表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テセウスの船はもう見えない  作者: 御守いちる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/24

5-1



停学になって二日目。

曜日感覚がなくなりそうだが、今日は金曜だった。

土日を挟むから、結局連続で五日学校を休むことになってしまう。

夕方自分の部屋でぼけっとしていると、家の呼び鈴が鳴った。他には誰もいなかったので、のろのろとインターホンのボタンを押す。

もしかしたら千紗かなと思ったが、そこに立っていたのは意外な人物だった。


「よぉ、元気か不良少年」


玄関の戸を開けると、瀬川が立っていた。

一度家に帰ったのか、野球部のユニフォームではなく、Tシャツにジーンズ姿だった。

毎日グラウンドで練習しているから、瀬川はすっかり小麦色の肌になっている。

やっぱり瀬川を見ていると、全力で生きているって感じで、なんだか羨ましい。僕は苦笑しながら言った。


「不良って、僕から一番ほど遠い言葉だと思ってたんだけどなぁ。またノートでも取ってくれた?」

「いや、今回は面倒だから取ってない」

「あっそう」

「でも俺のノートはあるから、写したいんなら書いてもいいぜ」

「じゃあ見せてもらおうかな」


瀬川は玄関できちんと脱いだスニーカーを揃え、廊下を歩く。

「瀬川、大丈夫だった? 僕たちの巻き添えくらって、処分とかされてないよね? 嫌なこととか言われてない?」

「平気平気。俺は何もないから。バスケ部にも知り合いの先輩いるし、嫌がらせとかもない」

「ならよかった」


僕は彼を自分の部屋へ案内する。瀬川は感心したように、家の中をぐるりと眺めた。

「しかし景の家、相変わらずでかいな」

「そう? 普通だと思うけど」


瀬川はもう何度も家に来ているので、勝手知ったる他人の家といった感じで、僕の部屋にある丸いクッションに腰を下ろした。瀬川が来る時はいつもそれに座るので、指定席みたいになっている。

一瞬沈黙した後、瀬川はじっと僕を見た。


「……あのさ、もし良かったら、今日景の家に泊まってもいいか?」

「え、別にいいけど。珍しいね」

「何となくな」


おそらく、心配してくれているのだろう。瀬川はぶっきらぼうに見えるけど、けっこう情に熱い性格だ。

瀬川はまだ包帯が巻かれたままの僕の手を見ながら、ぼそっと呟いた。

「ていうか、悪かったな。やっぱり俺が、もっと早くあの入谷ってやつ、止めればよかった。一発ぶん殴っとくべきだったか」

「いや、僕は瀬川がケンカに参加してると思われなかっただけで、ほっとしてるよ。もし瀬川を巻き込んで野球部全員試合出場停止とかになってたら、一生悔やんでも悔やみきれなかったから」

「大げさだろ」

「いや、本当に。むしろ途中で止めてくれた瀬川には、感謝してるよ」


瀬川はパン、と自分の太ももを叩いて立ち上がった。


「よし、湿っぽい話は終わり。つうか、腹減った」

切り替えが早いのは、彼の長所だ。

「母さん今仕事だから、連絡して夕食を一人分多く作ってもらおう」

「え、俺外食でいいぜ? なんか、逆に迷惑かけて悪いな」

「いや、全然迷惑じゃないし」


母さんにメッセージを送ると、友達が来てるなら張り切って夕食を作ると返信がかえってきた。


「昨日とか、何してたんだ?」

「うーん、だらだらしてたよ」

「そうだ、ゲームやらないか? 今日は景に勝つぞ」

「そうか、それなら挑戦を受けるよ」


瀬川と遊ぶのは、気を使わずにいられてとても楽しかった。

ひとしきり遊んだ後、僕はコントローラーを投げ出して床に寝っ転がった。

「真剣にやったら疲れた。ちょっと休憩しよう」

瀬川は納得できない様子だった。

「また勝てなかったなぁ」

「まぁ、ゲームくらいはいいじゃん。瀬川って、何やっても器用なイメージだし。他に僕が勝てるところなんか、ないもん」

「別に、できないことも色々あるけど。景って、大人しそうな顔してるのに、けっこう負けず嫌いだよな」

「うん、自分でもそう思う」


瀬川は真っ直ぐな視線をこちらに向けた。

「何かさ、悩んでるだろ、景」

「……そう見える?」

「まぁな。いきなり先輩と取っ組み合いのケンカするし、お前ってけっこう弾けたやつだよな」

「それについては反省してるよ」

いくら失礼なことを言われたとはいえ、先輩に殴りかかるのは愚行だったと反省している。

瀬川は立ち上がり、部屋の隅にある本棚を見つめた。

瀬川の視線が、埃をかぶった楽譜に向いているのに気付き、彼を止めようとした。


「景って、前はピアノを弾いてたんだろ?」

その言葉に、思わず動揺する。

「え……何で知ってるの?」

それは、僕の一番脆いところだった。触れられた途端に、ハリネズミみたいに全身から針が飛び出しそうな気持ちになる。



小学校を卒業する時に、ピアノは辞めた。

一時期は、僕にとって、ピアノがすべてだった。朝も昼も夜も、学校に行っている時間以外はご飯を食べるのも寝るのすら惜しんで、ピアノを弾いていた時期があった。

でも、昔のことだ。

それからは、一切人前では弾いていない。だから高校で会った人は、僕がピアノを弾いていたことは知らないはずだ。

「お前のこと、知ってるやつが知り合いにいてさ。……今は弾いてないのか?」

僕は無言で頷いた。

「どうして辞めたんだ? うまかったんだろ?」

少し考えてから、僕は言った。

「……音楽なんて儲からないから」

「何だよそれ」

瀬川は何とも言えない表情で僕を見る。冗談を言っているのか、真剣なのか見定めているのだろう。

「……って、父さんに言われて」

「景の父さんって何の仕事してるんだ?」

「弁護士」

「あーーーー、言いそう。だからこんな家が立派なのか」


僕は溜め息を吐いて、目蓋を伏せた。


「でも、僕のことを考えて言ってくれてるってことが分かったからさ。本当に将来のためを思って言ってるんだって考えたら、嫌だったけど、反抗しきることもできなくて。小学校最後のコンクールで、県で一番になれたら、続けてもいいって言われたんだ。僕は自信があったから、それでいいって答えた」

瀬川はぶつぶつと文句を言った。

「でも、その言い方汚くねえか? 親にそんなん言われたら、子供はどうしようもねぇだろ。それで、結果は? って、今やってないってことは、まぁそういうことか」

僕はコンクールの日のことを思い出しながら頷く。思い出したくないのに、何度だってあの日の苦い記憶は簡単に蘇る。

「僕より一つ年下なのに、すっごくうまい男の子がいてさ。その人の演奏聞いたら、もうダメだって思って、結局ビビって普段の練習の成果すら出せずに二位になって、それでおしまい」

しかも悪いことに、コンクールには千紗とアリサが応援に来てくれていた。

自分が二位だったことにも落ち込んだけれど、ボロボロ泣きながら僕を励ましてくれる二人を見たら、情けなくて消えてしまいたくなった。僕がもっと上手に弾ければ、二人を笑顔にできたのに。そんな後悔ばかりが、ずっと後を引いている。


「やりたいなら、今からだってやればいいと思うけど」

そう言い切ってしまえる瀬川のことが、純粋に羨ましかった。

「瀬川の夢って、野球選手?」

「うん。向こう見ずと思うだろ? プロ野球がいいけど、企業の野球チームもあるし。どっかしらで続けたいとは思う」

「瀬川なら、本当になれるんじゃないかな。それに、目標があるってだけで羨ましいな」

夢や目標がしっかりある人も、それをハッキリ言葉にできる人も、まるで手の届かない場所にいて、輝いているように見えた。


いつまでも過去のことが引っかかって、ピアノを聞くことすら嫌がってイヤホンで耳を塞いで逃げている僕とは、大違いだ。

瀬川は真剣な顔つきで言った。

「夢って、ないといけないのか?」

心の中を見透かすような瞳に、心臓がぎゅっと痛くなる。

「え? そりゃ……あった方がいいんじゃないの?」

「俺は思うんだけど……。最近、好きなことをやって生きようみたいな風潮あるだろう。まぁ、そりゃ理想だけどさ。でも、やりたいことができなかったり、好きなことが見つからないやつもいるだろ。じゃあ、夢のない人間は生きてる意味ないのか?」


僕は驚きながら答える。

「いや……そんなこと……ないと思うよ」

「そうだろ? つうか世の中の大半の大人って、やりたくない仕事してるじゃん。うちの親父だって、会社行きたくない行きたくない言ってるし。でも、そういう人間がいないと、世の中はまわらないだろう」

瀬川は頭をかきむしりながら言った。

「だから……、なんか、いいんだよ。ピアノが好きだからって、ピアニストにならなくたって。別の道だってあるし、存在してるだけで、誰かのためになってるんだって。だから景は、とりあえず元気に生きろ。それでよし」


僕はしばらくポカンとしていた。

だが、瀬川が僕を励まそうとしてくれているのは、しっかり伝わって来た。

僕は嬉しくて、しばらくクスクスと笑ってしまう。

「何笑ってるんだよ」

照れくさそうにそう言った瀬川が、微笑ましかった。


「あのさ、瀬川……」

彼に話しかけようとした時、コンコンと部屋の扉がノックされる。

「景、お友達が来てるのよね?」

声をかけてきたのは、母さんだった。瀬川はすっと立ち上がり、礼儀正しく挨拶をする。

「瀬川誠二です。いつも景君にお世話になっています。今日、ご迷惑じゃなかったら、泊まらせてもらおうかと思っているんですけれど」

見るからにスポーツマンな瀬川のことを、母さんは大層気に入ったらしい。ぱぁっと表情を輝かせる。

「あらあら、もちろん大歓迎よ。野球部なんでしょう? うちの高校、強いのよね。景からたまに聞くのよ! 大活躍してるんですって?」

「いえ、自分はまだまだです」

「瀬川君、好きな食べ物は? お父さん今日は出張だし、出前でも取りましょうか?」

「いや、気を使わないでください。もしご迷惑じゃなかったら、準備自分も手伝います」

「あらあら、ありがとう」


僕たちは階段を下り、瀬川を一階に案内する。

そのままキッチンへ向かうと、三人で夕食を作ることになった。てっきり料理なんてできないだろうと思った瀬川は、要領よく準備を手伝っていた。完璧超人か。

テーブルの上には大量の唐揚げとサラダ、味噌汁と野菜の煮物が並んでいる。

炊飯器の米は、いつもの倍くらい炊かれていた。


「瀬川君、苦手な物はないかしら」

「自分、好き嫌いないので」

「あら、それはいいわねえ。ご飯、たくさん炊いたから好きなだけおかわりしてね」

「はい、ありがとうございます!」

その言葉通り、瀬川は山盛りのご飯を何度もおかわりした。

母さんは瀬川と話している間中、ずっとニコニコしていて、学校の話を聞きたがった。瀬川はすべての問いかけに、ハキハキと答えていた。

「瀬川君、景、ちゃんと馴染めているかしら? この子、人見知りだから」

「母さん、余計なこと言わなくていいって!」

「大丈夫ですよ。景、確かにあんまり友達はいないけど……」

「おい」

「俺がいるんで」

「あらあら、それは頼もしいわ」

「任せてください」


そう答えながら、瀬川はもりもりと唐揚げを食べる。こうやって傍から見ると、瀬川って好青年なんだな……。僕はいたたまれない気持ちで、もそもそと米を食む。

「お口に合ったみたいで良かったわ」

「全部うまいです!」


母さんは瀬川の気持ちいい食べっぷりを、嬉しそうに眺めている。

「男の子が家にいると、こういう感じなのねー」

「母さん、僕も男の子なんだけど……」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ