6-1
月曜日、無事停学が開けて、僕は再び高校に登校できるようになった。
校内を歩いていると、やはり噂になっているのか、知らない生徒が僕の姿を見て、ひそひそと声を立てる。
「あの人だって、入谷先輩を殴って停学になったの」
「うそー、大人しそうな顔してるのに」
「ケンカしまくってるって本当?」
してません。
あらぬ誤解も生まれているみたいだけど、どうせ知らない人だし、まぁいいか。
「おはよう、景」
靴箱で、僕を待っていた千紗に声をかけられた。
今日は委員会の仕事があったので、先に登校していたのだ。
「おはよう」
いつもと同じように挨拶できることに安堵する。
千紗が目覚めた頃は、梅雨だった。
あとどれくらいの季節を、一緒に過ごせるだろう。
――きっと、そんなに長くはいられない。残りの時間のことを考えると、ぎゅっと胸が痛んだ。
「もうすぐ夏休みだね」
「そうね。色々あった」
千紗は数秒何かを考えるように押し黙ったが、やがて口を開いた。
「夏祭りに、一緒に行ってほしいの」
僕は驚いて、思わず息を飲んだ。
近所の神社の夏祭りは、この辺りではなかなか有名だ。学生ならたいてい友達や恋人と行きたがるし、僕と千紗とアリサも、幼い頃はよく一緒に行っていた。
だから今年は千紗を誘おうと心に決めていたのだ。それが、まさか千紗の方から誘ってくれるとは。
「うん、一緒に行こう。っていうか、僕から誘うつもりだったんだ」
そう答えると、千紗はほっとしたように目を細めた。
もし千紗が夏祭りに一緒に行ってくれるのなら、もう一つ決めていたことがある。
夏祭りで、千紗に告白しよう。
ずっとそう、決めていた。
たとえ、結果は中学の時と同じでも。伝えないまま、彼女が消えてしまうのは嫌だった。
♢
夏祭りの当日、僕は千紗を家の前まで迎えに行った。
しかし千紗にしては珍しく、待ち合わせの時間になっても、外に出ていなかった。
千紗は時間を正確に守るし、待ち合わせをすれば大抵五分前には到着しているので、不思議に思った。
「ごめんなさい、景。待たせた?」
そう言って、玄関先から現れた千紗は、浴衣姿だった。
僕はいつもと違う装いの千紗に、思わず目を奪われる。
「浴衣だ……」
白地に、ピンクの花模様。そして淡い黄色の帯が、なんともアリサっぽいセレクトだった。聞くまでもなく、アリサの持ち物なのだろう。
僕を見つけると、後ろにいたおばさんが嬉しそうに千紗の背中を押した。
「景君、いつもありがとう! この子、すごく楽しみにしてたのよ」
「お母さん、余計なこと言わないでいい! 景、早く行こう!」
千紗は複雑そうな表情で、急かすようにカランと下駄を鳴らす。
「行ってらっしゃい」
「はい、九時前には送りますから!」
僕はおばさんにお辞儀をして、千紗の隣を歩き出した。
千紗は照れくさそうに口を尖らせながら、言い訳のように話す。
「景とお祭りに行くって言ったら、お母さんが勝手に盛り上がってしまって」
「アリサだったらお祭りで浴衣なんて、絶対すっごくオシャレするもんね」
「そう、だから、服なんて適当でいいって言ったら、怪しまれると思って」
髪の毛も千紗のおばさんが結んだのか、綺麗にまとめられ、花のかんざしがついている。
「でもすごく似合ってる」
素直に褒めると、千紗はふわりと微笑んだ。
「隣を歩く僕が、普通のTシャツなのが申し訳ないくらい」
「服なんて、着られれば何でもいいと思う」
「「その方が効率的」」
二人の声が重なり、顔を見合わせてくすくす笑った。
確かにそうだろう。だから千紗は、いつもどこで買ったのか訊ねたくなるような、変な言葉が書かれた服を着ていたのだ。
けれど最近の千紗は、アリサの服を着ているからオシャレだ。
正直変なTシャツを着ている千紗を見られないのがちょっと寂しい、なんて言ったら呆れるだろうか。
「でもね、アリサの服を着るようになって、アリサのようにオシャレをするようになって、初めて、こういうことが楽しいという気持ちも、分かった」
「そっか」
「アリサは、メイクは魔法だって言ってた。新しい化粧品を使うと、ワクワクして、今までと違った自分になれるんだ、って。それで、大切な人に会いに行きたくなるって。その時は、全然理解できなかったけれど……今はそうなのかもって、思うようになった」
そんなことを話しながら、僕たちは祭りが行われる神社へと向かった。目的地に近づくにつれ、どんどん人が増えていく。
「人、すごいね。昔はもっとのんびりしたお祭りだったのになぁ」
などと話している間にも、次から次へと来る人たちに、ぐいぐいと押し流されてしまう。ぼんやりしているうちに、千紗を見失ってしまいそうだ。
僕は一瞬躊躇したけれど決心し、千紗に向かって左手を差し出した。
「千紗、手を繋がないと、はぐれちゃうよ!」
千紗は少しキョトンとしていたけれど、迷っている間に人に押されてハッとしたのか、僕の手を強く握った。僕は千紗の細い腕をそっと引き寄せ、もう片方の手で彼女の肩を支えて歩く。
人に押し潰されているのもあって、まるで抱きしめているような形になった。顔を少し下げれば、ぶつかりそうな位置に千紗の顔がある。
意識しないようにと考えれば考えるほど、勝手に頬が熱くなった。
幼い頃は、どこに行く時も千紗とアリサと手を繋いで、三人並んで歩いていたのに。
子供の頃は、それが普通だった。
いつの間にか、知り合いにからかわれるのが恥ずかしくなって、自然に手を繋ぐことができなくなっていた。
僕はドキドキしているのを気取られないように、千紗に声をかける。
「食べたいものとかある?」
「……りんご飴」
「好きだよね、千紗。お腹減ってる?」
「……焼きそばとか」
「千紗、焼きそばも好きだよね」
「だって、お祭りって主食になるものは焼きそばくらいでしょう」
「とりあえず、屋台をぐるっと回ってみようか」
千紗はこくりと頷いた。
僕たちは、並んでいる出店をぐるりと冷やかした。
一通り楽しんだ千紗と僕は、花火を見る場所を探すことにした。
「花火、どこからだと見えるかな。やっぱりあらかじめ場所取りしとかないと、人気の場所は既にいっぱいだね」
「別に私は花火、見えなくてもいいけど」
「いや、せっかく来たんだし見ようよ」
――千紗と花火を見られるのは、これが最後になるかもしれないんだし。
そんな言葉が浮かんだけれど、もちろん言えるわけがなかった。
僕たちはしばらく周囲をうろうろした後、神社の裏手にある、石段に腰掛けた。
周囲にはあまり人気がなく、緑に囲まれて、ひんやりした空気が流れていた。
石段の下には、立派な赤い鳥居が建っているのが見える。
「ここはあんまり人がいなくていいね」
「えぇ、ずっと大勢の人間がいる場所を歩いていると、疲れる」
小さく息をついた千紗の視線が、自分の足に向かっているのが気になった。
そういえば、さっきもチラリと足元を見ていた気がする。
僕が千紗の足先を見つめると――下駄で靴擦れをおこしたらしく、足の甲をそっと擦っていた。
「ごめん、全然気付かなかった! 早く歩きすぎたね」
僕は、ふがいなさでいっぱいになった。
元々女の子の方が歩くのが遅いんだ。そうでなくても下駄をはいて歩きにくいんだから、もっと気をつけてあげるべきだった。いつから痛みを我慢していたのだろう。
「このくらい、全然平気。……と言いたいところだけど、アリサの身体だから。傷一つつけないように、大切にしないと」
千紗は持っていた巾着から絆創膏を取り出し、貼り付けた。
儚く微笑んだ千紗の笑顔が綺麗で、僕は唇をぎゅっと結ぶ。
アリサに身体を返す前提で、千紗はずっと今を過ごしている。その事実が、僕はどうしようもなく悲しかった。
気持ちを切り替えるように夜空を見上げながら、千紗がゆっくり言葉を紡ぐ。
「何年ぶりだろう。こうやって、景とお祭りに来るのは」
「昔は、いつも三人でお祭りに来てたのに。いつからか、来られなくなったよね」
去年も、一緒に夏祭りには来られなかった。
幼い頃は、千紗とアリサと三人で祭りに来ていた。
でも小学四年生の頃くらいから、クラスメイトに冷やかされるのが恥ずかしくて、千紗とアリサを誘わなくなった。クラスの男友達と祭りに行くようになった。
「三人で一緒に来た場所に来るとさ、色々思い出すよな」
千紗も昔のことを思い出したのか、クスクスと笑った。
「アリサはねだるのがうまいから、色んな出店でおまけしてもらって、いつも景品を多くもらっていた」
「そうそう。アリサはそういうの得意だから。金魚を袋いっぱいに貰った時は、さすがに困ったよね。あの金魚、結局どうしたんだっけ?」
「悩んだ挙げ句、一匹だけ貰って、後は店に返しに行った。水槽に入れて育てていたけれど、すぐに死んでしまった」
死んだという言葉が想像以上に重い響きで、僕たちはしばらく沈黙した。
やがて、千紗が打ち明けるように話し出す。
「ずっと……景に隠していたことがあって」
「何?」




