、絶対に許してくれない人だ。だが、今回はさすがに気持ちを察してくれているようだ。そのことが少し不思議だった。
ずっと布団の中で丸まっていた僕は、のろのろと起き上がり、カーテンを開いた。
いつもと同じように朝陽が昇り、他の人たちが当たり前に生活しているのに違和感があった。
僕の当たり前の日常はもう、壊れてしまったのに。
つい数日前まで、すぐ隣で本を読んでいた千紗が、もうこの世にいないなんて。
昨日の昼、廊下ですれ違ったら手を振ってくれたアリサが、病院で眠っているなんて。
何もする気になれなくて、目を閉じ、床に座り込む。
目を閉じると、真っ白な死に装束を着た千紗の遺体を、何度も何度も夢に見てしまう。
眠ろうとしてもうなされて、飛び起きる。
千紗のおばさんが大声で泣き叫んでいる声が、耳に残っている。今もまだその声が、ずっと聞こえているみたいだ。
遺体が燃える匂い。灰の中に残った、細くて真っ白な骨。
あんなのは、千紗じゃない。
思い出すと、またじわりと涙が滲んだ。こんなの、きっと悪い夢だ。
「千紗……嘘だって言ってくれよ。お前、天才なんだろ。前、言ってたじゃないか。これから、たくさんの人の役に立つことがしたいって、言ってたじゃないか……!」
千紗は自分は勉強しかできないから、自分がこの世に存在した意味を、何かの形で残したいと話していた。
僕は千紗のこと、勉強以外に取り柄がないなんて、一度も思ったことがない。
それに千紗が隣にいてくれるなら、それだけでよかった。
どうして千紗は死んでしまったんだろう。
どうしてアリサは眠り続けているんだろう。
何度考えても、答えは見つからなかった。




