10-2
♢
その後、僕たちは無事に東京で大学生活を始めることになった。
僕たちを取り巻く周囲は、目まぐるしく変化していく。
新しい友人ができたり、料理に悪戦苦闘したり、たまに衝突したり、仲直りしたり、色々あったけれど、何があっても家に帰れば隣の部屋に千紗がいるだけで、僕は幸せだと思えた。
五月のある日の昼下がり、僕たちが買い物から帰ってくると、暮らしているアパートの前に、灰色の毛並みの猫がちょこんと行儀良く座っていた。
まるで、僕たちが帰ってくるのを待っていたように。
千紗は持っていた荷物をその場に落とし、灰色の猫に駆け寄った。
「……シャル? ねぇ、シャルでしょ!?」
千紗は、目に涙を浮かべ、その猫を大切そうに抱きしめる。
「景! これ、シャルだよ!」
「……まさか。本当に?」
まるで狐にでも化かされたような気分だ。
僕はまじまじとその猫を観察する。
ふわふわした灰色の毛。金色の瞳。賢そうな顔立ち。ほっそりした身体。
確かに、瓜二つだった。シャルそのものだと思えた。
「確かにそっくりだけど……でも、何でこんな所に?」
シャルは何ヶ月もずっと、姿を消していたのだ。
仮にどこかで生きていたとしても、どうしてここに現れたんだ?
電車で一時間程とはいえ、猫が簡単に移動できる距離ではないと思う。
犬が遠く離れた飼い主の元へ辿り着いたという話は割とよく聞くけれど、猫にも帰巣本能はあるのだろか?
灰色の猫は、僕の手にも頭をすり寄せ、にゃあんと愛らしく鳴く。
甘えるようなその鳴き声を聞いて、僕の脳裏に、有り得ない考えが浮かぶ。
「……アリサ」
「え? 景、どういうこと?」
「いや……」
――アリサは言っていたのだ。
『大好きよ、景君。もし今度生まれかわったら、恋人じゃなくてもいいから、またあなたの側にいてもいい?』
そして、もう一つアリサが言っていたことがあるじゃないか。
『生まれ変わったら、猫になりたい』
アリサは花が開くように笑いながら、よくそう口にしていた。
――彼女の思惑が成功したのか、失敗したのかは、僕には分からない。
そもそも人間と猫の身体の構造は、当然だがまったく違う。
これは本当にシャルなのか。まったく別の猫なのか? それとも、アリサなのか。
シャルは喋れない。確かめる方法なんて、どこにもない。
だけど僕は、この猫のことを初対面だとは思えなかった。
「お帰り、シャル。僕たちと、一緒に暮らす?」
そう問いかけると、灰色の猫はやはり嬉しそうに、にゃあと鳴いた。
結局その猫は、僕たちの家族になった。
アパートの大家さんに無理を言って、千紗はシャルを飼うことを許してもらった。
二人と一匹の生活は、続いていく。
僕は大学に通いながら、休日の夜は知人の経営する喫茶店で、時々ピアノを弾かせてもらっている。
僕の演奏を聴いて喜んでくれる人がいるのは、それだけで幸福だった。
道は一つだけじゃない。
ゆっくりと、どんな風に歩きたいか、探していこうと思う。
僕はどんな形であっても、千紗と一緒に生きることを決めた。
テセウスの船は、どんな形になっただろう。
もしかしたら、最初とはすっかり違った形になってしまったかもしれない。
それでも僕たちは自分で選んだ未来を、決して後悔しないと決めた。
願わくば僕たちの向かう先が、希望に繋がっていますように。
千紗の部屋の扉を開けると、温かい料理の香りがした。
千紗が嬉しそうに、僕を出迎えてくれる。
「千紗、大好きだよ」
僕はそう言って、玄関先で彼女をきつく抱きしめた。
千紗は目を細め、「私、幸せよ」と呟いた。
【了】
お読みくださりありがとうございました。
面白かったと思っていただけましたらブクマや評価を押していただけると励みになります!




