第16話 静かな密約
夜の王都は静かだった。
だが静けさの裏で、動くものがある。
王城から離れた旧貴族街の屋敷。
灯りは最小限。
その一室で、アーネストは一人の女性と向き合っていた。
黒い外套。
名は名乗らない。
だが彼は知っている。
セレスタ公国の実務官僚――ミレイア・アルトリス。
「公の場で会うわけにはいかない」
アーネストが低く言う。
「公の場では、話せないことがあります」
ミレイアは微笑む。
冷たい、整った微笑。
「王は進化しようとしている」
「ええ」
「任期制。選出制。王族特権の削減」
「危険です」
アーネストは即答する。
「王の威厳が削がれる」
「威厳だけで国家は守れません」
「威厳がなければ、国家は散ります」
二人の視線が交わる。
思想は違う。
だが目的は近い。
――王制の不安定化を止めたい。
「あなたは王を強くしたい」
ミレイアが言う。
「はい」
「我々は王制を問い直したい」
「知っています」
「ならば」
彼女は一枚の紙を差し出す。
「均衡を崩さぬ方法もあります」
そこには、貿易緩和条件が記されていた。
王権強化を条件に、経済圧力を緩める。
「……取引か」
「国家は理念だけでは動きません」
冷徹な言葉。
「理想家は上にいます」
カイエルを指す。
「私は現実を扱います」
アーネストは紙を見つめる。
王権強化。
経済安定。
国境緊張緩和。
魅力的だ。
だが。
「これは密約だ」
「ええ」
「王を裏切ることになる」
「あなたは王を守りたいのでしょう?」
静かな問い。
「王を弱くする改革を止めることが、裏切りですか?」
拳がわずかに握られる。
思想は揺らぐ。
*
その頃、王城。
「不穏な動きがあります」
フィオナが言う。
「貴族街で、セレスタの使者らしき人物が確認されました」
私は目を細める。
「接触先は」
「不明です」
レティシアが低く言う。
「泳がせるか?」
「ええ」
私は答える。
「今は」
密約があるなら、必ず痕跡が残る。
焦れば相手の思う壺だ。
*
翌朝。
商会で再び議論が起きる。
「貿易緩和の兆しがある」
「条件は?」
「王制の安定」
ざわめき。
リリアはその言葉に違和感を覚える。
「王制の安定?」
「任期制が不安材料だと」
彼女の目が鋭くなる。
「誰が言ったの」
「情報筋だ」
曖昧な答え。
だが確実に、思想と経済が結びついている。
*
王城。
アーネストは再び私の前に立った。
「陛下」
「どうしました」
「任期制は本当に必要ですか」
直球だった。
「必要です」
「経済が安定するなら」
彼は一瞬ためらう。
「見直す余地は?」
その言葉で、私は理解する。
密約。
外圧と内部思想の接点。
「条件付きの安定は、安定ではありません」
私は静かに答える。
「王権強化と引き換えの経済緩和」
「そのような提案を受けたのですか」
彼は目を逸らさない。
沈黙。
それが答えだ。
「アーネスト卿」
「あなたは王を守りたい」
「はい」
「私は国家を守りたい」
「国家は王が守るものです」
「違います」
私は立ち上がる。
「国家は制度が守ります」
言葉がぶつかる。
「制度は揺れています」
「だから整えるのです」
静寂。
「外圧で改革を止めれば」
私は言う。
「王は永遠に疑われる」
彼の拳が、ゆっくりと解ける。
*
夜。
アーネストは再び屋敷に戻る。
机の上には、あの紙。
燃やすべきか。
保つべきか。
王を守るために、王を縛る改革を止める。
それは忠誠か。
裏切りか。
炎を灯す。
紙はゆっくりと燃え落ちる。
「私は王家の者だ」
彼は呟く。
「王を売らない」
だが。
揺らぎは消えない。
密約は失われた。
だが疑念は残る。
静かな戦争は、思想と利益の境界線を曖昧にしていく。
そして誰も気づかぬうちに、
次の危機は、形を成し始めていた。




