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テセウスの船はもう見えない  作者: 御守いちる


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2/23

1-1



僕が千紗とアリサと出会ったのは、幼稚園児の時だった。

冬月家は父親の仕事の転勤で、現在暮らしている鎌倉に引っ越してきた。

そしておばさんと千紗とアリサが引っ越しの挨拶をしに、僕の家に訪れた。



アリサは昔から明るくて、物怖じせず、誰にでも話しかけられる子だった。

ぱっちりした目と肩を越えて伸びる長い髪の毛、ほんのり色づいた頬にくるくる変わる表情は、とてもかわいらしかった。


「初めまして! 私は冬月アリサです。こっちは、双子の千紗。よろしくね」


アリサの後ろには、彼女と顔はそっくりだけど、おどおどした様子の女の子が立っていた。それが千紗だった。

二人は色違いのワンピースを着ていた。

アリサがピンクで、千紗は水色のワンピースだ。二人によく似合っていると思ったのを覚えている。

双子というものを実際に見たのが生まれて初めてだったので、僕は驚いて「すごい、そっくりだ」と呟いた。


「僕は、日比谷景ひびやけい


そう告げると、アリサは花が咲くように微笑み、僕の手を握った。


「じゃあ、景ちゃんって呼んでいい?」

「え、ちゃんはやだな。男だし」

「じゃあ景君にしよう! ね、千紗!」


アリサにそう問われ、千紗は遠慮がちに、こくりと頷いた。あの頃の千紗は、とても引っ込み思案な子供だった。

まあ僕も人のことを言えないくらい人見知りする性格だったし、それは今もあまり変わっていないけれど。



とはいえ隣の家に住み、両親同士も仲がいい僕たちは、気が付いたら毎日のように一緒に遊んでいた。

遊び場はたいてい近所の公園だった。


千紗は昔から本が大好きで、放っておけば常に本を読んでいる子供だった。

だから僕とアリサ、それに他の子供たちが追いかけっこをしたりかくれんぼをしていても、千紗はベンチで黙々と本を読んでいることも多かった。


最初は絵本だったが、小学校に上がる前には大人でも難しいような哲学書や経済学書、医学書など、ありとあらゆる分野に興味を示すようになった。

小学一年生の時おばさんが気まぐれに受けさせたテストで判明したが、千紗のIQは平均的な子供のそれより飛びぬけて高かったらしい。


教師など、周囲の大人たちは大変盛り上がっていたが、当の千紗本人は興味がなさそうに、やっぱり黙々と本を読んでいた。


幼い頃の千紗は泣き虫だったのに、成長するにつれ、ほとんど泣かなくなった。

泣かないだけならいいことだけど、他の表情も出さなくなってしまったのは少し問題だ。

泣かない、怒らない、そして家族と僕以外の前では、ほとんど笑わない。

だから千紗を怖がっている同級生も多かった。

千紗はマイペースなので、周囲の声を気にする様子はなかったが。

千紗の周囲に漂う空気は冬の朝の日みたいに整然としていて、まるで彼女だけ別の時間を生きているようだった。


こちらに目もくれず、ひたすら本を読み続ける千紗の隣にいるのは、なぜか居心地がよかった。



中学生になり、千紗の勉強好きは加速する。

学年順位はもちろん一位だし、それどころか全国テストでも上位に入っていたみたいだ。

本人はペーパーテストの順位にはそれほど興味がないらしく、結果を確認したらすぐに捨てていた。いつからこんなにクールになってしまったんだろう。



ある日、僕と千紗、アリサは偶然時間が合ったので、三人で帰宅しながら話すことにした。

東京にある有名な私立の高校からも、ぜひうちに来て欲しいとお誘いが来ていたらしい。だが千紗はそれを全部断って、結局近くの公立高校に通うことにした。

初めてそれを聞いた時は、さすがに驚いた。


「せっかくのチャンスだったのに、どうして断ったんだ?」


そう問いかけると、千紗は決まって読んでいた本の間に指をはさみ、少し閉じ気味にしてから答える。


「どこにいたって、勉強はできるから」


天才の考えることは、いまいち分からない。

千紗が求める勉強がどんなものかは、さっぱり分からない。

もちろん鎌倉だって悪くはないだろうが、それでも東京に行ったほうが、きっと設備も施設も先生も、充実しているんじゃないだろうか。

会話が終わったとみなされたのか、千紗はまた歩きながら本を読み出した。


「前から思ってたけど、本を読みながら歩くと危ないよ」

「……平気。景かアリサがいる時しか、読みながら歩かないから」


一応話しかければ千紗は本を伏せ、こちらを見て質問に答えてくれるが、それ以外の時間は、ほとんど本を読んでいる。

その頃の千紗は特に哲学について興味を示し、熱心に学んでいたらしい。

千紗は自分のことをすすんで話そうとしなかったので、アリサが色々教えてくれた。千紗本人から千紗のことを聞くより、アリサから聞く時間のほうがよっぽど長かった気がする。


アリサは僕の隣を歩きながら、楽しげに言った。


「千紗ったらまだ中学生なのに、大学の教授の研究室にも出入りしているのよ」


中学生になっても、アリサと千紗の顔はそっくりだった。一卵性の双子なので当然といえば当然だ。

しかし、隣に並ぶと雰囲気がまったく違う。

千紗は飾り毛がなく、髪の毛もブラシでざかざかとかして、制服をただ着ただけという印象だ。

それに私服はもっとひどい。どこで買ったんだそれ、と首を傾げたくなるような、『寝たら死ぬぞ』とか、『ひじき』など、謎の言葉がでかでかと書かれたTシャツを着ていることが多かった。

それを見たアリサは叫び声をあげ、「お願いだからその服装で出かけるのはやめてよ!」と抗議していた。


昔見かねた僕が「もうちょっと服装を気にしたら?」と声をかけたが、千紗は本を読みながら、「効率的じゃない」と答えた。千紗は重度の効率厨だ。


対してアリサは、今時のオシャレな女の子だった。

髪の毛も複雑に編み込んでかわいいピンでとめているし、目がぱっちりしているのと唇がほんのり色づいているのはおそらくメイクだろう。

制服のシャツとかベストとか、 靴下とか靴とか、本当にさりげないところがどことなくオシャレだ。

アリサは人の髪の毛を結ぶのが好きらしく、千紗の髪型も綺麗にしたいらしいが、本人が面倒だというのでしぶしぶとかすだけにとどまっているらしい。


本当は千紗は「長い髪の毛は非効率的だから切りたい」と話していたが、「長いほうがかわいいから伸ばして!」というアリサの頼みを聞き、二人とも常に肩から十センチくらいの長さを保っていた。

もしアリサが双子の姉でなかったら、千紗の外見はもっと殺伐としたものだっただろう。美容院に行くことすら「非効率的」と言い、ハサミを手に取って、適当なところで自分でちょきんと髪を切っていたかもしれない。


ただの姉妹でなく、双子というのは、やはり独特の雰囲気がある。家族として親密だという以上に、二人の絆には絶対に入り込めないと思う瞬間があって、僕は時折それを羨ましく感じていた。



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