第8話 小さな衝突
夜明け前、王城に駆け込む足音が響いた。
「国境で衝突!」
伝令の声は掠れていた。
私は椅子から立ち上がる。
「規模は」
「小隊規模。越境は数百歩ほど。偶発と主張しています」
レティシアがすでに鎧姿で立っていた。
「偶発かどうかは関係ない。血は流れたのか」
伝令がうなずく。
「若手騎士セラフィナが負傷。命に別状はありませんが……」
私は息を詰めた。
思想が、血に触れた。
*
国境前哨地。
空気は張り詰め、兵たちは互いを睨み合っている。
レティシアが馬を進める。
「これ以上一歩でも踏み込めば、演習では済まない」
低い声。
対峙するセレスタ将校は冷静だった。
「誤認だ。我々に敵意はない」
「ならば下がれ」
短い睨み合い。
やがてセレスタ兵は数歩後退する。
全面衝突は避けられた。
だが。
担架で運ばれるセラフィナの姿が、全てを変える。
*
王城医務室。
セラフィナは意識を取り戻していた。
「……陛下」
「無理に話さなくていい」
「守れました」
彼女は微笑もうとする。
「一歩も、越えさせませんでした」
その言葉が胸を締め付ける。
思想の議論の裏で、若者が血を流している。
私は彼女の手を握る。
「よくやった」
王としてではなく、一人の人間として。
*
王都。
衝突の報は瞬く間に広がった。
「ほら見ろ、王がいるからだ!」
「違う、隣国が仕掛けている!」
議論は怒号に変わる。
王制不要デモは、熱を帯び始めた。
商会会館でも騒ぎが起きる。
「戦争になるのか?」
「今のうちに資産を移せ!」
リリアは机を叩く。
「落ち着いて!」
声は震えなかった。
「衝突は限定的です。全面戦争ではない」
「だが次は?」
「次を決めるのは私たちです」
彼女は窓の外を見る。
血が流れた。
だが戦争にはなっていない。
ここで崩れれば、相手の思う壺だ。
*
王城評議室。
「報復を」
強硬派が声を上げる。
「限定的とはいえ越境だ!」
レティシアは静かに言う。
「全面衝突は望んでいない。相手もだ」
「甘い!」
怒号。
私は立ち上がる。
「報復はしません」
静まり返る。
「一歩の越境に、十歩で返せば戦争です」
視線が集まる。
「均衡は、怒りでは守れません」
レオンハルトがうなずく。
「退く勇気が必要だ」
退くことは、弱さではない。
広げないことが、強さだ。
*
夜。
王都広場で小競り合いが起きた。
王制不要派と支持派が衝突しかける。
そこに立ったのはリリアだった。
「止まりなさい!」
彼女の声が響く。
「血を流したいの?」
群衆が一瞬止まる。
「国境で血が流れたばかりよ」
静寂。
「思想は刃じゃない」
「刃にしたら、誰かが倒れる」
ゆっくりと、拳が下ろされる。
暴動は、ぎりぎりで止まった。
*
王城。
私は一人、窓辺に立つ。
セラフィナの血。
広場の怒号。
国境の緊張。
任期制を導入した。
だが危機は止まらない。
王が永遠でないと示した。
だが軍は永遠を装う。
私は静かに呟く。
「均衡は、常に不完全だ」
扉がノックされる。
「陛下」
フィオナの声。
「市場が再び揺れています」
軍事衝突の影響です。
数字は正直だ。
血は、価格に変わる。
静かな戦争は、次の段階へ進んだ。
思想は刃になり、
刃は数字になり、
数字は不安になる。
それでも。
王は立つ。
期限付きの王として。
均衡の責任者として。




