8-1
翌日。今日は千紗と約束したデートの日だ。
今日は、駅前で待ち合わせすることにしていた。
駅に着くと、千紗はもう僕のことを待っていた。
千紗の顔は見慣れているはずなのに、自分の彼女だと思うと、嬉しくてしかたなかった。
それに今日の千紗の服装は、今までに見たことがない服だった。
白くて清楚な印象のワンピースに、水色のリボンがついた白い麦わら帽子。
アリサはこんな服を持っていなかった気がする。
千紗は言い訳のようにぼそぼそと話す。
「デートだから……それらしい服がいいかと思って……買ってみたんだけど……。似合わない? 私、こういうセンスとか、よく分からなくて……」
「……今まで見た千紗の中で、今日の千紗が一番かわいい」
素直に感想を告げると、千紗は頬を赤く染めた。
「そ、そういうのはいらない。それに、アリサの身体だし」
「それでも今日の千紗は、僕のことを考えて、服とか選んでくれたんだろ?」
「もういい。やめて」
千紗は帽子のツバを引っ張って顔を隠そうとするが、耳まで赤くなっているのが見える。
「……恥ずかしくて、死にそう」
照れている千紗がかわいくて、もっと照れさせたくなってしまった。
とはいえこれ以上怒らせると、本当に口を利いてくれなくなりそうだ。
僕はそっと千紗の手を握った。千紗は嬉しそうに微笑んで、僕の手をきゅっと握り返す。
「どこに行きたい?」
一応初めてのデートなので、それっぽいデートプランは立ててきた。景色のいい場所を調べたり、遠出してもいいかとも思った。
だが千紗に行きたい場所があるなら、そこを優先しようと思ったのだ。デートしたいと言い出したのが千紗だったので、てっきり何か希望があるのかと思ったが、「詳しい予定は、実は考えてなかった」との回答だった。
「映画とか?」
「映画は好きだけれど、二時間ただ座っているのは、時間がもったいない気もする」
「確かに」
というわけで、僕たちは最初に、美術館に訪れた。
鎌倉には、想像以上にたくさんの美術館がある。正直千紗と出会わなかったら、美術館に行こうなんて思わなかっただろう。
退屈だろうという先入観があったが、千紗と一緒に、飾られている作品について語り合うのは、想像以上に楽しかった。
その後は、文学館に訪れた。
石畳みの道を歩いていくと、青い屋根の洋館が見える。
周囲は緑に囲まれていて、特に春と秋はバラが美しい。六月だと、紫陽花も綺麗だ。
この場所には文学者たちの資料や私物が展示されていて、千紗のお気に入りだった。何度来ても楽しいようだ。
今日も千紗は、弾んだ歩調で建物の中を歩いた。
ひとしきり見学し終わると、僕たちは駅の近くまで戻り、ランチを食べることにした。
「昼は何がいい?」
千紗は真面目くさった顔で言う。
「デートだと、パスタが鉄板だとインターネットで調べた」
「別に鉄板じゃなくても、千紗の食べたい物でいいんだけど」
千紗は自分のスマホの画面を僕に見せる。
「でもこのお店のパスタ、おいしそう」
「あ、本当だ。それに、オムライスとパスタのランチセットがあるよ。千紗、オムライス好きだろ?」
千紗は目を輝かせ、こくりと頷く。
「じゃあ、ここにしようか」
千紗も今日のデートを楽しみにして、色々調べてくれたようだ。その気持ちが嬉しかった。
僕たちは、千紗の選んだイタリアンの店に行くことにした。
テラス席からは、青い海を見渡すことが出来た。
今日は天気もいいから、海水浴日和だ。たくさんの人が、楽しそうに海で遊んでいる。
「うわぁ、海、綺麗だね。あとで泳ぎに行く?」
千紗は僕に問い返した。
「景が、本当に泳ぎたいなら……」
「…………」
「…………」
僕は頬をかきながら言った。
「そもそも、水着持って来てないしね。あとで、海岸を散歩しようか? 夕方になったら、少し人が減るだろうし」
「それがいい」
僕たちは二人ともどちらかと言うとインドア派なのである。
そんなことを話している間に、注文したオムライスとパスタが来た。評判通りおいしくて、僕と千紗は満足した。
その後は、近くのお寺を回ったりもした。
まだまだ、たくさん行きたい場所がある。千紗がいるなら、きっと何もない空き地だって、楽しめるような予感があった。
しかし楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。気が付くと、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
「海岸、散歩してみようか?」
「うん、そうしよう」
歩いていける距離だったので、僕たちはのんびりと由比ヶ浜への道を歩いた。
やはり夕暮れ時だからか、人はだいぶ少なくなっていた。
海が近づくにつれて、潮風の香りが強くなる。
「やっぱり夏は、海だよね。僕はここ数年、泳いだ記憶ないけど」
「地元に住んでると、意外と来ない」
「来ないね」
そもそも夏休みなんか、観光客でいっぱいなのだ。海で泳ぐというか、もはや人の群れの中を泳いでいるようなものだ。想像しただけで辛い。
「何となくだけど、僕たちに似合わない場所だよね」
「私たちは、日陰者だから。でも、海を見ているだけでも楽しい」
確かにほとんど人のいない黄昏時の海は、圧倒されるくらい美しかった。
オレンジ色の夕陽が、ゆっくりと海に沈んでいく。波の音と潮の香りが僕たちを包む。
夕陽に染められ、千紗の横顔も茜色の染まる。いくら見ていても飽きない気がした。
「昔、みんなで海に遊びに来たことあったよね」
「あった。懐かしい」
夕暮れの海を見ながら、千紗はゆっくりと浜辺を歩く。
太陽が沈んで、そのうち夜を連れて来る。
もうすぐ、今日が終わってしまう。
僕は朝からずっと、何かに追われるような焦燥感にかられていた。
流れる千紗の髪と、小さな背中を見つめながら、ぽそりと呟く。
「なんか今日、ごめん」
千紗は不思議そうに、長い髪をかきあげる。
「どうして謝るの?」
「もっと格好良いっていうか、思い出に残るようなデートにしたいと思ったんだ。でも僕、経験値足りないなぁって」
それを聞いた千紗は、クスクスと笑う。
「逆に、景がデートに慣れていて、完璧なデートプランを作ってきてくれたら、私は動揺していたと思う」
「何それ」
「大好きな人と一緒にいられたなら、失敗なんて、ないと思う」
そう言って、千紗は自分の言葉を確かめるように、頷いた。
「今日、私はとても幸せだったから。景と一緒に行くと、一人で行くより、どんな場所も楽しい」
「そう?」
「そう。大切な人といると、何でもないことが特別に見えるのね」
ストレートな言葉に、少し頬が熱くなる。
「いつも歩いている道も、道に咲いている花も、吸い込んだ空気でさえ。全部が特別で、すべてが素晴らしいものに思える。景と一緒なら、いつもより優しくなれる気がする。景と一緒なら、自分を好きになれる気がする。この広い世界で、私と景が出会えたことは、本当に奇跡みたいな確率で」
千紗は手の平を広げ、微笑んだ。
「この世界は、こんなに美しかったんだって思った」
千紗はまるでこの世界のすべてに、お別れを言っているようだった。
彼女が消えてしまいそうに見えて、僕は千紗のことをぎゅっと抱きしめた。
僕だって、そうだった。
千紗がいれば、この世界のすべては美しかった。
千紗は、僕の世界のすべてだった。




