5-2
食事が終わると、風呂に入り、僕のベッドのすぐ下に一組布団を敷いたので、瀬川はそこに横になる。自分の部屋に瀬川が泊まるのって、改めて変な感じだ。
「ごめんね、なんか母さんが色々うるさくしちゃって」
「いや、楽しかったよ。せっかくだったら、親父さんにも会いたかったけどな」
「会わない方がいいと思うよ」
「そうか?」
「それはそうと、瀬川、下の布団で大丈夫? ベッド使う?」
「景の部屋なんだから、気を使うなって」
「うん。じゃあ、電気消すね」
「ああ」
照明を落とすと、窓から細い月明かりが射し込んでいるのが見えた。
しばらくの間、部屋に沈黙が落ちる。
僕はベッドの上に寝転がり、しばらくの間、もやもやと考える。
「瀬川さ、野球部はどう?」
「野球部? まぁ、いつも通りだよ。練習は辛い」
「辛いかぁ……」
「あぁ、たまに吐く」
「うわぁ、大変そうだ」
当たり障りのない会話をしながら、僕はしばらく天井を眺めていた。
「……僕が学校休んでた時さ。瀬川って、どうして僕の家に来てくれたの?」
それは、ずっと気になっていたことだった。担任に頼まれたのも理由の一つだろうが、別に断ろうと思えば、いくらでも断れただろう。だから、不思議だったのだ。
瀬川も天井を見つめたまま、落ち着いた声で答えた。
「最初は……ちょっと、仲間意識っつうか」
「仲間? 僕と瀬川が?」
瀬川は少し迷ったように、言葉を句切る。
「俺、十歳くらい年上のいとこの兄ちゃんがいて……野球を最初に教えてくれたのも、その兄ちゃんだったんだ。……だけど、俺が五歳の時、事故で死んだ」
僕はぎゅっと布団を握り締める。
「だから、お前のこと知って……最初はちょっと、俺と似てるなって。正直、同情したのかもしれない」
それからすぐに打ち消すように、言葉を重ねる。
「勘違いすんなよ。今は違うぞ」
「うん」
「景って、弱っちいくせに、立ち向かおうとしてるから」
「弱っちい……」
まぁ確かに、僕は弱々しい自覚はあるけれど。
瀬川は笑いながら続けた。
「だから、お前の力になれたらいいなって、そう思っただけだよ」
僕は深く息を吸い込んで、彼の方を見つめる。
ずっと誰かに相談したいと思っていたことを、今なら話せるかもしれない。
「あのさ……もしもの話なんだけど……。瀬川はさ、大切な人のどちらか一人を選ばなきゃいけない時、どうする?」
「それって、川で溺れてる時に親友と恋人、どっちを助けるかみたいなことか?」
「うーん、そんな感じかな」
「つまり景と彼女だったらどうするかって感じか」
僕はきょとんとしながら問いかけた。
「僕、瀬川の親友なの?」
「俺はそう思ってるけど……あれ、もしかして俺だけか。地味に傷ついた」
僕は咄嗟に起き上がり、首を横に振る。
「や、そうじゃなくて、嬉しいけど、僕たち会ったばっかりじゃん」
「別に会ってからの時間が長いとか短いとか、そんなに関係ないだろ?」
「まぁ、うん、そうかも。でも瀬川は友達たくさんいるし、ほら、野球部の人とか、もっと仲がいい人いるだろ」
「野球部のやつは仲間だけど。景は景だろ。まあ、俺のことはいいんだよ」
瀬川は首をこちらに伸ばし、僕を見上げる。
「景の大切な人って? やっぱりあの双子関係か?」
「うん……、うまく言えないんだけど、ちょっと悩んでて。どっちも大切な場合、どうすればいいんだろう。僕は、どちらも失いたくないんだ」
瀬川は深く追及せず、落ち着いた声で言った。
「どちらか一人しか助けられないなら、現実的に助けられそうな方を助けるしかないんじゃないか?」
僕は思わず黙って、じっと瀬川に視線を向けてしまう。
「何だ?」
「いや、瀬川の性格なら、両方助けるって言いそうだから」
「そりゃ両方助けられるならそうするけど、そうできないからの選択なんだろ?」
「うん」
「もし本当に川で溺れてるなら、二人とも助けようと無茶したら、三人とも溺れ死んでしまう可能性の方が高いしな」
「わりとリアリストなんだなぁ、瀬川」
「だからさ、手が届く方に自分の手を差し伸べるしかないよな」
「手が届く方に……か」
「俺は景と彼女で迷ったら、彼女を助けると思うからそれはごめんな」
「いや、それは仕方ない……」
と言いかけて、えええええ、と叫び、再び布団から身体を起こす。
「って、え!? 瀬川彼女いるの!? 知らなかった! 誰!? 僕の知ってる人!?」
それまで淡々と話していた瀬川が、少しだけむずがゆそうに声を濁す。
「いや……同じ学年だけど、知ってるかどうかは微妙。知らないんじゃないか?」
「え、誰?」
「三組の秋穂由佳」
「あっ、知ってる!」
話したことはないけれど、野球部のマネージャーの、元気な女の子だ。ずいぶん小柄な子だな、というのが第一印象だった。
小さな身体でドリンクを作ったり、グラウンドを整備したり、スコアをつけたりと、一生懸命動き回っていた。瀬川の練習を見ている時、マネージャーの仕事って大変そうだなと考えたのを思い出す。
「へぇ、瀬川って、人のことを好きになったりするんだ」
「俺のことを何だと思ってるんだ、お前は」
「えー、だって想像つかないな。瀬川って、野球と食べることにしか興味がなさそうだと思ってたから」
「お前の俺のイメージ、歪んでないか?」
「そっか、そうなんだ」
何となく、瀬川と恋愛を結びつけたことがなかったので、妙に感心してしまった。
「どうして秋穂さんと付き合うことになったの?」
「中学の時からの知り合いっつうか、腐れ縁。その時は由佳、マネージャーじゃなくてソフトボール部でさ。交流する機会もあって、だから気が付いたら何となく」
「へぇ……」
瀬川が女子の名前を呼び捨てにすることも珍しくて、何だかニヤニヤしてしまう。
「お前、笑ってるだろ」
「いや、笑ってないよ」
「俺のことはいいんだよ。あ、でも、景が昔ピアノを弾いてたって話、由佳から聞いたんだ」
「え、そうなの?」
「由佳の姉ちゃんがピアノ習ってるんだけど。由佳はそれでコンクール見に行ってたんだってよ。その時に、景のピアノを聞いて、感動したんだってさ」
自分の知らないところで自分のことを知っている人がいるというのは、少し照れくさい気分だった。
「そうなんだ。僕のピアノなんて、誰も覚えていないと思っていた。だからそうやって覚えていてくれる人がいたのは、少し嬉しいかな」
「景のピアノ、上手いからずっと覚えてたんだってよ。だから、今は弾いてなさそうだって言ったら、残念そうにしてた。まぁ、由佳のことはどうでもいいけどさ。だから、弾きたいならまた弾いたらいいんじゃないか? 別に、仕事にしなくたって、趣味で続けてもいいだろ?」
それまでは誰に言われても頑なに否定していたけれど、瀬川の言葉にはすんなりと頷くことができた。
「うん、そうだね。ありがとう、瀬川。今日、来てくれて嬉しかった。気分が晴れた気がする」
それを聞いた瀬川は、ふっと微笑む。
「ならよかった」
――手の届く方に、手を伸ばす。
僕は頬にばんそうこうを貼ってくれた、千紗の心配そうな笑顔を思い出しながら、目を閉じた。




